覚醒の鍵は「ときめき」
長時間の集中による立ちくらみだった。
気配をとらえたアレックスが咄嗟に手を伸ばし、彼女の身体を支えようと身をかがめる。
――ふわり。
温かく、柔らかな感触。
それが唇だと気づくまでに、一拍の間があった。
「――っ?!」
花鈴は慌てて身を引いた。
アレックスもまた、そのまま固まり、状況を理解するまで数秒を要した。
「ご、ごめんっ! わざとじゃないの!」
顔を真っ赤にして謝る花鈴に、アレックスは一瞬言葉を失い、やがて静かに首を振った。
「……分かっている。その……こちらこそ、すまない」
互いに視線を逸らし、気まずい沈黙が流れた――が。
その時。
部屋の奥で「ゴウン……」と低い音が響いた。
壁が震え、書棚の一角がゆっくりと横へと動き出す。埃を舞い上げながら、そこに――隠し戸棚が姿を現した。
「……なに、これ?」
花鈴は目を見開いた。
アレックスも眉をひそめ、戸棚の前へ歩み寄る。
「この存在には……気づかなかった」
その声には、わずかな驚きが滲んでいた。
「どうして突然、現れたのかしら?」
「……これは、もしや……」
アレックスの表情に、ふと閃きのようなものが走る。
彼自身、幼い頃に経験があった。
極限まで精神が昂ったとき、新たな系統の力が発現したことを。
「花鈴……もしや、君の中で新しい力が目覚めたのでは?」
「え? なんで急に?」
「だから、その……さっきのが、引き金になったのではないかと」
「さっきの……って?」
「……口づけ、が」
花鈴の思考が一瞬、止まる。
耳まで真っ赤に染まり、言葉が出てこない。
アレックスもわずかに咳払いをしてから、顔を逸らした。
「私の考えでは……おそらく君の感情が魔力に変換されたのだ。感情は、力の触媒となる。驚きや恐れ、そして――」
「……そして?」
「……ときめき、も」
その言葉に、花鈴は口をパクパクさせたまま固まった。
空気が熱を帯びていく。
アレックスはわざと真面目な口調に戻して、咳払いをもう一度。
「……試してみる価値はある」
「な、なにを……試すの?」
「君の力の発現だ。もう一度、同じ条件を再現してみよう」
「ちょ、ちょっと待って、それってつまり――!」
言い終える前に、アレックスがそっと彼女の腰に手を添えた。
そのまま引き寄せられ、距離が一気に近づく。指先が頬に触れ、静かに息が重なった――その時。
「パーーンッ!!!」
轟音と共に、魔塔の空間全体が一瞬光に包まれた。
宙に金色の文字が浮かび上がる。
『皇太子殿下より緊急召喚。至急、王都へ向かわれたし。』
――侯爵家の魔術師からの魔法伝令だった。
「……時間切れ、だな」
アレックスが淡々と言う。
花鈴は真っ赤な顔のまま、息を整えようとしていた。
「そ、そうね……残念だけど」
「……残念?」
アレックスの口元がわずかに笑う。
「そ、それは……言葉のあやよっ!」
必死に否定する花鈴に、アレックスの笑みが深くなる。
「冗談だ」
けれど、その声の奥には、どこか優しい響きがあった。
彼は改めて、戸棚の方を向く。
「しかし、確かに発現した。今の反応から推測するに――君の力は「探索」の系統だろう」
「探索……?」
「未知を暴く力。封印されたもの、隠されたものを見つける力だ。君の魔力は、感情をきっかけにそれを発動させたのだろう」
花鈴は扉を見つめた。
自分の中で何かが変わった感覚があった。恐怖でも不安でもなく、胸の奥が熱く脈打っている。
――これが、私の「力」?
アレックスは慎重に戸棚の表面に手を当て、魔力の流れを探る。
「内部には封印が施されている。無理に開けるのは危険だ」
「じゃあ、どうするの?」
「私がここで調べる。君は王都へ行け。王太子の呼び出しを無視すれば、面倒になる」
花鈴は唇を噛んだ。
本当は、自分もこの扉の先を見たい。でも、アレックスの言葉は正しく逆らうことはできなかった。
「……分かった。気をつけて」
「君もだ」
アレックスは穏やかに微笑んだ。
「そして――油断するな。「探索」は便利だが、真実を暴く力は同時に、君自身の心も試す」
「心を……試す?」
「見たくないものまで見える、ということだ」
花鈴は静かに頷き、胸に手を当てた。その心臓の鼓動が、いつもより少しだけ速い。
アレックスが掌をかざすと、花鈴の足元に淡い光の魔法陣が広がる。転移魔法――王都へ通じる道。
「ありがとう、アレックス」
「礼を言うのは、真実を見つけてからだ」
光の粒が舞い、空間が歪む。最後に見えたのは、彼の閉ざされた瞳と、微かに動く唇。
――また会おう、花鈴。
声が、光の向こうで静かに響いた。
花鈴の姿が消えると、アレックスは再び隠し扉の前に立つ。閉じた瞳の奥で、見えぬ世界を「視る」ように。
「……口づけで発現、か。実に……興味深い」
彼の唇が、わずかに苦笑を刻んだ。そして再び、冷たい石の塔に静寂が戻る。
石の塔は、いつでも静かであった。しかし、この一週間、花鈴と過ごした後では、この静けさが異様に感じられた。
「いつの間にか私は、花鈴の気配を好ましく感じていたようだ」
小さく呟き、胸の奥のざわめきを確かめる。
(なるほど……魔法のない世界の力、か)
アレックスは初めて感じる感情に、戸惑いながらも、目を伏せた。




