第十話 星が瞬くこんな夜に
戦いから二日後の朝、町には槌の音が戻っていた。
焦げた板を外す音に、石を積み直す響きが重なる。煤の残る通りを人々が行き交い、壊れた町は傷口を縫うように少しずつ形を取り戻していた。
エマは歩きながら、鞄へしまった革袋を何度も確かめていた。
「落とさないだろ、それだけしっかり入れておけば」
「分かっています。でも、こんなにいただいたのは初めてで……」
昨日、ヒルダは遠慮するエマへ、報酬の入った革袋を押し付けた。
微笑みながらではあったが、有無を言わせぬ強さで。
『お礼ではありません。あなたが治癒術士として果たした仕事への報酬です』
その言葉を思い出したのか、エマは鞄から手を離した。
「ちゃんと働いて得たお金、なんですよね」
「ああ。誰にも遠慮しなくていい」
「では、大切に使います!」
「全部貯め込むなよ。必要な時には使ってくれ」
「ルクスさんに言われたくありません」
「俺は使ってるぞ」
「妙な兵器ばかり拾うのは、買い物とは言いません」
「それはタダで貰ったんだ。買ったわけじゃない」
西門へ着くと、カイエンが門柱の脇で待っていた。口元の古傷を歪めながら、古布で包まれ、俺の背に括りつけたデア・トルネードを見る。
敵の指揮役が最後まで使っていた一基だ。円錐形の前部にも金属環にも歪みはない。
「本当に持っていく気か、それ」
「報酬はいらないと言ったが、代わりにこいつを貰う」
「堂々と言うなってんだ。一応そいつは押収品だぞ」
カイエンは俺と兵器を見比べ、わざとらしく辺りを見回した。
「まぁ、賊の持ってた武器が戦いの最中で行方不明になるなんざ、よくあることか」
門の向こうでは、残る三基が荷車で運ばれていた。誰もこちらを見ようとはしない。
「出所をこっちでも探ろうと思ってな。 あと、新しい得物になるかと期待してるんだけどな」
「お前さんはどこにでも顔を突っ込むねぇ。 儲け話になりそうなら、俺にも話持ってこいよ」
顎に手をやって無精髭をなぞりながら語る男の顔に、火種になりそうな話に足を突っ込むのが冒険者の性分なのは、変わっていないものなのだと感じる。
「特に、荒事になりそうな話は声をかける。 大きく暴れる時は真っ先にな」
「はっは! そいつぁ、良いやな。 そん時は最優先で受けてやる」
「じゃあな、ルクス。こんな生業だ。どうせ、どこかでまた面を合わせる」
「ああ、世話になった。お互い生き残ってれば、だな」
笑い合い、それで別れは済んだ。 男同士の別れはそんなものでいい。
振り返ると、カイエンはもう門の内側へ戻っていた。復旧の声と槌音が彼の姿を飲み込み、やがて西へ吹く風の後ろへ遠ざかっていく。
◇
神々の森までは、歩いて五日ほどかかる。
昼前までは荷車や旅人とすれ違ったが、陽が高くなるにつれて人影は減った。街道の両側には草原が広がり、遠くの林が水面のように揺れている。
「静かでいいですね。ここしばらく、ずっと戦ってた気がしてきます」
「それが冒険者って仕事だからな。 荒れた世の中ほど、常に飯の種があるもんだ」
「そうですよね。そうなんですけど、ルクスさんと出会ってから経験が一気に増えましたよ」
「まるで、俺が事件を呼んで来てるみたいじゃないか」
「呼んではいないですけど、突っ込んで行ってはいますよね?」
「目の前で起きてることには突っ込んではいるな。 そこに着いてきてもらって感謝はしてるぞ」
「今更ですか? でも、着いてこなかったら、きっと後悔してましたから」
エマは笑い、足元の小石を避けるように一歩だけこちらへ寄った。
「ルクスさんがいてくれるなら、わたし、頑張れます。だから……一人にしないでください」
