氷の花
夢中で調べ続けているうちに、時間は流れていく。
侯爵家から毎日迎えの使いが来たが、花鈴は頑として首を縦に振らなかった。
いつになく我を通す令嬢の姿に、使者は戸惑っていたようだが、花鈴はそんな様子などまるで気に留めず、目の前のことに没頭していた。
――まだ、分からないことが多すぎる。
魔塔の最上階、禁書の部屋。
そこに籠りきりの日々が続いていた。
朝から晩まで古書を開き、アレックスの導きのもと、馴染みのないこの世界の内容を少しずつ読み解いていく。
しかし、死者を甦らせる黒魔術や、人に呪いをかける方法・その解呪についてなど、確かに内容は禁書とされて然るべきものが沢山あるのだが、今の状況に噛み合うものが見つからない。
「これだ!というものはなかなか見つからないわね……」
花鈴が小さくぼやくと、アレックスは少し休憩しようと言って、どこかへ消えた。
花鈴は、一人になると、ぼんやり塔の天窓を見つめた。外は晴れているようで、欠け始めた月と星が輝いていた。
「もう夜なのね……」
「……あの日も、こんな夜だった」
振り向くと、アレックスがカップを二つ持って立っていた。
カップからは、湯気が出てお茶の芳醇な香りがした。
「……こんな夜って?」
「解呪の儀式が執り行われた日は、晴れていて……月や星が輝いていた」
「そうだったの……。私が湖に落ちたときは、学校からの帰り道で、まだ明るい夕方だったわ」
花鈴がそう話すと、アレックスはハッとして花鈴の方へ顔を向けた。
「夕方? 暗くはなかったのだな……」
そう呟くと、顎に手を当てた。
「花鈴が湖に落ちたときの状況を詳しく教えてくれないか?」
「いいわよ、もちろん。何が聞きたいの?」
「満月だったか?」
花鈴は、アレックスが何をしようとしているか理解した。
「なるほど! マイヤと私の状況を照らし合わせて、今、分かっていることを整理するのね! えっと、まず、あの時は……新月だったわ。私、前の日の夜、外に薪を取りに行って暗いなと思ったのよ」
「何か持っていたか?」
「……あの時は、必死に走っていて……。そうだ! 小さなブーケを握りしめていたわ」
アレックスが、目が見えないと思えないほどの達筆で、次々と状況を書き出していく。
【花鈴】
・夕方
・晴れ
・新月
・ブーケ
【マイヤ】
・夜
・晴れ
・満月
・花
「湖の他にも共通するのは、天気と花か」
「そうね。次は、湖を具体的に比較してみる?」
「いい案だ」
そこでアレックスは、ノールヴァルド王国の地図を持ってきた。
王国全体に、湖が点在していたが、ヴァルノイア侯爵領には、特に多く大小さまざまな湖が存在していた。
「えっと……解呪の儀式が執り行われたのは、どの湖かしら?」
「……侯爵邸のある山の麓の湖だ」
「本邸から見える、あの湖?」
「そうだ。ラズールヌィ湖と呼ばれている」
地図を確認すると、とても大きな湖であることが分かった。
「私が落ちたのは、もっと小さい湖よ。池と呼んでも良いくらいの。ただ、中心辺りの深さがかなりあって、その辺りは、すごく透明度が高くて、青緑の神秘的な色をしているの」
聴きながらアレックスが、大きさと色の情報を付け足した。
「私は、追いかけられて逃げた先がたまたまその湖の上だったのだけど……儀式は、どうして麓の湖に決まったの?」
「王家からの指定はなかった。マイヤ自身が選んだ」
「マイヤは……どうしてその湖を選んだのかしら?」
アレックスは小さく首を横に振った。
実は花鈴も、こちらへ来てからずっとあの湖が気になっていた。
何かが引っかかる。
けれど、その正体が分からない。
理由を探ろうとすればするほど、輪郭は曖昧になっていった。
「これが理由という訳ではないのだが……マイヤは、ラズールヌィ湖で時折見られる氷の花を気に入っていた」
「氷の花って?」
「氷の花と言うのは、湖の水の色を閉じ込めたような、透明度の高い氷の塊のことだ」
その一言で、花鈴の中の「引っかかり」が形を持った。
「私が湖に落ちた時……青い塊を見たような気がするの。あれは、氷の花だったのかも知れない。産まれてからずっとあそこで暮らして来たのに、見たことがなかった……」
(だから気になっていたの?)
花鈴の中で、積もった雪の合間に見える、美しい青緑の水面と、青い氷の花が結びついた。
「ラズールヌィ湖の氷の花が、私が落ちた湖の底から湧き上がって来たということは……」
「湖底には、二つの世界を繋ぐ何かがあるのは間違いないな」
「そうよね。湖の伝承も探しましょう」
二人は飲み干したカップを置き、また禁書に手を伸ばした。
少しずつ、何かが繋がり始めている気がする。
だが、まだ確信には至らなかった。
* * *
そうこうしているうちに、一週間が経った。
膨大な蔵書の中から、関連が疑われる情報は、出自不明の「黒髪の民」がこの地に現れたという記録だけ。
最も新しいもので五百六十年ほど前の話で、それ以前のものは記録というより走り書きに近く、詳細はまったく分からなかった。
加えて、アレックスから教わったこの世界の基礎知識で花鈴が気になったのは、精霊に関することだった。
地・水・風・火を司る精霊のほかにも、侯爵夫人が呼び出した「真実のみを語る氷の精霊」をはじめ、人の想像を超える多様な力を持つ精霊がいるということ。
自然に関するいろいろなものを司る精霊がいるなんて、八百万の神みたいだなと思った。
だが、それ以上の進展はなかった。
ただ、時間だけが静かに流れていく。
今日も朝から禁書を読み漁っていた花鈴は、ふうっと息を吐き、椅子から立ち上がって大きく背を伸ばした。
首を鳴らしながら、ぼやくように呟く。
この一週間で、花鈴は自分の魔力をある程度操れるようになっていた。初めて禁書に触れたときは意識を失いかけたほどだったのに、今では数時間集中しても平気だ。
アレックス曰く、「魔力の流れを感じ取るのが、格段に上達している」らしい。
「集中しすぎると、疲れるぞ」
そう言ってアレックスが、いつものように温かい飲み物を差し出した。香ばしい香りが立ち上る。
花鈴は微笑み、椅子を離れてそれを受け取ろうとした――その瞬間。
ぐらり、と視界が傾いた。




