第三十四話 仄暗い拠点の中から
◇ ルクス
夜秤会の本隊が旧街道へ出たという報せが入ったのは、街の灯りが落ち始めた頃だった。荷馬車も人も多く、上の立場らしい者まで混じっている。逃走そのものは本物だが、その中に夜秤会を率いるギルスと、奴が個人的に抱えている腕利きたちはいない。
シズネは動きを妨げないよう仕立てを削った執事服風の男装で、調べ上げた情報を淡々と並べた。
「元一等級ということもあり、冒険者時代の情報はすぐに集まりました」
「率いているのはミトランの双剣使いシャドル、同じくミトランの治癒術士ヨラーナ、リザルドの戦士オルタン」
「そして、エルフの狙撃手であるヴェルレイです」
「ミトランだのリザルドだのっていうのは......」
「昔は猫亜人だの蜥蜴亜人だの言われてたでしょ? 共通言語になる頃に変わったのよ」
時代が移ろえば、種族の呼び名くらい変わるらしい。問題は、その四人がギルスと一緒に残っていることだった。旧街道へ出た連中はマルセルが雇った戦力へ任せ、俺たちはギルス本人がいる北側の物流拠点を叩く。
「衛兵と騎士団はすべてが終わってから到着します。偶然、そうなるようです」
「便利な偶然だな」
「ええ、金と運と人はそう巡るものです」
それ以上を聞いても答えない顔だった。
問題は拠点から離れた場所に潜むヴェルレイで、セラスはエマへ自分の上半身を示した。
「脚なら捨てていい。ただ一等級であれば迷わず頭か胸を狙う。上半身に密度を上げて」
「脚を……捨てるんですか?」
「頭と胸を撃たれたら、アタシもさすがに死ぬのよ。まぁ仮に脚に当たれば、気合でなんとか耐えるわ」
「気合で治るものじゃありませんからね?」
エマは不満そうに言いながらも、すぐに聖壁の形を考え始めた。真正面から受けるのではなく、頭と胸を覆う部分だけを厚くし、傾斜をつけて弾を逸らすつもりらしい。
「聖壁の強度ってそこまで形状弄ると維持しにくいはずじゃ......ううん、エマを信じるわ。任せたわよ」
「絶対に頭と胸には当てさせません」
俺とシズネが中へ入り、二人は狙撃手へ備える。段取りはそれで十分だった。
物流拠点の屋根へ上がり、シンデレラで足元を撃ち抜く。轟音とともに屋根が内側へ吹き飛び、梁と屋根材の向こうに暗い倉庫が口を開けた。
得物を多次元ポシェットへ戻すと、シズネが当然のように俺の肩へ乗る。
「落ちるぞ、備えろ!」
「問題ありません」
そのまま穴へ踏み込む。床へ叩きつけられる寸前、肩からシズネの重みが消えた。俺を蹴って横へ飛んだ彼女が積荷の上へ降りるのと、俺の両足が床板を砕くのはほとんど同時だった。
着地の衝撃が収まるまで待つ理由もない。
俺は正面の大柄なリザルドへ、シズネは赤髪のミトランへ、一息に間合いを潰した。
◆ ヨラーナ
屋根が吹き飛んだ時点で、ヨラーナは杖を握っていた。
落ちてきた黒騎士の肩から、聞いてもいない黒髪の女まで飛び出す。反射的にギルスの腰を蹴り、積荷の奥へ押し込んだ。
「オーナー、邪魔だから下がってて!」
侵入者は周囲を確認しなかった。黒騎士はオルタンへ、黒髪の女はシャドルへ、最初から相手を決めていたように一直線に駆けてくる。
「ちょっ......! こーゆー時って名乗りとか口上から戦うもんじゃないの!?」
「向こうに聞け!」
「聞いてるし!」
シャドルが怒鳴り返した時には、もう接敵していた。
それでもオルタンは対応した。ハルバードを横へ払うと見せて穂先を返し、黒騎士の脇腹、装甲の継ぎ目へ深く突き入れる。急所を外して様子を見るような一撃ではない。初手で終わらせるつもりの攻撃だった。
なのに黒騎士は止まらなかった。
「はぁ!? 刺さってるって!」
ハルバードを脇腹へ食い込ませたまま、黒騎士がさらに前へ出る。さすがのオルタンも身体を逸らしたが、黒い爪が左腕を掠め、鱗と肉を深く抉った。
「ヨラーナ!」
「わかってるって! 加速!」
オルタンとシャドルへ強化を通す。暗闇はミトランとリザルドに利があり、二人とも元一等級。そこへ加速まで重ねた。
これで押し返せないはずがない。
「マルセルに雇われた冒険者だな? 貧乏クジ引いたぜお前ら」
「ほお……俺の名前を知らない奴に久しぶりに会って、感動すら覚えるな」
「感動してる場合!?」
脇腹へハルバードを突き入れられた直後とは思えない黒騎士の声に、ヨラーナは笑えなかった。痛みを我慢しているようには見えないのではなく、攻撃を受けて痛みに反応するという工程そのものが、あの黒い身体には存在していないように見えた。
「シャドル! あの黒いの何なの!?」
「俺が知るか! こっちはこっちで聞いてねぇのが一人増えてんだよ!」
その黒髪の女剣士も妙だった。
暗い倉庫は本来こちらの領分だ。それなのに二人とも、まるで昼間と変わらないように動いている。夜目が利く様子とも違う。ただ相手の気配と攻撃だけを拾い、それ以外を気にしていないように見えた。
