第十七話 時には昔の話を
「来なさい。里まで案内するわ」
セラスは俺たちを待たずに歩き出した。膝裏まで伸びた銀髪に花冠とヴェール、淡い青の衣装。姿は四百年前とずいぶん違うのに、こっちがついてくると疑いもしない歩き方だけは昔のままだ。
「それで、大水源では何があったの?」
「でかいカエルがいた」
「雑」
「まだ一言目だろ」
「それで終わったら、もう一発蹴るところだったわ」
「危なかったな」
「ルクスさん、たぶん危なかったのはそこじゃないです」
仕方なく、必要なところから話す。
「ブル・トードによく似た魔獣だった。ただ、俺が知ってる奴より遥かにでかい。水中じゃ速く、長い舌を使う。粘液には毒があって、大水源の水も周りの草木も汚染されてた」
「それを倒したの?」
「倒した。最後は向こうから俺を丸呑みにしてきたから、中で発火のスクロールと炎属性の魔石を使った」
セラスの足が止まりかけた。横ではエマまで嫌そうな顔をしている。
「何してんの、あんた」
「倒せると思ったから倒した」
「普通、食われた側が言う台詞じゃないわよ」
「わたしもそう思います」
「爆発する前にエマがプロテクションを張ってくれた。飛び散った毒や粘液はそれで防いだ。討伐後はアンチドートも使ってもらってる」
「あれは毒も大変でしたけど……臭いが……」
「まだ言うのか」
「ルクスさんにはわからないから言えるんですよ」
今の俺には嗅覚がない。知らないままでよさそうだ。
「アンチドートで消せたのは、ルクスさんに付いていた毒素と臭いだけです。大水源そのものは、わたし一人じゃとても……」
「その後、水の中と周辺も確認した。他の個体はいなかったし、幼体や卵らしいものも見つけてない」
「なるほどね」
「里に影響は出てなかったのか?」
「大丈夫。里で使ってる水には異常は出てないわ」
迷いのない返事に、ひとまず安心する。
「たぶん、ここへ来る途中で精霊たちか森が浄化してたんでしょうね。それなら私に一言くらい知らせてくれてもよかったのに」
「神託はなかったのか」
「なーんにも」
「じゃあ、俺たちを大水源へ向かわせたのは?」
「精霊たちでしょうね。最初から二人に任せるつもりだったのかもしれないけど」
「姫巫女でもわからないのか」
「知らないわよ。あの子たち、気まぐれだもの」
精霊の意図は結局わからない。そこで別の疑問が浮かんだ。
「この姿で俺だってよくわかったな」
「私は姫巫女なのよ。魂の色と波長が見えるんだからわかるわよ」
「へえ」
兜に軽い衝撃が来た。
「……俺はいま、なんで叩かれる必要があったんだ?」
「姫巫女って言わなきゃいけなくなったでしょ」
「自分で言ったんだろ」
「うるさい」
理不尽さまで以前のままだ。妙に懐かしい。
◇
里へ戻ると、大勢のエルフが待っていた。さっきまで弓を向けていた者もいるが、今は誰も武器に手を掛けていない。
「聞いての通りよ。彼らは大水源の問題を解決した。精霊たちも神託の間に導いた」
「正式な客人としてもてなしなさい」
セラスの一言で扱いは決まった。これで侵入者として矢を射られることはなさそうだ。
「これで、いきなり矢を射られる心配はなさそうですね」
「ちょっと惜しいな」
「何がですか」
「初対面としてはかなり印象に残った」
「二度といりません」
エマは真顔だった。
里の中へ入ったところで、セラスが彼女へ向き直る。
「あなたが頑張ってくれたのね。感謝するわ」
「い、いえ。できることをしただけで……」
「あなたは客人なの。ゆっくり休んで」
「でも……」
エマの視線が俺とセラスの間を行き来する。この後の話が気になるのだろう。
「休んどけ。疲れてるだろ」
「ルクスさんまで……」
「話は逃げない」
「……ちゃんと後で教えてくださいね」
「ああ」
エマを案内役に預け、俺とセラスは里の一室へ移った。
二人きりになると急に静かになる。俺にはつい最近の別れでも、セラスにとっては四百年前だ。
「で?」
