第二十五話 存在証明へのオールイン
「ちょっと! せっかくいい感じだったのに!」
エマのアンチドートを受けたセラスが、開口一番に文句を言った。さっきまで赤かった頬はもう普段の色へ戻っているし、足取りもしっかりしている。治癒術を酔い覚ましに使うというのが正しい用途なのかは知らないが、効果だけなら文句なしらしい。
「これからが本番だって言った直後に潰れた奴が言うな」
「潰れてないわよ。ちょっと世界が回ってただけ」
「それを酔ってるって言うんだよ」
「セラスさん、もう大丈夫ですか?」
「大丈夫よエマ。ありがと。あんな使い方できるのね、アンチドート」
「わたしも酔っ払いに使うのは、初めてやりました……」
妙なところで治癒術士として経験を積ませてしまった気がする。
俺たちを待っていた賭場の男は、聞こえなかったことにしたらしい。笑いもせず、「こちらへ」と奥の通路を示した。
表の喧騒は扉を二つ抜けただけで遠ざかった。豪華さを見せつける賭場とは違い、こちらは装飾が少ない。代わりに曲がり角や扉の脇には人が立っている。客を楽しませる場所ではなく、見られたくない話をするための場所なのだろう。
もっとも、そのわりに俺たちを囲む護衛はいなかった。
最後の扉を抜けた先は、落ち着いた調度でまとめられた応接室だった。中央の長椅子に腰掛けているのは、四十代半ばを過ぎたくらいの細身の男。暗褐色の髪には白いものが混じり始めているが、服も髭も隙なく整えられていた。
「ようこそ。黒騎士ルクス殿。それに聖女殿と──」
「聖女ではありません!」
「失礼」
エマの訂正にも動じず、男は軽く頭を下げた。
「この店を預かっております、マルセル・ヴァレッティと申します」
「特別席に、ということだったが。オーナーと直接会える席だったとはな」
「そういったお席をご所望でしたら、ご用意できます」
マルセルは穏やかに笑った。俺たちを呼びつけた側だというのに、こちらを値踏みするような露骨さはない。
「ただ、この仕事も長いものですからな。ルクス殿ほどの方が、勝負そのものを楽しむためにあれだけ派手に勝たれたわけではない。何か別件がおありなのだろうと思いまして」
「そこまでわかるか」
「商売柄、人が何を欲しがっているかを見るのも仕事ですので」
なるほど。賭場の元締めをやっているだけの男ではないらしい。
マルセル自身には武器らしいものが見当たらない。
代わりに、その斜め後ろに一人だけ女が立っていた。
黒い髪を後ろで一つに束ね、腰には長短二振りの剣。どちらもこの辺りでは見かけない、細身でわずかに反った形をしている。刀と呼ばれる武器だったはずだ。
女は柄に触れていない。こちらを睨んでもいなければ、威圧するように構えているわけでもない。
だからこそ気になった。
俺とマルセルの距離は、踏み込めば詰められる。爪剣を出してもいいし、腰のポシェットから何かを取り出すこともできる。逆に距離を取ってから仕掛ける手もある。
どれを選んでも、この女なら俺とマルセルの間に一手入れてくる。
立ち位置だけでそう思わせる相手は珍しい。
マルセルも女の位置を一度として確認しない。この一人を置いておけば十分だと、本気で思っているらしい。
横を見ると、セラスもさっきまでの酔っ払いが嘘のように女のほうを一度だけ見ていた。すぐに普段通りの顔へ戻したが、どうやら気づいたのは俺だけではない。
「どうぞ、お掛けください」
「俺はこのままでいい」
「その鎧姿では、そのほうがよろしいでしょうな」
俺が座れば長椅子の寿命を縮めそうなのは否定できない。エマとセラスだけが向かいへ座り、俺はその後ろに立った。
「長々とした前置きは不要ですな」
マルセルが改めて俺を見る。
「何をお求めです?」
「身分証明だ」
初めて、マルセルの返事が一拍遅れた。
「……身分証明、ですか?」
「ああ。冒険者登録に使えるものが欲しい」
「失礼ながら、黒騎士ルクスというお名前は、すでにラザームでも知られ始めておりますが」
「有名なのと、俺が俺だと証明できるのは別問題らしくてな」
名前だけなら詩人が勝手に広めてくれた。だが俺がルクス・ウェインだと書かれた公的な何かは、現代には一つもない。
「事情は詳しく聞かないでくれると助かる」
「私どもも、お客様が話したくない過去を聞き出す商売ではありません」
そこは助かる。
マルセルは少し考えてから、指を組んだ。
「粗末な物でよろしければ、紙を一枚用意するだけです。しかし、冒険者ギルドで使用されるのであれば話が違う。必要なのは紙そのものではなく、その紙に書かれた人物が存在していても不自然ではない状態でしょう」
「そこまで違うのか?」
「偽物ほど、余計なことを書いてはいけません」
言われてみれば当然だった。嘘の経歴を十個作れば、調べられる場所も十個増える。
「名前は?」
「ルクス・ウェイン」
「出身は?」
