第十八話 旅立つのなら晴れた日に胸を張って
神々の森の里へ来て、四日が過ぎた。
五日目の朝。俺は神託の間で、両手を開いては握る動きを何度か繰り返していた。
巨大な樹の根元を満たす静かな水面に、色とりどりの花びらが浮かんでいる。初めてここへ来た時と変わらない景色だが、水面に映る俺の姿だけはずいぶん変わった。
胸部を抉られていた痕も、半ば壊れていた左肩も、もう残っていない。細かな傷まで消え、黒い装甲は完全に元の姿を取り戻している。
この身体は魔力を取り込むことで損傷を修復する。純粋な魔力が濃い神託の間は、そのために都合がよかった。
腕を回し、肩を動かす。引っかかりはない。それどころか、以前より身体を巡る魔力が滑らかになったような感覚まである。
「……直っただけじゃなさそうだな」
何が変わったのかは、まだわからない。
少なくとも動かす分には問題ない。以前なら左肩を大きく回した時にわずかな引っかかりがあったが、それも消えている。
理由のわからない変化を、ここで考え込んでも答えは出ない。なら今は、それで十分だ。
◇
里へ戻ると、セラスに呼ばれた。
部屋にはエマのほか、外の調査から戻ったエルフが二人いる。卓上には、この辺りの地理を記した地図が広げられていた。
騎士団が俺とエマを探しているとわかったあと、セラスは外の様子を調べるために人を出していた。その報告が戻ってきたらしい。
「このフェザーメルという街まで騎士団が来ていることは確認できています」
エルフが地図の一点を指した。
指し示された場所を見て、すぐにわかった。俺とエマが山賊どもの襲撃に巻き込まれ、防衛戦に参加した街だ。
「ここまで来てるのか」
「ええ。私たちが確認できたのは、そこまでです」
十分だ。
俺たちはあの街を出てから五日かけて神々の森まで歩き、森へ入ってからも一日進んでいる。そのうえ、ここで四日過ごした。あの街を離れてから、もう十日ほど経っている。
騎士団が俺たちを探していること自体はわかっている。だが、目的まではまだわからない。捕まえたいのか、話を聞きたいのか、それとも別の理由があるのか。そこは直接確かめるしかなさそうだ。
向こうも俺たちを探して動いているなら、わざわざ騎士団がいると確認された街まで行かなくても、途中で出会う可能性はある。こちらも同じ方向へ進めば、どこかで距離は縮まる。
「この途中にある町までは?」
「森を出てからなら、ここの騎乗鹿で一日ってところね」
セラスの指先が、地図の上を少し滑って町で止まった。
「なら、まずここまで行く。そこで会わなきゃ、そのまま向こうへ進めばいい」
「ちょっと待ちなさいよ」
セラスは地図から顔を上げ、まっすぐ俺を見る。
「あちらの動向がわかるまではいたらいいじゃない」
「もう四日も世話になってるだろ」
「そういう話じゃないわよ」
返ってきた声から、いつもの軽さが少し消えた。
「あんたがアーサーや私たちを守った分くらい。私にもあんた達を守らせなさい」
返す言葉を、すぐには選べなかった。
四百年前、俺が一人で残ったことを、こいつはまだ許していないと言った。あれが必要だったと理解していても、残された側まで納得できるわけじゃない、と。
あの言葉を聞いたばかりで、今の一言を軽く流す気にはなれない。
セラスが言うように、この里でもう少し様子を見る選択もある。
それでも、いつまでもここに留まっているつもりはなかった。
「……ありがとな」
「だったら――」
「でも、このまま逃げまわるのも性に合わないし、なにか悪いことをしたつもりもない。騎士団と面会してくる」
セラスは一度だけ息を吐き、俺から視線を外さなかった。
「……そう言うと思ったわ」
止めても変わらないとわかったらしい。それ以上は言ってこなかった。
横で話を聞いていたエマが、そこで何かに気づいたように口を開く。
「ルクスさん、もしかしてデアちゃん持ってきちゃったからじゃ……」
「あれは……山賊連中が落としたのを拾っただけだ」
「落とした、ですか?」
「細かいことを気にするな」
「細かいんでしょうか……」
エマは納得していない顔で俺の周りを見回し、それから首を傾げた。
「そういえば、運んできた荷物もですけど、そのデアちゃんもどこにいったんですか?」
やっとそこに気づいたか。 待ってましたとばかりに、腰の後ろへ手をやる。
「なぜか聞きたいか、エマ」
括りつけた多次元ポシェットを、自慢げに叩いてみせる。
「……なんか面倒なことになりそうなんで、大丈夫ならいいです……」
「そこは聞いてくれよ」
「ちゃんと持っていけるんですよね?」
「問題ない」
「ルクスさんの『問題ない』には不安もありますけど。 ないなら、それでいいです」
自慢する機会を見事に潰された。
「それと、エマ」
「はい?」
「お前はここに残ってくれ」
エマは一瞬、言葉を失った。
さっきまでの呆れた空気が、すっと消える。
「……どうしてですか?」
「騎士団が何のために俺たちを探してるのか、まだわからない。俺が捕まるだけならともかく、何か罰を受けることになったら、お前まで付き合う必要はないだろ」
少なくとも、この里なら安全だ。セラスもいる。
そう思って言ったのだが、エマは迷わなかった。
「わたしも、聖女様に誓って間違ったことはしてないって言えます」
「エマ」
「それに、一人にしないでくださいって言ったじゃないですか」