「なんだよ」
「あの後、あんたはどうなったの?」
「お前たちを逃がしてからもしばらくは戦ってた。そこまでは覚えてる」
「その後は?」
「ない」
「ない?」
「記憶が。次に気づいたら四百年後だ。しかも身体はこれ」
胸元の装甲を示す。なぜこうなったのかも、なぜ四百年眠っていたのかもわからない。
「……中身がなかったのよね」
「そういうこと」
「その身体については?」
「何もわかってない。俺が聞きたいくらいだ」
「なによそれ。私だって知らないわよ、そんなもの」
「じゃあ、お前は?」
「私?」
「そっちは四百年あるだろ。何してたんだ」
「ああ。しばらく皆と旅して、その後は東の大陸に行ったり、冒険者やったり。こっちにいると勇者の仲間扱いで、やりにくいことこの上なかったんだから」
「それで戻ってきて、ここのまとめ役か」
「そう。気づいたらこの格好で姫巫女様よ」
「……それで四百年終わりか?」
「終わり」
「情報が少なすぎないか?」
「歴史の授業になるわよ。全部聞く?」
「今日はいい」
「賢明ね」
俺が本当に聞きたかったのは別にある。
「……あの後、みんなは?」
セラスはすぐに答えた。
「全員、生きて出たわ」
「……全員?」
「アーサーも、ヴィルキスも、ランドルムも、リーネも。私も。あんたが残ってくれたから、私たちは逃げ切れた」
残ったことを後悔したことはない。それでも、誰かが追いつかれなかったか、俺の代わりに残らなかったか。その答えだけはなかった。
「……そうか。よかった」
「アーサーは、その後も戦った。私たちを引っ張って、魔神も倒した。最後までね」
魔神を討ったことはエマから聞いている。知りたかったのは、幼馴染のあいつが俺のいない先へ進めたかどうかだ。
「……あいつ、ちゃんとやったんだな」
「ええ。ちゃんとね」
「ランドルムは?」
「あいつは、なんだか大きいとこのお偉いさんになったらしいわ」
「情報が雑すぎないか?」
先刻から会話に上がってくる大半の話題に、明確な答えがろくに出ていないと思うのは、気のせいではないだろう。
「私が冒険者続けてる間に偉くなって、いつの間にか寿命で死んでたのよ。ずっと一緒にいたわけじゃないんだから仕方ないでしょ」
本来は戦場に出てくるより、学者気質の男だった。
偉くなった後も、あいつならどこかで研究を続けていたのであれば、良い人生になったのだと思いたい。
「リーネは……あの娘がいちばん変わったわね。あんたがいなくなった後、見た目はいちばん冷静だった」
「リーネが?」
「泣き崩れもしない。喚きもしない。私たちが止まりそうになったら、先に進めって言ってた。拳から血が落ちるほど握りしめてたくせにね」
冷静だったんじゃない。自分まで崩れたら皆が止まるから、耐えていたのだろう。
「その後も人を助け続けて、いつの間にか聖女様よ」
「……あのリーネが聖女か」
「何よ、その反応」
「似合わんなって。 エマが憧れだというから、伝承で誇張されているのかと思っていた」
「あの娘が聞いたら、酒瓶が飛んでくるか拳で殴られるわよ」
「それは昔も同じだろ」
頬杖をついているセラスの口元が緩む。
「逆に、いちばん感情的だったのはヴィルキス」
「ああ……」
「なにが勇者だ、仲間の一人も守れずに世界を救えるのかって。アーサーに得物を向ける勢いだったわ」
「……あいつ、何やってんだ」
「止めるこっちの身にもなってほしかったわよ」
皆を任せた直後に何をやっているんだ。だが、あいつならやりかねない。
リーネにしてもヴィルキスにしても、形は違えど示してくれるものがあるのは嬉しく感じた。
「それで、ヴィルキスは?」
「竜人だしね。どうせあいつはまだ生きてるわ。会いに行くなら本人から聞きなさい」
「どうせって」
「あいつがそう簡単に死ぬと思う?」
「……思わないな」
なら、四百年間どうしていたのかは本人に聞けばいい。
会えるのであれば、蹴りではなく槍か竜のブレスが飛んでくる可能性があるが。
