凍てつく解呪の儀式
「私の髪の色は…黒だわ。瞳も……」
「表面の色など知らない。君の魂は美しい光を放っている。この凍てついた大地にそぐわない……明るい陽だまりのように」
その答えに、マイヤリリス胸の奥は、初めて少しだけ温かくなった。
アレックスもまた、人々から遠ざけられた存在だった。
彼は王の妾腹に生まれたが、強大すぎる魔力ゆえに恐れられた。術を知らない幼子の魔力は度々暴走し、周囲を恐怖に陥れた。そして、自身をも傷つけた。魔力を持たない周りの人間に、彼を導く力はなかった。その結果、魔塔へ託された――後の禍根を断つため、王籍を剥奪されて。
この国の魔塔主には、最も魔力の高い者が就任する。
ほとんどの人が強大な魔力を持たないこの国に置いては、力のあるものが統率する制度で回っていたが、アレックスの誕生で制度の信憑性が揺らいだ。だが、現状に合う法の整備が追い付かぬまま、次席魔導士が補佐に着くことで収まった。
前代未聞、たったの6歳で拝命した彼の孤独は計り知れないものだった。
人の情に飢えながらも、誰も信じられない孤独。
だからこそ、二人は似ていた。
孤独を知る者同士、言葉を交わさなくても通じる何かがあった。
時折、彼の傍らで薬草を調合する時間が、マイヤにとって唯一の安らぎだった。
「君が望むなら、君の姿は呪いなどでなないと魔塔主の名において、触れを出すことも出来る」
そう言うアレックスの声が、マイヤには氷の国のどんな炎よりも温かく感じられた。
だが、幸福は突如として終わりを告げることになる。
* * *
王太子ロディオンの冷笑が再び社交界に響き始めたのは、婚約の正式な発表が近づいた頃だった。
「呪われた令嬢が、王家の血を穢す前に清めねばならぬ」
彼はそう言って、貴族たちの前でマイヤを侮辱した。そして、王国の古い伝承を持ち出した。
――月の下で湖に身を沈め、氷に愛された者だけが真に純血である。
それは、極寒の湖で行われる解呪の儀式。もはや宗教的というより、処罰に近い行為だった。
アレックスはその知らせを聞き、王に進言した。
「それは王家の名を汚す愚行です。彼女は死んでしまう」
だが、王は沈黙した。
侯爵夫人が自我を賭けて令嬢が自分達の子であることを証明し、侯爵が正式に認めた。それでもなお王は、黒髪の令嬢が王妃に相応しい存在かという疑念から逃れられていなかった。
侯爵も逆らえなかった。
「真実を語る精霊」の証明があってなお続く人々の疑念を払拭する方法は見つからず……沈黙を強いられていた。
* * *
儀式の夜、月は異様な光を放っていた。凍てついた湖面が鏡のように光り、氷の上に白い息が散る。
マイヤは純白の衣をまとい、裸足で氷の上に立った。公爵家の紋章にも刻まれている白いスズランの花を手に持って。
足裏に走る痛みが、まるで生きている証のように感じられた。
――終わりにしよう。
誰に聞かせるでもなく、唇が動いた。
昨晩のアレックスとのやり取りが脳裏を巡る。
「マイヤ、逃げるんだ」
「もう決まったことよ」
マイヤは振り返らなかった。
彼を見たら、涙を堪えられないと思ったから。
その黒い髪が風に舞い、月光を吸い込む。
「そんなことに従う必要はない!」
「でもやれば……人の悪意という「呪い」からは解放されるのでしょう?」
マイヤの声は静かだった。しかしその瞳の奥には、燃えるような決意が宿っていた。
アレックスは彼女の手を掴んだ。
「君の呪いとは、悪意を持った人間による、いやこの国そのものによる捏造だ。精霊ではない、人の恐れと愚かさが君を雁字搦めにしている」
「それでも、この国の娘として生まれたの……アレックス一つお願いがあるの」
「なんでも叶えよう」
マイヤは小さく笑った。
「約束よ。……儀式には貴方は来ないで」
「何を……」
戸惑う彼の手を握り返した。
「私を助けようとしないで。貴方は、絶対に生き残って」
――そして、心は今に戻る。
現実の貫くような冷たさに堪えて、湖の中央へと歩み出た。
月光が湖面に一筋の道を描く。
この世界で唯一自分を庇ってくれたアレックスを思い呟く。
「アレックス。もし生まれ変われるなら――次は、陽の国の子に生まれたい」
その瞬間、氷が軋んだ。
ひびが走り、月の光が波のように揺らめく。
そして、マイヤリリスの姿は、氷の下へと沈んでいった。その情景は、黒髪な令嬢に冷ややかな視線を送っていた、見届ける者たちすら圧倒する、残酷なものであった。
しかし……次の瞬間、湖が閃光を放った。
眩い白が夜を切り裂き、氷の表面に浮かび上がったのは――
淡い金の髪、青緑の瞳をもつ女性。
凍てついた世界に、陽の色が差し込んだ。