そこで言葉が止まった。 安全な場所に残した方がいい。巻き込みたくない。
俺からすれば、それだけのつもりだった。
だが、それを決められる側がどう思うのかは、ついこの間セラスに聞かされたばかりだ。
「……そうだったな」
「そうですよ。約束しましたから」
「じゃあ一緒に行くか、相棒」
「はい!」
さっきまでとは打って変わって、弾んだ返事が返ってきた。
◇
出発すると決まってから、エマの周りだけ妙に騒がしくなった。
「エマ、これを持っていきなさい」
「えっ、いいんですか? ありがとうございます!」
「こっちも。旅の途中で使えるから」
「ありがとうございます!」
「また来なさいよ」
「はい! 絶対来ます!」
最初は一つだった包みが二つになり、気づけば小袋まで増えている。渡し終えたと思ったら、今度は別のエルフがやってくる始末だ。
「向こうでもちゃんと食べなさいよ」
「はい!」
「無茶はしないこと」
「気をつけます!」
人間を避けがちだと聞いていたエルフたちだが、エマはこの四日ですっかり馴染んでいた。
大水源で森のために動いたこともあるのだろう。それ以上に、こいつは誰が相手でも変に構えず、話はきちんと聞くし、頼まれたことには真面目に向き合う。
そういうところが気に入られたらしい。
「……旅行に行くわけじゃないんだが」
「わ、わたしがお願いしたわけじゃないですよ!」
「エマ、これも」
「あ、ありがとうございます!」
「増えてるぞ」
「断れないじゃないですか!」
結局、増えた分は俺がまとめて預かることになった。
最後の包みまで片づいたところで、エマが何かを思い出したように手を叩く。
「そうだ。ルクスさん、これ!」
エマが最後に取り出したのは、鮮やかな赤いマントだった。
「赤?」
「やっぱり、ルクスさんにはこれがなきゃですよ」
そう言われてみれば、今や黒い鎧に赤い布という組み合わせは、俺より世間の方がよく知っているらしい。元を辿れば、ただ身につけていただけの布だ。それが詩にまで歌われるようになるとは、人生どう転ぶかわからない。
「ありがたく使わせてもらう」
「じゃあ、付けますね」
エマが留め具を手にしたので、俺はその場で腰を落とした。
「これくらいでいいか?」
「はい。そのままでお願いします」
首元に手が伸び、金具が装甲へ留められる。やがて赤い布が肩から背へ落ち、朝の風を受けて揺れた。
「できました!」
立ち上がると、エマが満足そうに俺を見上げている。
「……これで満足か?」
「すごく似合ってます」
「そりゃどうも」
自分で言うのもなんだが、これではますます例の詩に出てくる黒騎士だ。
「準備はできた!?」
そこへ、不意に声が飛んできた。
聞き慣れた声なのに、そちらへ顔を向けた瞬間、誰なのかわからなかった。
水面を引きずるほど長かった銀髪は、肩口までばっさりと短くなり、毛先が外へ跳ねている。花冠もヴェールもなく、身につけているのは動きやすそうな軽装だ。
姫巫女として立っていた昨日までの姿とは、ほとんど別人だった。
ただ、四百年前を思わせる格好に戻ったせいで、昔との違いも嫌でも目につく。上着は胸元が張り、腰から下も布地がぴったりと身体の線を拾っている。
「……髪はどうしたんだ......というか、お前も来るのか?」
「冒険よ? 当然、行くわよ」
「姫巫女はどうするんだよ」
俺が聞いた途端、少し離れたところにいた狩猟長が頭を抱えた。
「お止めしたのですが、お聞きくださらず……」
「だって行きたいんだもの。 腕は鈍ってないわよ!」
「姫巫女様……」
狩猟長の声が沈む。
「……昔からこうなのか?」
「ルクス殿なら、ご存じかと」
「まあ、そうだな」
「二人して何よ!」
止めたところで聞く相手じゃない。それは四百年前からよく知っている。
それに、セラスが一緒なら助かる。今の世界について俺より遥かに詳しいし、戦いになれば背中を預けられる相手だ。
四百年前に別れた仲間と、また同じ道を歩く。
そう考えると、少しだけ出発が楽しみになった。
「じゃあ、行くか」
「はいっ!」
エマが元気よく答える。
セラスも上機嫌に笑うと、俺たちの方を向いたまま大きく胸を張った。肩口で跳ねる銀髪まで、勢いよく揺れる。
「さあ! 冒険の時間よ!」
その勢いに耐えきれなかったらしい。
ぶちっ、と最初の一つが弾けた直後、もう一つも続いて胸元から飛び出した。
「おい――」
言い終えるより先に、そのうちの一つが一直線にこちらへ飛んでくる。
カンッ、と乾いた音が兜に響いた。
足元へ落ちたものを見ると、さっきまでセラスの上着を留めていたボタンだった。
拾い上げて見せると、セラスの勢いがさすがに止まる。
「……出発する前から装備を壊すなよ」
「う、うるさい! ちょっときつかっただけよ!」
「ちょっとで二つ飛ぶのか?」
「ルクスさん、それ以上はやめた方が……」
「エマまで何よ!」
四百年ぶりに増えた旅の仲間は、どうやら最初から賑やからしい。
俺とエマ、それにセラス。
三人での旅が、ここから始まった。
お読みいただきありがとうございました。 二人の旅に古くて新しい仲間、セラスが加わりました。
次回、ルクス達は黒騎士探索を行う騎士団との接触を試みます。
またこのお話にお付き合いいただけたら嬉しいです。
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