第十五話 花冠への道標
朝になっても、森は薄暗かった。
頭上を覆う枝葉が朝の光を細かく砕き、野営地まで届く頃には淡い緑色へ変えている。
昨夜、砂糖漬けの果実を置いた大きな葉を見ると、残っていた分もきれいになくなっていた。代わりに置かれているのは、白い花が一輪。
俺が拾い上げていると、火の始末を終えたエマが隣から覗き込んだ。
「全部なくなってますね」
「ああ。気に入ったらしい」
「……次も要求されたりしません?」
「その時は交渉だな」
「何と交渉するんですか……」
それについては俺も知らん。
白い花を荷物の脇へ置き、朝食を取っているエマの向かいへ座る。俺自身は食わないので、正確には見ているだけだ。
しばらく黙々と食べていたエマが、ふと思い出したように顔を上げた。
「ルクスさん。なんであのカエルに飲み込まれる時、デアちゃんじゃなくて魔石とスクロールだったんですか?」
「……デアちゃん?」
「それの名前です」
エマが少し離れたところへ置いてあるデア・トルネードを指す。
「ルクスさんが考えろって言ったんじゃないですか」
「ああ……考えろと言ったのは俺だったな」
まさか、その方向へ行くとは思わなかったが。
「もう、それでいい」
「決まりですね」
妙に満足そうな顔を眺めながら、俺は昨日のブル・トードを思い返す。
「あの水に浮く粘液。それに、あの脂がたっぷり乗ってそうな身体だ。体内から燃焼させればいけると思ったんだ」
「デアちゃんじゃ駄目だったんですか?」
「一点に威力を叩き込むなら強い。ただ、あの巨体を一点突破だけで仕留めきれる確証がなかった」
身体の外から叩いても、あの厚い皮と粘液には随分と邪魔をされた。腹の中なら話は別だ。逃げ場のない場所で炎を広げた方が、確実に致命傷へ届く。
「……ちゃんと考えてたんですね」
「どういう意味だ」
「いえ、別に」
エマが急に朝食へ集中し始める。
さっきから妙に丁寧に皿の上を整理しているとは思っていた。
いや、整理じゃないな。
「……エマ、話を逸らそうとしたのかもしれんが。その避けた野菜もしっかり食べろ」
「う゛っ……」
図星だったらしい。
◇
野営地を片づけ、川沿いを歩き始めた。
昨日より身体の動きは軽い。
胸部を大きく抉っていた傷も、左肩の欠損も、まだ完全には消えていない。だがブル・トードから得た魔力が回ったおかげか、補修は明らかに進んでいる。
エマも一晩休んで足取りは戻っていた。もっとも、魔力まで完全に戻ったわけではない。
川は森の奥へ向かって細く蛇行していた為、俺はいつもより少し歩幅を抑えて進む。
不意に前を歩くエマの外套へ葉が一枚落ちた。エマは気にせず払う。
しばらくすると、今度は肩へ一枚。さらに歩けば、髪の上へ小さな花が乗っていた。
「エマ、頭」
「はい?」
言われた場所へ手を伸ばし、薄紫の小さな花を手に取る。
エマはそれをしばらく見たあと、周囲を探すこともなく溜息をついた。
「……わたしで遊ぶの、やめてもらえません?」
返事はない。少し離れた場所で、枝先だけが揺れた。
「聞いてませんね」
「楽しんでるんじゃないか」
「誰のせいでこうなったと思ってるんです」
「俺か?」
「昨日お菓子あげたじゃないですか」
「それは火を借りる礼だ」
「わたしのだったんですけど」
そこはまだ根に持っていたらしい。
少し進んだところで、エマの足元の落ち葉が突然ぱっと舞った。
その下から、太い根が現れる。踏み出しかけていたエマが慌てて足をずらした。
「あぶな……」
転ばずに済んだエマは根を見て、それから葉が舞った方を見る。
しばらく考えたあと、
「……ありがとうございます」
とだけ言った。
頭上で、かさりと葉が鳴った。
それ以上は何も起こらなかった。
◇
昼を過ぎる頃には、川沿いをそのまま進むのが難しくなってきた。
地面から突き出した太い根が何本も川岸を横切り、その間へ岩が食い込んでいる。川そのものも根と岩の隙間へ入り込み、先が見えない。
俺だけなら越えられるが、エマと荷物を連れて進むには面倒な地形だった。
「ここは止めた方がいいな」
俺が前方を見ながら言うと、エマも根の高さを見上げた。
「登れなくはないですけど……荷物が引っ掛かりそうです」
「そこまでして川に拘る必要もない」
少し戻り、通れそうな場所を探す。
その時だった。
少し離れた地面へ、白い花が一輪落ちた。
見覚えがある。昨夜、砂糖漬けの果実の代わりに残されていたものと同じだ。
