第二十三話 あの頃の気持ちに名前を付けるなら
「我が子が黒騎士のファンでな」
「……俺の?」
思わず聞き返した。王国の思惑や身分証の話ならまだしも、初対面の騎士団長から家庭の事情を持ち出されるとは思っていなかった。
「アダムという。昔から本を読むのが好きで、同年代の子供と外で遊ぶことはほとんどなかった。だが黒騎士の詩を知ってから、赤い布を巻いて真似をするようになってな。今では近所の子供たちと駆け回っている」
「……俺は、その子に何もしてないぞ」
「本人に会わなければ、人に影響を与えられんわけでもあるまい」
返す言葉がなかった。俺はアダムの顔すら知らない。ただ目の前で困っている奴を助けてきただけで、それをフィネガンが詩にし、知らない土地へ話が歩いていった。
噂というものは、実物より膨らんで面倒を連れてくる。ずっとそう思っていたが、その膨らんだ話に救われる奴もいるらしい。
「騎士団長としての礼は、もう言った。これは父親としてだ。ありがとう、ルクス殿」
「……どういたしまして、でいいのか?」
「俺に聞くな」
そこだけは妙に普通の父親らしくて、兜の奥で少し笑った。
ガダンは表情を仕事のものへ戻す。
「この町の警戒と後始末はこちらで引き継ぐ。陛下への報告も俺が行う。四百年前の件は、本人の申告あり、真偽未確認。それ以上は書かん」
「助かる。頭がおかしいとは付け足さないでくれ」
「それは今後の行動次第だな」
「まだ疑ってるのかよ」
「四百年前から来たと言う男を疑わないほうがおかしい」
そこは反論できない。少なくとも荒唐無稽だからと切り捨てず、今の俺を見て判断すると言った。その姿勢だけなら信用していいと思えた。
「それと当然だが、俺はラザームについて何も教えていない」
「ああ。俺も、どこぞの男の独り言がたまたま聞こえただけだ」
「結構」
立ち上がったガダンと握手を交わす。金属の籠手越しでは不格好だったが、少なくとも敵同士の握手ではなかった。
◇
酒場を出て人通りの少ない路地へ入ると、頭上から軽い着地音がした。振り返る前にセラスだとわかったのは、こういう現れ方をする知り合いが他にいないからだ。
「で? 斧で真っ二つにされずに済んだ?」
「見ての通りだ」
「アンタの場合、真っ二つでも平然と立ってそうなのが嫌なのよね」
「人を何だと思ってる」
「自称、黒騎士」
「雑すぎるだろ」
エマが吹き出しかける。ガダンとの会談中は外で待たせていたぶん、三人でこうして言葉を交わすだけで張っていたものが少し緩んだ。
「ガダン団長、とても話のわかる方でしたよ」
「ふうん。なら待った甲斐はあったわね。それで、どこまで話したの?」
「俺が四百年前の人間だってところまで」
「……そこまで言ったの?」
「聞かれたからな」
「それ信じたの?」
「信じてはいない。嘘とも決めつけない、だとさ」
「まともな反応って思いたいけど、それ信じるっていうほうが異常じゃないの?」
「まあな」
「アタシだって、本人じゃなかったら絶対信じないもの。必要なら証言してあげてもいいけど?」
「今はいい。ガダンは四百年前の俺を知らなくても、今日会った俺を見て判断した。それで十分だろ」
セラスなら、俺が本人だと証明できる。けれど今すぐ過去を信用の担保にする必要はない。ガダンが見ようとしていたのは、伝説の誰かではなく、今この時代を歩いている俺だった。
「まあ、アンタがそれでいいならいいけど」
「それより次の行き先だ。ラザームへ行く」
「ラザーム? ああ、なら都合いいわね。亜人の出入りも多いから、アタシ達も王都よりも、交易はラザームのほうが多いわね」
「エルフの里からも行くのか」
「行くわよ。アタシ達も昔、寄ったことあるわよ。名前も変わってるし、あの時は小さな村だったけどね」
「村……? 悪い、場所が全然わからない」
「ああ、言われてもピンとこないわよね。あの時代は連合国でもなかったもの。魔族扱いされて追われてた兎人の女の子をあんたが助けて、ちょっといい雰囲気になってたじゃない。そのあたりよ」
兎人と聞いた時点では、まだ場所まで繋がらなかった。だが「追われていた女の子」と続いたところで、頭巾の下へ押し込めていた長い耳と、怯えるたび俺の袖を掴んできた細い指が記憶の底から浮かび上がる。村の名は忘れていたのに、そういうことばかり残っているらしい。
「……よく覚えてるな」
「別れ際にお互い目潤ませて手握り合っちゃって。リーネなんか『ロマンスしてんじゃねえ!』って暴れてアーサーとヴィルキスに抑え込まれてたもの」
「……ああ。そこか」
「ルクスさん、兎人の恋人がいたんですか?」
エマがすぐ食いついた。
「恋人では、ないな。いい娘ではあった」
「一緒に行動する間、こいつの服の袖ずっと掴んでたのよ。ほとんど恋人よ」
「お前、そこまで覚えてるのかよ」
「覚えてるわよ。リーネは乙女がしちゃいけない顔して見てたわね」
「聖女様が……? なんでそんな顔してたんでしょう」
「さあ? 二日酔いの時は大体そんな顔してたぞ」
眉を寄せた表情のセラスが俺を見る。
「俺を見るな」
「ルクスさんは心当たりないんですか?」
「ない」
「即答ですね……」
「本当にないんだよ」
「……アンタ、四百年経ってもそこは変わってないのね」
