第三十九話 商会令嬢は成り上がり黒騎士に護衛される
鈍い蒼銀に輝くハルバードの穂先が、トロールの腹を貫いた。
分厚い皮膚と筋肉を抜けた感触を確かめるより先に、俺は柄を両手で掴み直す。黒鹿が地面を蹴り、突き刺したままの巨体を引きずるように前へ出た。
もう一体が出来の悪い棍棒を振り上げる。
その間合いへ入る直前、俺は腰を捻ってハルバードを横へ振り抜いた。
腹を貫かれていた一体が刃に引かれて横へ吹き飛び、その巨体ごと隣のトロールへ叩きつける。二体が絡み合ったところを穂先と斧刃がまとめて薙ぎ、勢いのまま街道脇へ転がしていった。
黒鹿が数歩先で速度を落とす。
手の中に残る重量を確かめながら、俺はハルバードを持ち上げた。
オルタンが使っていたものだ。
一等級の冒険者が使っていた逸品だけはある。俺はこの手の武器を使い込んでいるわけでもないし、今の一撃も技巧を凝らしたものではない。それでも、雑に扱ってこれだけ仕事をするなら十分すぎる。
後方から鋭い指笛が飛んできた。黒鹿の上で振り返ると、馬車の屋根に立ったセラスがこちらへ手を振っている。
「ルクスー! そっちで最後! もう動いてるのはいないわよ!」
隊商中央を走る馬車の屋根、その上にセラスが立っていた。弓を手に街道の左右から後方まで見渡している。ゴブリンとオークの死体がいくつも転がっているが、茂みに逃げ込む影も、新しく近づいてくる気配もないらしい。
その馬車の側では、栗毛の牝鹿に跨ったエマが両手で手綱を握っていた。
「エマ。引きすぎだ。それじゃ鹿が進めないぞ」
「わ、わかってます! ちょうどいい加減を探してるところです!」
恐る恐る手綱を緩めると、牝鹿がすぐに前へ出る。
「わっ、待って、待ってください!」
今度は慌てて引く。
一人で乗れるようにはなった。
以前ならセラスが後ろから手綱を取らなければ移動すら難しかったのだから、これでもかなりの進歩だ。ただし、乗れるのと乗りこなせるのは別らしい。鹿よりエマの方が忙しそうに見える。
俺たちがラザームを出てから、今日で三日目になる。
王都へ向かうと決めたところで、ちょうどラザームから同じ方面へ出る隊商が護衛を募集していた。騎乗鹿だけで進むより時間はかかるが、急ぐ旅でもない。どうせ王都へ向かうなら依頼を一つ片付けながら進んだ方がいいと、その仕事を引き受けた。
三日目にして、ようやく護衛らしい仕事が回ってきたというわけだ。
「もう終わったのですか?」
隊商中央にある一際大きな馬車。その窓から栗色の髪が覗いた。
顔を出した女性こそ、今回の護衛依頼を出した側の人間――ミレイユ・リーディアムだった。
王都に拠点を構え、王国外にも広く商売の繋がりを持つリーディアム商会の令嬢で、今回の隊商も実質的には彼女が取り仕切っている。
艶のある栗色の長髪に、琥珀色の瞳。旅の最中だからか、深い青緑を基調とした服も上等ではあるものの華美ではなく、長時間馬車で過ごすことを考えた作りになっている。
見た目だけなら、王都の屋敷で茶でも飲んでいる方が似合いそうな女性だ。
だが、トロールを含む魔物の群れに襲われても、馬車の奥へ隠れて震えているような人物ではなかった。
戦いが始まるなり他の護衛を荷馬車の周囲へ回し、商会の人間には馬と積荷の確認を指示。怯えていた若い商会員にも仕事を振り、混乱させないよう動かしていた。
俺を前へ出したのも、俺が抜けても隊商周辺の戦力が足りると判断したからだ。
――そこまでは、まともだった。
「さすがですね。あれだけいたのに、もう終わってしまいました」
「後ろは問題なかったか?」
「ええ。こちらは他の護衛の方々で十分でした」
そこでミレイユの視線が、俺の手にしたハルバードから黒鹿、最後に肩から垂れる深紅の外套へ移った。
表情が少しだけ明るくなる。
「それにしても……実際に見ると、やはり違いますね」
「何がだ?」
「黒鹿で駆けて、赤い外套を靡かせながら魔物を討つところです。劇で見た時も格好良かったですが、本物はもっと迫力があります」
「靡かせても何も、これを用意したのは貴女なのを忘れてないか?」
「もちろん覚えています。だから余計に似合っていて嬉しいんですよ」
悪びれる様子はない。
ラザームで使っていた赤い外套は、ヴェルレイの治療を終えたあと、その身体を覆うために掛けてきた。
だから、この隊商の護衛を引き受けた時には俺の肩に外套はなかった。
顔合わせの時、それを見たミレイユがしばらく俺を眺めたあと、商会の荷から深紅の外套を一本持ってこさせたのだ。
『黒騎士様なら、やっぱり赤い外套があった方がいいと思うんです』
『戦うのに必要ないぞ』
『必要かどうかではなく、似合うかどうかの話です』
商人相手に押し切られた結果が、今のこれだ。
「それで俺を一人で前に出したのも、まさか見物したかったからじゃないだろうな」
「安全だと判断した上で、少しは」
「少しは、か。 そういった遊び心は嫌いではないが、ご令嬢の趣味としてはどうなんだ?」
「せっかく本人が護衛をしてくださっているんですから。見られる時に見ておきたいじゃありませんか」
商人としての判断と趣味を両立させているらしい。
ミレイユは胡散臭い詩人のつくった詩を知っている。
それどころか、黒騎士と聖女を題材にした演劇まで王都で観ていた。俺だけでなくエマのことも気に入っているらしい。
ただし、熱心な割に妙なところで節度がある。