さらに奥へ視線を向けると、また一輪。その先にもある。
エマが最初の花を拾った。
「……こっち?」
返事はない。 ただ、奥の枝がゆっくりと揺れた。
俺は塞がれた川岸と、白い花の続く方角を見比べる。
「川はもう使えん。付き合ってみるか」
「大丈夫なんでしょうか」
「ここまで来て道だけ教えて落とし穴、ってのも性格が悪すぎるだろ」
「それ、否定できないのが嫌なんですけど……」
それでもエマは花を戻さず、そのまま持って歩き始めた。
◇
白い花を追ううち、森の様子が少しずつ変わった。
最初に目についたのは、木々の太さだった。
初めのうちは何本か大きなものが混じっている程度だったのが、進むほど、それが当たり前になっていく。少し先に立つ一本など、幹だけで今の俺を三人並べても足りそうにない。
根も地中だけには収まらず、地面を持ち上げるように大きく張り出していた。その間には俺の腰ほどまである葉が重なり、隙間から形も色も違う草花が顔を出している。
頭上の景色も変わっていた。
遥か高いところで枝葉が幾重にも重なっている。それだけ覆われているなら暗くなってもよさそうなものだが、不思議と足元まで淡い光が届いていた。
そして、いつの間にか悪戯もなくなっていた。
俺たちは言葉を交わさないまま、巨大な木々の根を避け、ところどころに落ちている白い花を辿って森の奥へ進んだ。道に迷いそうになる頃には、必ず次の一輪が見える場所に落ちている。
曲がりくねった太い根を越え、二本の巨木が狭く作った隙間を抜ける。
しばらく歩いたところで、ふいに次が見つからなくなった。
足を止めて振り返る。
最後の一輪は、少し後ろの盛り上がった根の脇に落ちていた。
「……ここまで、ってことですかね」
エマが小さな声で言う。
「みたいだな」
周囲を見ても、先ほどまでのように道を示すものはない。
代わりに、木々の向こうがわずかに明るくなっていた。
密集していた幹の間に隙間ができ、重なっていた枝葉もその先だけ薄くなっている。木漏れ日とは違う淡い光が、その奥からこちらへ滲んでいた。
俺はしばらく様子を窺ったが、鎧から警告はない。
エマを見ると、彼女も黙って頷いた。
白い花の案内は終わった。ここから先は、自分たちで進めということらしい。
二人で巨木の間を抜けると、その先で森が大きく開けた。
◇
視界が開けた先で、最初に目へ入ったのは一本の樹だった。
「……でかいな」
ここへ来るまでにも、俺の身体を何人も並べなければ届かないほど太い木は何本も見てきた。それでも、目の前に立つ一本は明らかに別格だった。
大きく張り出した幹は、どこまで近づけば全体を見渡せるのか分からないほど太い。そこから伸びた枝は高いところで幾重にも広がり、空そのものを支えているようにも見える。何年ここに立ち続けているのか、見当もつかなかった。
その巨大な樹の傍らには、静かな水面が広がっていた。
深さまでは分からない。ただ、波ひとつ立たない水が頭上から落ちる淡い光を薄く映し、その上を無数の花弁が漂っている。赤や白、青、紫。見覚えのある形もあれば、俺の知らない花のものも混じっていた。
そして、その花弁の浮かぶ水面に、一人の女が立っていた。
こちらには背を向け、先ほどの巨大な樹を見上げている。
まず目を引いたのは銀色の髪だった。腰どころか足元を越え、水面へ届いた先まで長く伸びている。
身に纏っているのは薄い布を幾重にも重ねたようなドレスで、頭には花冠。
その花冠から垂れたヴェールが横顔まで覆っているため、顔立ちはよく見えない。
あまりに周囲の景色へ溶け込んでいたせいか、エマも声を出さなかった。
俺もすぐには話しかけられない。
ここへ来るまで、森の中には絶えず何かしらの気配があった。枝葉が揺れ、何かが走り抜け、姿の見えない誰かに弄ばれているような感覚もあった。
だが、この場所だけは違う。
森の音まで、ここへ入るのを遠慮しているように静かだった。
その中で、樹を見上げていた女がゆっくりと動いた。
俺たちの気配に気づいたのか、身体がこちらへ向いていく。それに合わせて長い銀髪が水面を滑り、浮かんでいた花弁がかすかに揺れた。
ヴェールに隠された顔が、こちらを向く。
その奥にある視線が、俺を捉えた。
お読みいただきありがとうございました。
大樹の並ぶ深い森を抜けた先にいたのは、花冠を戴く銀髪の女性。
ルクスの知己であるセラスとの再会は出来るのか。次回、お付き合いいただけたら嬉しいです。