「何がだよ。俺の感覚では四百年経ってないんだって」
「別にぃ」
追及してもろくな答えは返ってこなさそうなので流す。
「まあ、その村があった辺りが今のラザームよ。今じゃ千商の都。人間だけじゃなくて、亜人の商人や旅人も珍しくないわ」
その言葉で、記憶の意味が変わった。
あの頃、兎人の少女は耳を見られただけで魔族の仲間だと決めつけられ、追われていた。そんな扱いは、当時なら珍しくもなかった。
その土地へ今は亜人が商売をしに集まり、エルフの里まで王都以上に交易しているという。国の名前が変わったとか、町が大きくなったとかいう話より、その変化のほうが四百年という時間を少しだけ具体的にしてくれた。
「……見てみたいな」
「何を?」
「ラザーム。俺の知ってる場所が、どう変わったのか」
「じゃ、決まりね。身分証をどうにかするついでに観光でもすれば?」
「目的の順番が逆にならないよう気をつけるよ」
「ルクスさんならありえそうです」
「エマまで言うのか」
◇
翌朝、町にはすでに騎士団の手が入っていた。壊れた柵や街道の確認、夜番、残った死体の処理まで役割が割り振られている。負傷者の治療も一段落しており、ここから先は本職へ任せたほうがいい。
宿の前では、黒鹿が昨日の暴れぶりを忘れたように落ち着いて待っていた。俺が近づくと大きな角を揺らし、早く乗れとでも言うように鼻先を寄せてくる。
「今日も頼むぞ」
首筋を軽く叩いて背へ上がる。隣ではエマが栗毛の雌鹿の前へ乗り、後ろからセラスが手綱を取っていた。
町を出るまでに何人かから声を掛けられた。昨日エマの治療を受けた男が包帯を巻いた腕を上げ、別の家の軒先では子供が赤い布を肩へ掛けようとして母親に止められている。
ガダンからアダムの話を聞いたあとだと、その赤い布も少し違って見えた。知らないところで勝手に広まっていると思っていた黒騎士が、もう俺一人のものではないのかもしれない。
「目的地があるっていうのはいいな。 行こう」
「はい!」
「ラザームまで競争する?」
「するわけないだろ」
「即答ね」
「エマを前に乗せてる奴が言う台詞じゃないだろ」
栗毛の鹿が先に歩き出し、黒鹿もそれを追う。後ろには騎士団が残っている。任せられる相手がいるなら、俺たちは次へ進めばいい。
◇
町が見えなくなった頃、エマが前を向いたまま口を開いた。
「でも……やっぱり、身分証を偽造するんですよね?」
「エマ。俺達は何も聞いてない」
「まだそれで押し通すんですか?」
「どこぞの男が勝手に独り言を言ってただけだ」
「その独り言の通りにラザームへ向かってるじゃないですか」
後ろからセラスが笑う。
「アンタ、悪いこと覚えるの早いわね」
「生きるための知恵だ」
「ルクスさんが言うと、なんだか説得力がありますね……」
「そこに感心するな」
正規の道を通ろうとして入口で弾かれた以上、まずは入口そのものを作るしかない。綺麗な方法ではないが、いつまでも身元不明の武装者でいるほうが周囲に余計な迷惑を掛ける。
街道を進むほど、人と荷の流れは目に見えて増えていった。何台もの荷車が連なり、護衛を伴った商隊とすれ違う。積み荷も布や酒樽だけではなく、見慣れない果物や異国風の陶器まで混じっていた。
人の姿も違う。獣耳を隠さない商人、鱗のある腕で荷を担ぐ男、人間の商隊に混じるエルフ。誰もそれを珍しそうに見ない。
「……本当に多いな。こういうの見ると、胸が躍るんだよな」
「言ったでしょ? ここは金さえ出せば、なんでも揃うって言われるくらいだからね」
セラスの言葉通り、ここでは種族より荷物と金のほうが先に見られるらしい。俺の知っている四百年前なら、これだけ違う連中が同じ街道を歩くだけで余計な揉め事がいくつ起きたかわからない。
やがて街道が長い坂へ差しかかり、黒鹿が頂へ出たところで視界が一気に開けた。
その先に広がっていたものを、俺はすぐには昔の村と結びつけられなかった。幾重にも延びる城壁の内側を屋根と塔が埋め、大きな門へ何本もの街道が集まっている。荷車と人の列は途切れず、さらに奥には倉庫や工房らしい建物まで見えた。
「……あれが?」
「ラザーム。千商の都」
セラスの答えを聞いても、記憶の中の土地とは重ならない。俺が覚えているのは土の道と低い柵、それと俺を慕ってくれた少女がいた小さな村だ。
「ルクスさん? 固まっちゃってどうしたんですか?」
エマに呼ばれて、ようやく自分が黙ったままだったことに気づく。
「……いや。四百年って、長いんだなと思ってさ」
数字では何度も聞いた。だが目の前のラザームは、その四百年を土地ごと見せつけてくる。
追われていたあの娘が、俺の手を握って潤んだ瞳で見上げてきた場所に、今では人も亜人もエルフも集まる巨大な街がある。
アーサーたちが守った世界は、俺の知らないところで、俺の想像よりずっと先まで進んでいた。
「行こう」
黒鹿の首筋へ手を置き、街道の先へ視線を戻す。身分証を手に入れるためだけじゃない。あの村がどんな街になったのか、自分の目で確かめたくなった。
お読みいただきありがとうございました。
次回、人と金と物が動く都市では、裏稼業もまた暗躍しています。
そこに伝手を繋げるための策は彼らにあるのか、力技でどうにかするのか。
またこのお話にお付き合いいただけたら嬉しいです。