戦う前に数えていた有利が、一つずつ意味を失っていく。
◆ シャドル
事前情報にいなかった女こそ、最初の誤算だった。
「ったく、聞いてねぇぞこんなの!」
青の曲剣を振り抜く。黒髪の女――シズネは身体へ刃を触れさせず、鉄の入った靴先で刀身の腹だけを蹴った。軌道が逸れたところへ刀が走り、慌てて赤の曲剣で受ける。
「オイオイ! 嬢ちゃん美人な癖に殺意が強いぜ」
「……」
「無視かよ!」
返事の代わりに二本目の刀が抜かれた。右手側を逆刃持ちへ変えた途端、それまでとは斬撃の軌道まで変わる。
速いだけなら対処できる。加速まで受けているのだから、むしろ身体はこちらの方が速いはずだ。
問題は、慣れたと思うたびに別の角度から刃が来ることだ。
「ヨラーナ、この女の間合いに入るな!」
「こっちも忙しいんだけど!」
声の方へ寄ろうと半歩踏み出した瞬間、シズネの刀が喉元へ滑り込んだ。首を反らして逃れたシャドルは、そのまま横へ飛ぶ。
「……あー、なるほどな」
この女は殺しに来ているようで、殺すことを優先していない。
ヨラーナへ寄ろうとした時だけ進路へ刃を置いてくる。目的は明白だった。
自分とヨラーナをここへ縫い付け、オルタンを黒騎士と一対一にするつもりなのだ。
「俺をここに釘付けか。性格悪ぃな、嬢ちゃん」
やはり返事はない。狙いが分かっても突破できない。それが一番厄介だった。
軽口を残しながらも、シャドルの顔から笑みは消えていた。
◆ オルタン
左腕の傷は深い。それでも加速が肉体を押し上げている間は、ハルバードを振れる。
いつの間にか他の戦いは離れ、黒騎士と向き合う者は自分だけになっていた。
「名乗らぬは戦士の恥ぞ」
「名乗らなくても勝手に知られているほど有名でな」
「傲慢な物言いよな」
「俺もそう思う」
返答だけならふざけている。しかし戦い方には、ふざけたところが一つもなかった。
オルタンは肩、脇、首元と装甲の継ぎ目を狙った。硬い装甲そのものを抜けないなら、動くために必要な隙間へ刃を入れる。重装の相手を崩すなら当然の選択であり、実際に穂先は何度も深く入った。
それでも黒騎士は止まらない。
傷を庇わず、息切れすらしているように見えない。それどころか、こちらが深く打ち込んだ時ほど迷いなく懐へ踏み込んでくる。
脇腹への初撃は完璧だった。仕留めるために深く押し込み、その結果、引き戻すまでのほんの僅かな時間が生まれた。黒騎士の爪が左腕へ届いたのは、まさにその瞬間だ。
二度目も、三度目も似ている。
攻撃が効いていないだけだと思っていた。だが、仕留めるために深く入れるほど黒騎士の反撃が早くなることに気づいた時、別の考えが頭から離れなくなった。
こいつは、打ち込ませているのではないか。
普通なら決着になる一撃を受け、こちらが勝ちを確信して重心を預ける。その一瞬を待っている。
防がないのではない。防ぐ必要がない攻撃なら、こちらが最も深く踏み込むところまで利用している。
加速で肉体を押し上げても、自分は生き物だ。踏み込み、振り抜き、引き戻す一連の動きには必ず僅かな切れ目があり、左腕の負傷はその継ぎ目をさらに大きくする
対する黒騎士には、呼吸を整える間も、痛みで身体が止まる瞬間もない。
生き物を相手に戦っている感覚だけが、少しずつ失われていった。
左腕の傷が影響し、一度だけ踏み込みが浅くなる。その僅かな乱れへ合わせるように、黒騎士がハルバードの柄を脇へ挟み込む。
引けない。押しても、黒い巨体は動かない。
こちらを向いた兜には表情などなく、形も変わっていない。それでもオルタンには、笑われたように見えた。ようやく自分が罠に気づいたことまで、最初から見透かされていたような錯覚だった。
オルタンは即座に柄を捨てて退いたが、黒い爪はその判断より僅かに早かった。右肩を何かが抜けた感覚の直後、身体の釣り合いが崩れる。
床を転がった右腕を見て、ようやく斬られたのだと理解した。
「化物め......埒が開かぬ。ヨラーナ、重加速を!」
「はぁ!? 加速まだ残ってるんだけど!」
「構わぬ!」
「死んでも知らないからね! 重加速!」
残っていた加速へ、さらに強化が重なる。それが過剰付与だった。
心臓が胸郭を内側から叩き、全身の筋肉が悲鳴を上げながら、それでも今まで以上の力を吐き出してくる。長く保てば、敵より先に自分の身体が壊れる。
ならば、その前に押し出す。
ハルバードも右腕も失ったオルタンは、尾と両脚まで使って全身を捻り、その巨体を黒騎士へ叩きつけた。
今まで微動だにしなかった黒い足が大きく滑る。
二つの巨体が床板を削り、積荷の間を一直線に押し抜けた。勢いのまま外壁へ激突すると、板と梁がまとめて裂け、冷たい夜気が倉庫の中へ吹き込む。
崩れる壁材を巻き込みながら、オルタンと黒騎士はそのまま闇の外へ飛び出した。