どこから来たのか。何をしてきたのか、劇のどこまでが本当なのかと、そういったことを本人へ根掘り葉掘り尋ねてくることはなかった。
理由を聞いた時には、本人から全部聞いてしまえば、次に劇を見る楽しみが減ってしまうから、と返された。
劇を観た当時は、こんな英雄が今の時代に本当にいるはずがないと思っていたと。
ところがラザームで実物を見つけ、その後の俺たちまで知った結果、創作の人物ではなく本人まで気に入った――ということらしい。
「そういえば、一つだけ気になっていたんです」
「聞かないんじゃなかったのか?」
「過去のお話は聞きません。ただ、目の前にあるものくらいはいいでしょう?」
「それならな」
「劇の黒騎士は、黒い長剣を振るっておられました」
ミレイユが俺の手にしたハルバードを見る。
「でも、こちらが本来の武器というわけでもなさそうですし」
「これは最近手に入れただけだ。黒い剣は持ってない」
少し考えてから、片腕を持ち上げた。
「代わりに、これならある」
手甲と腕の境目から、三本の爪剣をせり出させる。
黒く鋭利な刃が並ぶ。
いきなりこんなものが腕から現れれば、普通ならもう少し反応があってもいいと思うのだが。
ミレイユは窓から身を乗り出すでもなく、興味深そうに眺めただけだった。
「まあ……随分と趣のある剣を使うんですね」
「それだけか?」
「創作と違うところを見られるのも、本人に会えた楽しみの一つですもの」
「もう少し驚かれると思ってたんだが」
「ふふ、これでも驚いていますよ」
令嬢らしい、穏やかな微笑みのままでは説得力がない。
しかも、どういう仕組みなのか、どうして鎧から出るのかという質問も続かなかった。
本当に劇との違いを見られただけで満足しているらしい。
やがて周囲へ散っていた護衛も戻り、隊商は再び王都へ向けて進み始めた。
俺の配置は、ミレイユの馬車のすぐ横。
護衛依頼の中心人物が乗る馬車なのだから、位置としては何もおかしくない。
問題はそこではなかった。
走り出してしばらくすると、馬車の窓から妙に視線を感じた。横を確かめれば、やはりミレイユがこちらを見ていて、目が合っても逸らすどころか満足そうに笑っている。
一度なら気にもしなかったが、しばらく進んでもそれが変わらない。前へ視線を戻しても気配は消えず、もう一度横を見ると、やっぱりまだ俺を眺めていた。
「……何か用か?」
「いいえ。気にしないでください」
そう言われて前へ向き直ったものの、視線だけはそのまま残っている。
質問されるなら答えれば済む。指示があるなら動けばいい。ただ満足そうに延々と眺められるというのは、対処の仕方がわからない。敵から殺気を向けられている方が、まだ何をすればいいかはっきりしている。
しばらく耐えてから、俺は黒鹿の手綱を前へ向けた。
「……先の様子を見てくる。さっきの群れ以外にいないとも限らない」
「では、お願いしますね」
これで少し離れられると思ったところで、ミレイユが続ける。
「終わりましたら、またこちらへ戻ってきてくださいね」
「……わかった」
護衛としてなら当然の言葉だ。 なのに、どうにも別の意味まで含まれている気がする。
黒鹿を進ませ、隊商の前列まで出る。
するとセラスがこちらに気づき、エマの乗る栗毛の牝鹿から身を乗り出した。手綱を握るエマが慎重に鹿をこちらへ寄せ、その後ろでセラスは気楽そうに揺られている。
「やっと逃げてきた?」
「索敵しているだけだ」
「はいはい。そういうことにしておきますよ、ってね」
セラスが後方の馬車を一度見て、楽しそうに笑った。
「でも、かなり気に入られてるじゃない。しかもあの人、アンタが好きそうな年上で上品な美人だし」
「セラスさん、そんな言い方……」
止めるのかと思ったら、エマまで俺を見る。
「でも……ルクスさんって、ああいう落ち着いた女性が好みなんですか?」
「年上の綺麗なお姉さんが嫌いな男なんて、そうはいないだろ」
「言い切ったわね」
「ただし、ずっと見てくる目に圧があるのは別だ。あれだけ見られてると、さすがにやりにくい」
「そんなに見られてたんですか?」
「護衛してるのか観賞されてるのか、わからなくなってきた」
セラスが吹き出して、エマまで笑いを堪えている。
「でもルクスさん、ちゃんと戻ってきてくださいって言われてたみたいですね」
「……聞こえてたのか」
「そりゃ聞こえるわよ。アタシの耳をなんだと思ってんの」
セラスが長い耳を指先で示す。
「この前までつけてた兎耳じゃなくてもか?」
「喧嘩売ってるのよね? そうよね?」
セラスから距離をとる為に、さらに前方に出てから、もう一度だけ後ろを振り返った。
馬車の開いた窓から、やはりミレイユがこちらを見ている。かなり距離は開いたはずなのに、視線を向けた途端、待っていたように目が合った。
美しい令嬢から、あれだけ熱心に見つめられている。普通なら悪い気はしない。ただ、どうにもそれだけではない。
値踏みされているわけでも、警戒されているわけでもない分、かえってどう受け止めればいいのかわからなかった。
こちらが見返している間も、ミレイユは気まずそうに目を逸らしたりはしない。ただ楽しそうに微笑んでいる。
しばらくは、馬車の真横での異様に強い視線の圧に戻りたくはなかった。
索敵なら、念入りにやっても誰にも文句は言われないだろう。