風に揺れた髪が頬へかかる。本人も口にしてから照れたらしく、前を向いたまま頬も耳も赤くしていた。
「──エマ、年頃の女子が男に向かって言うべき台詞ではないぞ。 勘違いする奴が出てくる」
「どうしてですか?」
「実質的に、告白かプロポーズの類の言葉だ」
「~~~っ! そこまでの意味じゃありません!」
「ありがたいもんだねえ。 聖女にプロポーズしていただけるとはな」
それきり黙り込んで鼻息でふすふす言う小娘に、からかい甲斐があるなと満足して歩みを進めた。
◇
「神々の森にいるのは、“神弓の姫巫女”なんですよね」
「その呼び方は、本人の前ではやめておけ」
「どうしてですか? 伝承では、精霊の寵愛を受ける気高く神秘的な方だと」
「黙って座っていれば合ってるが、それが出来ない性分の女だ」
「喋ると違うんですか?」
「よく笑うし、声も大きい。人の皿から肉を取るし、寝相もとてつもなく悪い」
「……姫巫女のお話ですよね?」
「セラスの話だよ」
エマは数歩ぶん黙ったあと、耐えきれずに吹き出した。
「伝承って、ずいぶん綺麗になるんですね」
「四百年も磨かれれば、角くらい取れるさ」
「それに俺達の詩だってそうだ。 百年後にはどこまで原型が残ってるかわからないぞ」
口にしながら、その時間の長さが胸の奥へ沈んだ。
セラスが今も森にいる保証はない。俺が知る笑い声も銀色の髪も、とうに過去のものかもしれない。
「会えるといいですね、セラス様に」
エマは強く励まさず、ただ俺の歩調へ足を合わせた。
「ああ。 会った時に最初になんて言えばいいかも、考えておいてくれ」
「久しぶり、じゃダメなんですか?」
「あいつからすれば、俺は死んだと考えてる存在だからな」
「なら、どんなことを言っても喜んでくれるんじゃないでしょうか」
堂々と言い切って胸を張る姿に、沈んだものが少しだけ軽くなった。
◇
陽が傾きはじめると、草原を渡る風が冷たさを増した。
俺には寒暖が分からない。けれどエマが肩をすぼめ、指先を袖へ隠すのを見て、荷物の底へしまったものを思い出した。
「寒いのか?」
「少しだけです。歩いていれば平気ですよ」
そう答えた直後、強い風に首を竦め、昼間とは違う頬の赤みが出ている。
「ああ、そうだった。エマ、これを使ってくれ」
荷を下ろし、畳んでいた外套を取り出した。広げたネイビーブルーの布が、暮れかけた空を一枚切り取ったように風をはらむ。
「……これ、わたしに?」
「前の外套は、煤と血でひどいことになってただろ」
「気づいていたんですね」
「見てたからな」
「でも、洗えばまだ使えましたよ」
「そう言うと思ったから、用意したんだがな。 その後すぐに、別の騒動が飛び込んできて失念してたんだ」
「こういうの、ズルいです......」
「男はズルいくらいが丁度いいんだよ。 嫌だったか?」
「そうではなくて……断れないじゃないですか」
エマは俯き、指先で布の端を撫でた。やがて肩へ羽織ると、少し長い裾を持ち上げて一度だけ身を翻す。
「これ、雪織羊のですよ。どうですか?」
「勇者に聖剣って感じだな」
「......それ、褒めてるって受け取っていいんですか?」
首元を留め、襟へ口元を隠す。それでも、頬が緩んでいるのは隠せていなかった。
「ありがとうございます。大事にしますね」
「旅道具は使い倒してこその世界だ。 使い潰すつもりでいいぞ」
「それでも、大事にします」
夕暮れの街道へ戻ったエマの影法師は、外套の裾と一緒に弾んでいた。
◇
暗くなる前に、街道から少し離れた木立で野営することにした。
