第二十話 鹿中の黒鹿、鎧中のルクス
「鬼も騎士どころか、ゴブリンじゃないか!」
町へ続く道の先では、逃げ惑う人々の間を緑色の影が走り回っていた。悲鳴に混じって聞こえるのは、耳障りな笑い声と魔犬の唸り。煙の向こうにもまだいくつもの影が動いている。
俺の下で黒鹿が荒々しく鼻を鳴らした。さっきまで雌鹿に合わせて速度を抑えていた奴とは思えない。白い大角を低く傾け、今にも飛び込んでいきそうだ。
「セラス、この鹿は気性が荒いって言ってたな?」
「かなり暴れん坊よ……あ~……そういうことね。大丈夫よ!」
何が大丈夫なのか詳しく聞く暇はないらしい。
俺は腰の後ろへ手を伸ばし、多次元ポシェットからデアちゃんを引き抜いた。長い突撃槍に近い形状は、馬上――いや、鹿上で振り回すには都合がいい。
その瞬間、兜の内側へ聞き慣れつつある声が響いた。
≪広域探知……敵性存在、二十八≫
≪戦闘適応、デア・トルネードへの侵食供給、開始≫
「なんだなんだ広域探知って! 侵食供給ってのもなんだよ! 説明無しで機能を増やすな!」
「あんた独り言言い出すの怖いんだけど! なに!?」
「あの鎧の身体が、いろいろ教えてくれるらしいです」
「本人もよくわかってないじゃない! いろいろ教えてくれる身体ってなによ!」
「俺に言うな! 勝手に増えたんだよ!」
抗議している間にも、右手のデアちゃんへ異変が走った。
俺が握っている部分から、鎧と同じ黒が細い筋になって這い出していく。血管のように枝分かれしながら表面を広がり、やがて全体を覆い尽くした。
鈍い光を帯びた黒。その各部を金色の縁取りが走り、円環だけが赤く明滅している。
「……いや、だから何なんだこれ!」
得物からの答えがない代わりに、黒鹿が一気に地面を蹴った。
町へ飛び込んだ俺達の正面で、二匹のゴブリンが逃げ遅れた男を追い回していた。棍棒を振り回し、転びかけるたびに甲高い声で笑っている。
その頭上へ黒い巨体が降り立ち、石畳ごと二匹まとめて黒鹿の前脚の下へ沈む。
「うおっ……!」
着地と同時に後ろから迫った一匹にも気づいていたらしい。黒鹿の後ろ脚が跳ね上がり、まともに食らったゴブリンの頭が弾け、遅れて身体が地面に落ちた。
こいつ、本当に騎乗用なのか?
そんな疑問をよそに、黒鹿は前脚で何度も石畳を蹴った。ぶふうっ、と荒い息を吐き、二本の白い大角を振り上げる。
黒鹿が空気を裂くように嘶いた。
「お前、やる気満々だな!」
白い大角を前へ向け、黒鹿は一気に駆け出した。
進路にいた一匹をそのまま轢き潰し、横へ逃げようとした別のゴブリンを角で引っ掛ける。緑色の身体が高々と宙へ放り上げられた。
「良い位置だ! 任せろ!」
俺は鞍の上から身を乗り出し、デアちゃんを横薙ぎに振るった。
宙に浮いたゴブリンをまともに捉え、家の壁まで打ち飛ばす。
「……相性いいな、俺達!」
黒鹿が鼻を鳴らした直後、今度は路地の奥から魔犬が五頭飛び出してきた。その背には一匹ずつゴブリンがまたがっている。
「エマ、手綱持ってて! 放さないだけでいいから掴まってて!」
「は、はい!」
栗毛の雌鹿の背で、セラスが三本の矢をまとめて番える。
弦が鋭く鳴った。放たれた矢は魔犬へ真っ直ぐ向かわず、空高く舞い上がって大きな弧を描く。
五騎が駆け抜けようとした、その頭上から矢が降った。
二本は騎手ごと魔犬を貫き、その勢いを石畳の上へ叩き落とす。残る一本も三騎目のゴブリンを射抜き、乗り手だけが魔犬の背から転がり落ちた。
だが、魔犬の脚は止まらない。
騎手を失った一頭と、まだゴブリンを背に乗せた二頭。残った三頭がそのまま俺達へ殺到する。
俺が手綱へ力を込めるより先に、黒鹿が前脚を強く踏み込んだ。
「おい、何を――うおおっ!?」
黒鹿が前脚を踏み込み、その巨体を一気に横へ流した。
石畳を蹄で削りながら滑り込み、迫っていた三頭をまとめて横薙ぎに弾き飛ばす。
魔犬がもつれ合って宙へ浮き、背に残っていた二匹のゴブリンもたまらず放り出された。