「四百年前の地名なら言えるぞ」
マルセルが黙った。
エマまで黙った。
セラスだけが口元を押さえている。
「……今のは忘れてくれ」
「ええ。私も聞かなかったことにいたしましょう」
危ない。
偽造証明書を作りに来て、四百年前の人間だと自分から名乗るところだった。
「居住地、職歴、家族についても?」
「現代で証明できるものはない」
「なるほど」
マルセルの目が細くなる。
「過去が存在しない割に、現在だけが有名。これはなかなか面倒なお客様ですな」
「厄介なことに自覚はある」
「でしたら、作る経歴は最小限にしましょう。名はそのまま。旅人として不自然ではない程度の身元だけを整える。それ以上の嘘は、むしろ邪魔になります」
「そういった詳細は任せる」
そこでふと思い出した。
「セラス」
「なによ?」
「お前は冒険者登録は問題ないのか? 四百年前のものを今出しても通用しないんじゃないのか?」
「…………」
セラスは一瞬だけ黙り、そのまま何でもない顔で視線を横へ逃がした。
「……そうだったわ。ついでにアタシのもお願い」
「忘れてたのかよ」
「四百年も使ってなかったんだから仕方ないでしょ!」
「あなたもですか」
マルセルの表情は崩れなかったが、声にだけわずかな疲れが混じった気がした。
「エマは無くしたりしてないよな?」
「わたしは、ちゃんとありますよ!」
エマは鞄を探す必要もなく、身につけていた登録証を取り出した。
「五等級です」
「ほう。では、お嬢さんの分は必要ありませんな」
「はい、大丈夫です」
五等級と言われても、俺にはまだそれがどの程度なのかよくわからない。ただ、俺が見てきたエマは何度もプロテクションを張り、必要なら形まで変え、そのあとで負傷者の治療まで続けている。
数字や等級より、できることを見たほうが俺にはわかりやすかった。
「では、お二人分で」
「ああ、頼む」
「一つだけ確認を。ルクス殿、兜を外していただくことは?」
「無理だ」
「……身分証明を作りに来られて、ご尊顔を確認できない、と」
「だから困ってる。それが出来るなら正規の手段で作っているんだが」
マルセルはしばらく俺を見たあと、小さく息を吐いた。
「ですが、これほど本人確認の容易なお客様も珍しい」
「どういう意味だ?」
「その黒い鎧を着たまま別人を名乗る方が難しいでしょう」
「……確かに」
妙なところで得をした。
「料金についてですが──」
提示された額を聞き、俺はさっき換金しておいた賭場の勝ち分を卓上へ置いた。
「これで足りるか?」
マルセルは金と俺を交互に見た。
「ほぼ当店からお持ちになった金ですが」
「そうとも言う」
「こちらの仕掛けを利用して勝たれた金で、こちらへ偽造を依頼されるわけですか」
「嫌なら返してもいいぞ」
「いえ」
初めて、マルセルがはっきり笑った。
「商売としては成立しております。受け取りましょう」
◇
用意が整うまで、しばらく待たされた。
どんな手を使ったのかは聞かなかった。聞かないほうがいいこともあると、つい最近エマにも言ったばかりだ。
やがて届けられた二組の書類を、マルセル自身が確認してからこちらへ差し出す。
「これで冒険者登録に必要な身元は整うでしょう。ただし勘違いなさらぬよう」
「何をだ?」
「これは本物ではありません。出来のいい偽物です。書類を見る者は騙せても、人を見る者まで騙せる保証はございません」
「それで充分だ。助かる」
受け取った紙には、確かに俺の名前がある。
ルクス・ウェイン。
四百年前、間違いなく存在していた名前だ。
その俺が四百年後の世界で自分自身だと認めてもらうために、偽物の証明を必要としている。
「本物の俺が、偽物の身分証を持つのか」
「細かいこと気にしたら負けよ」
隣ではセラスも自分の書類を確認している。
「これ結構大事なところじゃないか?」
「使えればいいのよ、使えれば」
「セラスさんが言うと、なんだかすごく悪いことしてる気分になります……」
「エマ、それ以上考えるな。 この先ずっとこうだぞ」
書類を丸め、腰裏のポシェットへ押し込む。
四百年前には必要のなかったものだ。自分が自分であることを、紙切れ一枚に証明してもらわなければならないというのも妙な話だった。
それでも、これでようやく今の時代に足を置ける。
「これで、やっとですね」
エマはほっと息をつきながら笑った。自分のことでもないのに、俺よりずっと嬉しそうな顔をしている。
「ああ。あとは、こいつを本物として使える場所に持っていくだけだ」
ポシェットを軽く叩き、俺は扉へ目を向けた。
「次は冒険者ギルドだ」
お読みいただきありがとうございました。
寸手の所で、セラスの身分証明書も忘れずに手に入れることができました。
次回、証明書を持って冒険者ギルドへ登録に向かいますが、順当に登録はできるのか。
またこのお話にお付き合いいただけたら嬉しいです。




