第十話 補給担当が、敵陣に単身で乗り込みました
本陣が崩れて三日後。人間国家軍は後退したまま動きが止まっていた。
撤退でも前進でもない。陣形を立て直そうとしているが、補給が続かない。
俺は台帳を確認した。向こうの補給消耗ペースが急加速している。本陣混乱で輸送が乱れた。計算上、あと十日で補給が限界に達する。
ダグルが「このまま包囲して消耗させるか」と言った。
「もっと早く終わらせられます」と俺は言った。
「どうやって」
「向こうに話しに行きます」
ダグルがしばらく俺を見た。
「……使者を出すということか」
「はい。俺が行きます」
「お前が」
「話を聞いてくれる人間が向こうにいます」
「……バルクか」
「はい」
ダグルが腕を組んだ。しばらく黙っていた。
「……補給担当が一人で乗り込むのか」
「やることがあるので」
ダグルが「……好きにしろ」と言った。
六度目の「好きにしろ」だった。
◆◆◆
人間国家軍の陣に向かう前に、資料を二部作った。
一つは「双方のコスト試算」。このまま戦争を続けた場合に双方が失う物資・人員・時間を数字にしたものだ。もう一つは「交易再開後の双方の利益試算」。戦争が終わって交易が始まった場合に双方が得るものを数字にした。
二部作ったのは、一部を渡すためではない。並べて見せるためだ。
ゲルが「村田さん、本当に一人で行くんっすか」と言った。
「やることがあるので」
「同じことしか言わないじゃないっすか! 危なくないんですか」
「バルクさんは数字で動く人間です。数字を持っていけば話を聞きます」
「根拠あるんですか」
「交渉の場で一度会っています。あの人は感情より数字を優先します。俺と同じです」
ゲルがしばらく黙った。「……村田さんって、自分のこと、数字で動く人間だって思ってるんっすね」
「そうですが」
「……なんか、さみしくないっすか」
俺は少し考えた。「そうでもないです」
ゲルが「……そっすか」と言った。
◆◆◆
人間国家軍の陣の入り口で「バルクに会いたい」と伝えた。
兵士が「なぜ敵の補給担当が一人で来る」という顔をした。でも通してくれた。
テントに通された。将軍が上座に座っていた。バルクが横に立っていた。書記が二人いた。
将軍が俺を見た。人間だ。小柄で、剣も持っていない。台帳を抱えている。
「……これが、あの台所番か」
バルクが「そうです」と答えた。
将軍がしばらく俺を見た。それから低い声で言った。
「……聞きたいことがある。答えてもらえるか」
「はい」
「なぜ、魔王軍の兵士はこんなに体力を保っていた。以前の魔王軍とは別物だった」
「食事を変えました。タンパク質の量を増やして、食材の質を上げました」
将軍がバルクを見た。バルクが「城に来た頃から変わったと、偵察から報告がありました」と言った。
「……魔王軍が食事管理をしていたのか」
「やることがあったので」
将軍が「次に聞く」と言った。「なぜ矢が尽きなかった。補給線を遮断しても前線に矢が届き続けた」
「生産量を八倍にしていました」
将軍が「八倍?」と言った。「どうやって」
「道具を変えました。穴の開いた板で規格を統一して、工程を分業して、流れ作業にしました。前の世界でやっていたことを応用しただけです」
将軍がまたバルクを見た。バルクが「……確認が取れています」と短く言った。
「台所番がそれをやったのか」
「元台所番です。今は物資担当をしています」
長い沈黙があった。
将軍が低い声で言った。「……我々は何と戦っていたのだ」
バルクが静かに答えた。「数字と、仕組みです」
◆◆◆
将軍が「用件を聞こう」と言った。
俺は資料を出した。「双方のコスト試算」。
バルクが受け取った。目を通し始めた。
最初のページ。バルクの手が少し止まった。
次のページ。止まった。
三ページ目。完全に止まった。
バルクがゆっくり顔を上げた。俺を見た。何も言わなかった。
静かに自分の懐から書類を出した。テーブルの上に置いた。俺の資料と並べた。
ほぼ同じ数字だった。
部屋が静かになった。
「……同じ計算をしていたか」
「数字は嘘をつかないので」