そこへ、間を置かず矢が降り注ぐ。 一本、二本――数える間もない。
転がった魔犬とゴブリンを、セラスの矢が次々に撃ち抜いていく。最後の魔犬が起き上がるより先に首筋へ一本が突き立ち、動かなくなった。
「四百年でさらに腕上げたんじゃないか?」
「ほらね! そうやってちゃんと褒めなさい!」
セラスがエマから手綱を受け取った直後、通りの先から悲鳴が飛んできた。
そちらへ目を向けるなり、栗毛の雌鹿を石垣へ寄せ、片手で手綱を握り直す。
「思いっきり跳ぶからね!」
「え? 跳ぶって――きゃああっ!」
雌鹿が石垣の手前で踏み切った。
蹄が石の上を一度だけ蹴り、そこからさらに高く跳ねる。エマの悲鳴を残して二人を乗せた雌鹿が屋根へ飛び乗った。
「うそぉ……!」
「エマ、またお願い!」
「またですか!?」
屋根を蹴る蹄の音に重なって、セラスの弓弦が鳴った。
町人へ迫っていた一匹のゴブリンが倒れた。そのまま屋根の切れ目を飛び越え、着地とほぼ同時にもう一射。物陰へ逃げ込もうとしたもう一匹も射抜かれる。
勘が鈍ってないか、なんて聞いた俺が馬鹿みたいだ。
少なくとも弓に関しては、俺の知っているセラスそのものだった。
その時、町の奥から獣とも人ともつかない濁った咆哮が響いた。
「……あれが親玉か?」
現れたゴブリンは、他より二回りほど大きい。
剣に盾。どこから奪ったのか、頭にはサイズの合っていない兜まで被っていた。本人はずいぶん立派な指揮官のつもりらしく、剣を振り上げて何かを喚く。
その前へ、五騎の魔犬騎兵が滑り込むように展開した。
ばらばらに獲物を追っていた連中とは違う。大柄なゴブリンの号令を待つように、五頭の魔犬が揃って身を低くする。 剣が振り下ろされると、それを合図に五騎が一斉にこちらへ殺到した。
「騎士を探しにきたら、騎士気取りのゴブリンか!」
五騎が横へ展開し、そのまま一気に間合いを詰めてくる。
だが、牙と蹄がこちらへ届くより先に、進路を遮る半透明の壁が生まれた。
「プロテクション、展開します!」
屋根の上からエマの声が飛ぶと、五騎の進路を断ち切るように半透明の障壁が立ち上がった。
すでに突進の勢いは殺せない。先頭の魔犬がまともに障壁へ叩きつけられ、そこへ後続が次々と突っ込む。騎手まで巻き込んで隊列が一息に崩れ、魔犬とゴブリンが石畳の上へ折り重なって転がった。
「セラスさん!」
「アタシの見せ場よ、任せなさい!」
今度は高いところから矢が降り注いだ。
立ち上がろうとしたゴブリンが射抜かれる。その横で牙を剥いた魔犬にも一本。隊列を崩され、身動きの取れない騎兵をセラスは逃さない。
五騎が倒れ、通りから魔犬の唸りも消えた。
その静けさの向こうで、大柄なゴブリンだけが盾を構えている。
俺は黒鹿に跨ったまま、片腕でデアちゃんをそいつへ向けると円環がひとりでに回り始める。
低い駆動音が次第に甲高くなり、赤い光が残像となって円を描く。黒い本体の各所から火花が散り始めた頃には、もう以前のデアちゃんとは別の何かを握っているような感覚さえあった。
≪魔力供給路、強制接続、開始≫
≪目標捕捉、射線固定≫
「また増え――」
言いかけて、ようやく異変に気づく。
早すぎる。以前ならまだ力を溜めていたはずなのに、円環はすでに射撃へ移れるほど回転を上げていた。
黒鹿が四肢を広げ、石畳へ深く踏ん張る。正面では大柄なゴブリンが盾の陰へ身体を押し込んだ。
間を置かず、デアちゃんが火花と轟音を撒き散らす。
衝撃に右腕が頭上まで跳ね上げられた。それでも鞍上の身体は崩れず、黒鹿も数歩押されるどころか、蹄をわずかに滑らせただけで踏み止まる。
盾は消失していた。
いや、それだけじゃない。盾の向こうにいたゴブリンも、腰から上をまとめて失っていた。
「……片腕で、いけるのか」
頭上まで持っていかれた右腕を引き戻す。
そこでようやく気づいた。前に撃った時ほど、腕に振り回されていない。