「そうだ。ちょっと待ってなさい」
セラスが席を外し、ほどなくして戻ってきた。
その手にある濃茶色の革製ポシェットを見た瞬間、言葉が止まる。古びてはいるが、四百年前に俺が使っていた多次元ポシェットに間違いない。
「……俺の」
「ええ。晩年のアーサーが私を訪ねてきたの。あんたの荷物を探して、これを見つけたって。私に預けていったわ」
「アーサーが?」
「まさか本人に返す日が来るなんて、あの時は思わなかったけどね」
俺が死んだと思っていたはずなのに、あいつはこれを探した。今は、それだけで十分だった。
「……そうか」
「ルクス。言える日が来るとは思ってなかったけど、言いたかったことがあるの」
「ん?」
「あんたのおかげで助かった」
「さっきも聞いたぞ」
「最後まで聞きなさい」
ぴしゃりと返され、黙る。
「あんたが残ってくれたから、私たちは逃げ切れた。本当に感謝してる」
「ああ」
「でも、あんたを許してないから」
「……俺、何かしたか?」
「当たり前でしょ。勝手に一人で残って、私たちだけ逃がしたんだから」
「でも、助かったんだろ?」
「それとこれとは別!」
この勢いとヴィルキスの話を聞いた後では、言い返しにくい。
「あれが必要だったことも、正しい判断だったこともわかってる。でもね、残された方まで『正しかったから仕方ない』って納得できると思う?」
俺にはあの場で残るまでしかなかった。こいつらには、その後が四百年続いた。
「……悪かった」
「なに素直に謝ってんのよ。調子狂うじゃない」
「じゃあどうしろってんだ」
「知らないわよ」
理不尽だ。だが、その声にはもう棘がなかった。
その目端に浮かんでいるものを、茶化す気にもならなかった。
「まあ……帰ってきたから」
「ん?」
「とりあえずは許してあげる」
「とりあえずなのか」
「四百年分よ。安いもんでしょ」
「それで、あんたはこれからどうするの?」
目覚めてから、わからないことばかりだった。その答えを一つずつ拾いながら、ここまで来た。
「みんなが守った世界が、いまどうなってるのか。それを自分の目で見てみたい」
「まだ会える奴もいるみたいだしな」
「そう。いいんじゃない」
話も一段落かと思ったところで、セラスの声が急に跳ねた。
「それよりも!」
「急だな!」
「あんたの身体はどうなってんのよ。しかもあんな美少女侍らせて、良い御身分じゃないの」
「侍らせてねえよ」
「エマって言ったわよね?」
「旅の仲間だ」
「へえ」
「なんだその顔」
「別に?」
絶対に別にではない。
「あのな──」
「姫巫女様、失礼いたします」
外から声が掛かり、会話が途切れた。
「入って」
姿を見せたのは里の狩猟長だった。俺を見る目に警戒はない。
「お姿は変わられたが、姫巫女様がルクス殿と言うならお間違いないようですな」
「俺を覚えているのか?」
以前、アーサーたちと訪れた時のことを覚えているらしい。長命のエルフなら不思議でもない。
「ええ。その節は、姫巫女様が大変お世話に──」
「そういうのいいから。なにか報告?」
「……承知しました」
「王国との交易に出ていた者たちから報告がありました。市井では『黒騎士と聖女』の詩が出回っており、その二人を騎士団が探索しているとのことです」
黒騎士と聖女。嫌なほど心当たりがある。
「該当するのは、ルクス殿とエマ殿ではないかと」
「……あんた、なにかやらかしたの?」
「やらかした記憶はないが、その詩は俺とエマのことだ。元凶からそう聞いている」
頭のなかに、あの胡散臭い男の顔が浮かんだ。
お読みいただきありがとうございました。
エマから聞いた伝承で魔神を打ち倒したとは聞いていましたが、その中の一人であるセラスから直接聞けたことで、五人が無事だったことに安堵したルクスでした。
次回は幕間となり、ルクスとエマを追う側である騎士団の話です。
またこのお話にお付き合いいただけたら嬉しいです。




