共に進む
アレックスは微笑み、花鈴の手を取った。
「そうか。では、私が魔力を送る。目で読む必要はない。感じるんだ」
彼が手をかざすと、文字が淡く光り、指先から霧のように消えていく。
「どうやって……?」
「魔力の流れで内容を「聴く」。文字は魔法の残滓だ。読めるかどうかは、心が開かれているかで決まる」
花鈴は真似して本に手をかざした。すると、胸の奥がざわめく。
――読みたい。知りたい。
そう強く願った瞬間、瞳の奥が光を帯び、見知らぬ文字が意味を持ちはじめた。
言葉が、心の中に直接流れ込んでくる。
「……え? これ、分かる……!」
アレックスが息を呑んだ。
「驚いたな。君には、想像以上の魔力があるらしい」
花鈴は目を丸くした。
「でも、魔法なんて使えないし、やり方も知らないわよ?」
「この国では、魔力を持たぬ者がほとんどだ。持っていても、せいぜい火を灯す程度。君は私が送った魔力の流れを受け取るだけでなく……なんなく模倣してみせた。触れただけで「理解する」を瞬時に習得するなど、聞いたことがない」
「私に魔力が……? 信じられない。自分の世界では、魔法は……誰も使えないのが普通だったから」
「なるほど……魔法のない世界。君の世界では、力はどこにある?」
「……人の心、かな」
花鈴は少し照れくさそうに笑った。
「努力とか、信じる気持ちとか。それで何かを変えるのが、私たちの「魔法」なんだと思う」
その言葉に、アレックスの表情が柔らいだ。
「それもまた、確かな魔法だ。この国では、心の力を忘れてしまった者が多い」
アレックスは少し間を置き、静かに言った。
「マイヤは……魔力を持たなかった」
花鈴は顔を上げる。
「そうなの? でも、ほとんどの人がないのでしょう?」
アレックスはわずかに微笑した。
「そうだ。おかしな事ではない。しかし、彼女の境遇を思うと……君のように魔力があったら……」
「もし、マイヤが私の世界にいるとしたら……今頃きっと馴染んでるかもね」
「そうであれば……救われる」
アレックスは、静かに頷いた。
花鈴は、無数の本が眠る空間を見上げた。
もしかしたら、このどこかに――自分とマイヤに何が起こったのか、理由が隠れているのかもしれない。
* * *
時間を忘れるほど、二人は古書を読み漁った。
すっかり文字が読めるようになった花鈴は、アレックスと分担作業が出来ていた。
別々の作業をしているのに、まるで二人の呼吸が呼応するかのように進んでいく。
やがて、蝋燭が尽きかけた頃、アレックスがぽつりと尋ねた。
「……花鈴。君は、怖くないのか」
「何が?」
「別の世界に来て、誰も知っている人がいない。侯爵令嬢と呼ばれ、他人の人生を生きることになった。普通なら、恐怖で心が壊れてもおかしくない」
花鈴は少し黙り、そして微笑んだ。
「正直なところ……怖くてたまらない。でも、私は今ここにいて……それは変えられない。だから、自分で探したいの。これからどう生きていくかを」
アレックスの閉じた瞳が、わずかに動いた。
「……君は、マイヤとはずいぶん違う」
「当たり前よ。別の人間だもの」
「いや、そうなのだが……繋がりが強いようだから、似ているかと思っていた」
花鈴は静かに笑った。
「マイヤの存在は感じるの。誰もが、私を「彼女」と呼ぶし――髪と瞳の色を除けば、同じ顔、同じ声だって」
アレックスの指が止まる。
「そうなのか……」
「そう。私は青森でも、この姿だった。でも、この世界では「本来の姿に戻った」と言われるの。――私には、最初からこの姿しかなかったのに」
(同じ顔で、異なる色……。単なる入れ替わりではない。何か、もっと深い因果がある――)
花鈴はそっと呟いた。
「分からないことが不安なの。でも、こうして調べることができて……貴方に出会えてよかった。ありがとう」
アレックスの指が微かに震えた。
暖炉の火が、その横顔をやわらかく包む。
「感謝に値する結果が、見つかるといいのだが」
「それはまだ分からないけど……「千里の道も一歩から」でしょ」
「……千里?」
「ことわざよ。長い道のりも最初の第一歩から始まるっていう」
アレックスは苦笑し、静かに頷いた。
「分かった。ならば……共に進もう」
花鈴は微笑んだ。その笑みは、氷の国に差し込む春の陽だまりのようにあたたかかった。