神託の間を出てから妙に身体の調子がいいとは思っていた。それでも、以前は両腕で押さえ込んでいたデアちゃんを、片腕で撃てるとは思っていなかった。
「お前もよく踏ん張ったな」
首筋を叩くと、黒鹿は満足そうに鼻を鳴らした。
その足元で、大柄なゴブリンの死骸から魔力が抜け出していく。
淡い流れが俺へ吸い寄せられ、黒い装甲へ触れたところから内部へ沈んでいった。
魔力を吸われた死骸は、すぐに色を失い始める。
白く乾き、石灰化していく速度が明らかに早い。とくに大柄だったこいつは変化が激しく、残った身体の表面にはもう細かなひびが走っていた。
崩れた肉の間から、小さな硬いものが石畳へ転がる。
「魔石......ただの大きいゴブリンではなかったってわけか」
これまで見たものより、やや小さい。 拾うのは後だ。
≪敵性存在、反応無し≫
その声を聞いても、すぐに武器を収める気にはならなかった。
広域探知なんて名前ではあるが、どこまで探せるのか説明されていない。さっきの二十八が消えたことは確かでも、その範囲の外まで安全だとは限らない。
「セラス、まだ周囲に残ってるかもしれない。 被害も含めて確認してくる」
「わかった、エマはアタシが見てる!」
栗毛の雌鹿が屋根の縁を蹴り、軽やかに通りへ飛び降りた。
エマは着地するなり鞍から降り、倒れている町人へ駆け寄った。
「動ける方は手伝ってください! 出血が多い人からこちらへ!」
セラスはそのそばに残り、弓を手に路地や建物の陰へ目を配る。
俺は黒鹿を落ち着かせながら周囲を見回した。
「おい、もう終わりだって。前脚で地面掘るな」
黒鹿はまだやる気満々らしい。頼もしい相棒ではあるが、今度は町まで踏み荒らされちゃ困る。
ふと周囲を見れば、助かった町人たちは俺達から少し距離を取ったままだった。
……まあ、そりゃそうか。
黒い鎧に赤いマント。隣にはゴブリンを踏み潰して回った巨大な黒鹿である。
「厄介と言いながらも、これを名乗ったほうが早いのがもっと厄介なんだよな……」
俺は腹を決め、出来る限り大仰に声を張った。
「黒騎士ルクスだ! 賊は打ち倒した! 負傷者を集めてくれ!」
その名を聞いた町人たちの間に、どよめきが走った。
「黒騎士……?」
「詩の黒騎士か!」
「聖女様もいるぞ!」
「だから聖女じゃ――今はいいです! その人をこっちへ!」
エマの呼びかけをきっかけに、立ち尽くしていた町人たちが一斉に動き出した。
倒れている者へ駆け寄り、肩を貸し、抱え上げる。ほどなくして、負傷者が次々とエマのもとへ運び込まれてきた。
しばらく治療を続けたところで、エマの呼吸が目に見えて重くなった。セラスがそれを見逃さず、腰のポシェットから小瓶を取り出す。
「エマ、これ。エルフの調合したエーテル。ちょっと苦いけど即効性あるから飲んで」
「はい! ありがとうございます……う”ぇぅ……ちょっと……?」
「ちょっと苦いって言ったでしょ?」
「これ、ちょっとの範囲ですか……?」
ひどい顔をしながらも、エマはきっちり最後まで飲み切った。
あれだけ苦い苦いと言えてるなら、まだ大丈夫そうだ。
その間に、俺は黒鹿を走らせて町の外周を一巡した。門の外から畑、街道沿いの茂みまで目を通し、探知の範囲から外れていそうな場所にもゴブリンや魔犬が残っていないことを確かめてから町へ戻る。
通りでは、動ける町人たちが負傷者を運び、壊された家や店の被害を確かめ始めていた。エマはまだ治療を続けており、セラスもその近くで周囲への警戒を解いていない。
これなら、ひとまず大丈夫そうだ。
そう思った矢先、街道の方から複数の馬蹄が響いてきた。振り向けば、数騎の騎馬が土煙を引きながらこちらへ近づいてくる。
先頭の男が身につけた装備には見覚えがあった。
「……騎士団か」
お読みいただきありがとうございました。
次回は黒騎士探索を命じられた第二騎士団と黒騎士が遂に相対します。
またこのお話にお付き合いいただけたら嬉しいです。