バルクがしばらく黙った。それから将軍を見た。将軍が「なぜ敵と味方が同じ答えを出している」と言った。
バルクが静かに答えた。
「この戦争に、合理性がないからです」
◆◆◆
将軍が立ち上がった。「負けを認めろと言うのか」
「数字が負けていると言っています」
「数字だけが全てではない。プライドがある。名誉がある。兵士たちの犠牲がある。それを数字で片付けるのか」
バルクが将軍を見た。
「将軍。兵士たちの犠牲を無駄にしないために、これ以上犠牲を出さないことが必要です。数字はそう言っています」
将軍が黙った。「……お前は冷たい男だな」
「補給担当なので」
俺はその言い方を聞いて少し止まった。同じ言い方だ。バルクも同じ場所に立っている。
将軍がバルクを見た。それから俺を見た。「あなたも同じことを言うか」
「言います」
将軍がしばらく黙った。「……敵と味方が同じことを言う。奇妙な戦だ」
バルクが「村田さん」と言った。「条件は何ですか」
◆◆◆
俺はもう一枚の資料を出した。「交易再開後の双方の利益試算」だ。
「一つだけです。交易を再開してください。具体的な品目と数量はこちらで試算しました」
バルクが受け取った。将軍も覗き込んだ。
将軍が「……これは罠ではないか」と言った。「敵が都合のいい数字を並べているだけかもしれない」
バルクが資料を見たまま言った。「罠ではありません」
「なぜ分かる」
「この数字は正確です。向こうに不利な数字も隠していない。魔王軍の現在の交易能力の限界も正直に書いてある」
将軍が「……なぜ敵があなたを信用する」と俺に向かって言った。
「数字が合っているので」
「それだけか」
「それだけです。数字が合っている人間の言うことは信用できます。合っていなければ信用できない。俺はバルクさんの数字が合っていると思っています。バルクさんも俺の数字が合っていると思っているはずです」
バルクが「……そういうことだ」と将軍に言った。
将軍がしばらく黙った。資料をもう一度見た。また黙った。
「……これを作ったのは誰だ」
「俺です」
「補給担当が、交易の試算まで作るのか」
「補給と交易は同じ仕事なので」
将軍がバルクを見た。バルクが「……あの男はそういう人間です」と言った。
長い沈黙があった。
将軍が静かに言った。「……持ち帰って検討する」
◆◆◆
テントを出ようとした時、バルクが俺を呼び止めた。
「一つ頼みがある」
「はい」
「国王に直接話してほしい。将軍では決められない話だ。あなたの数字と、あなたの言葉で」
俺はしばらく考えた。
「……わかりました」
バルクが「……あなたなら伝えられる」と言った。
「バルクさんも来てくれますか」
「もちろんだ」
◆◆◆
城に戻って魔王に報告した。
「交渉はどうだった」
「一次停戦です。将軍が持ち帰りました。ただ、国王に直接話す機会をもらいました」
魔王がしばらく俺を見た。
「……国王のところへ行くのか」
「数字で済む話なので」
「一人でか」
「バルクさんが同行してくれます」
魔王が「……続けろ」と言った。
ダグルが入ってきた。「……お前、本当に一人で行ったのか」
「やることがあったので」
「向こうの将軍が何と言っていた」
「『我々は何と戦っていたのだ』と言っていました」
ダグルがしばらく黙った。それから静かに言った。
「……それは、俺たちのことを言っているのか」
「そうです」
ダグルがまた黙った。長い沈黙だった。それから「……好きにしろ」と言って出ていった。
七度目の「好きにしろ」だった。
台帳を開いた。次にやることを書き始めた。
国王へのプレゼン資料を作り直す必要がある。将軍相手ではなく、国王相手の内容に。
やることが増えた。
読んでいただきありがとうございます。
「同じ計算をしていたか」——敵と味方が同じ数字を出した瞬間、
この戦争に合理性がないことが誰の目にも明らかになります。
でも将軍には決められなかった。
次はもっと大きな舞台で、もっと大きな話をすることになります。
▼次話
「飯をうまくしようとしたら、戦争を終わらせることになりました。」