風を遮る窪地を選び、俺が薪を集めている間に、エマは石を除けて火床を作った。以前は道具を広げるだけで戸惑っていたのに、今では水と食料を使う順番まで考えている。
焚き火が安定すると、小鍋の中で干し肉と野菜が踊り始めた。湯気が夜気へ溶け、エマが木匙で味を確かめる。
「エマ、この野菜も入れろ。偏ると肌が荒れるぞ」
「う”っ...... 今、入れようと思っていました......」
「この雑穀も食べろ。育ち盛りなんだから。 塩は入れすぎるな」
「もう子どもではありませんよ」
「分かってるよ。でも、ちゃんと食べてくれ」
「ルクスさん、わたしの食事に細かすぎませんか?」
「大事な旅仲間だ。 四百年前のあいつらと同じな」
エマの手が一瞬止まり、すぐに雑穀を鍋へ入れた。
「……そういうことを、何でもない顔で言うんですね」
「顔は見えないだろ?」
「どういう顔をして言ってるかくらい、想像できる様になってきました」
煮込みを食べ始めたエマは、肉を先に二つ口へ運んだ。視線を向けると、木匙が止まる。
「野菜も食べて......ますよ......」
「まだ何も言ってないんだが」
「目が言っています」
「俺の目、そんなに器用だったのか」
エマは笑い、野菜を口へ運んだ。
食事を終える頃には、木々の隙間へ星が増えていた。俺は荷物から小瓶を取り出し、エマの前へ差し出す。
鮮やかな蜜の中に、切り分けた赤い果実が沈んでいる。
「あっ!」
碧い色の瞳が、焚き火より鮮やかに輝いた。伸びてきた手に合わせ、ほんの少しだけ瓶を高く上げる。
「あ……ルクスさん」
「悪い。思ったより嬉しそうだったから、ついな」
すぐに下ろし、伸ばしたままの手に握らせる。
「ほら。エマのだ」
「これ、また用意してくれたんですか?」
エマは瓶を胸元へ抱え、はにかむように目を伏せた。
「覚えていてくれたんですね」
「あのむさ苦しい男共の巣みたいな酒場で、物騒な話してる最中でも頬張ってただろ」
「……ありがとうございます。すごく嬉しいです」
「蓋が堅かったら頑張ってくれ。俺がやると砕ける」
「そこは手伝ってくれないんですね」
「中身まで駄目にしたくない」
「では、わたしが守ります」
何度か力を込め、蓋が小さく鳴って開いた。果実を一つ口へ運ぶと、エマの頬がほどける。
「......確か食べすぎも身体には良くないと、ランドルムが言っていたな。 いま一瓶食べきるなよ」
「ルクスさん、お母さんみたいです」
「それを言うならお父さんではないのか」
「そういう意味ではありません」
意味を尋ねても、エマは笑うだけだった。やがて瓶を包み直し、外套を羽織ったまま毛布にくるまって横になる。
「時間になったら起こしてください。見張りを代わります」
「俺は眠らないぞ」
「知っています。それでも、一人で全部やらないでください」
「わかったから、もう休んでくれ。 まだエルフの住む森は遠い、明日もだいぶ歩くぞ」
「ちゃんと休みますから、約束ですよ」
「ああ。おやすみ、エマ」
「おやすみなさい、ルクスさん」
しばらくして、穏やかな寝息が薪の爆ぜる音へ混じった。
町を焼いた炎と同じ色なのに、今夜の火は何も奪わない。ただ小さな円を夜の中へ作り、その内側で眠る一人を守っている。
俺には、もう火の暖かさは分からない。
それでも、隣で小さく丸まって眠る寝顔が穏やかなら、この夜が寒くないことくらいは分かった。
お読みいただきありがとうございました。 ルクスとエマは、かつての仲間であるセラスの住む森へ向けて出発しました。静かな夜もあれば、それが明ければまた新たな戦いも訪れます。
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