「呪い」の真相
――時は十五年前に遡る。
ノールヴァルド王国の冬は、例年よりも早く、そして長かった。人々は、凍てつく風が城壁を叩き、氷雪が街の灯を呑み込むのに耐え続けた。
長い凍てつく冬が終わり、柔らかい日差しに景色が色付き始める頃、ヴァルノイア侯爵邸にひとりの女児が誕生した。
その赤子を抱いた瞬間、母の唇が震えた。
ーー黒
髪も、瞳も、夜の底を映したように深い黒だった。
この地では誰も持たぬ色。
侯爵家の者たちは息を呑み、沈黙の中で視線を交わした。
「……ありえぬ」
父――ヴァルノイア侯爵はそう呟き、妻を睨みつけた。
「我らの血筋に、そんな色が生まれるはずがない」
夫人は唇を噛み、声を失っていた。
けれど、夫の怒声が館に響くたび、胸の奥で何かが軋んだ。
(私の子よ。確かにこの身から産まれたのに……)
侯爵夫妻の結婚は、王家によって取り計らわれた政略の産物だった。
夫は南部の伯爵家の次男、夫人は由緒ある北部ノルヴァイア侯爵家の直系。互いに尊敬はしていたが、愛情とは遠い関係だった。
しかし、この子の黒髪が、その脆い均衡を音もなく崩した。
侯爵は夫人を責め立て、家中の侍女たちは噂を囁いた。
「東方の血が混じっているのでは」
「精霊に呪われた子だ」
やがて夫人は追い詰められたように、禁忌の儀式に手を伸ばした。
――真実を語る氷の精霊。
その声を聞く代償に、心を喰われるという古の誓約。
「この子の父親が夫だと証明して」
氷の祭壇に祈りを捧げ、夫人は自らの手をナイフで切り裂いた。赤い血が雪の上に散り、光が走る。
冷たい風が渦を巻き、精霊の声が空から響いた。
――この器の父はミュゼル・ヴァルノイア
その言葉とともに、夫人の瞳から光が消えた。精霊は真実を語り、代わりに彼女の自我を奪ったのだ。
以後、夫人は名を呼ばれても答えず、ただ白い指で、侯爵家の紋章にもあり馴染み深いスズランの花を撫でるだけになった。
侯爵は沈黙のうちに娘に名を与えた——「マイヤリリス」と。
母の愛したスズランの花の名を冠した娘は、静かに侯爵家の跡取りとして育てられた。
* * *
マイヤは順調に成長していった。
侯爵はあらゆる分野の家庭教師を付け、十五の年には宮廷の学者たちすら舌を巻く知識を身につけていた。
しかし、社交界で彼女を見る目は冷たかった。
侯爵家が正式に認めている令嬢。たとえその纏う色が、この国では異質であっても、人々は表向きは微笑む。しかし、背後で囁いた。
「呪われた黒の娘」
「母を喰った精霊の子」
彼女は笑わなかった。
笑えばその影が広がる気がして。
婚約者である王太子ロディオンも、彼女を見ようとはしなかった。
父王の取り決めを忌々しく思っていたのは、明白だった。
四つ年上の彼は、美しい金髪の貴族令嬢たちを傍に侍らせ、舞踏会で笑い声を響かせた。
しかし、マイヤが姿を見せると、まるで空気そのものを拒むように視線を逸らす。
「王子殿下は……」
体面を重んじる侯爵ですら、一度は、王家のあまりの待遇に口を開こうとしたが、マイヤは首を振った。
「構いません。私には何も言う権利はないのですから」
自分を理不尽に閉め出す環境の中で、彼女は諦めを覚えるしかなかった。
* * *
マイヤリリスが唯一安らかな時を過ごせる相手は、若き魔塔主アレックスだった。
侯爵と王家の依頼により、マイヤの髪と瞳の色を「この地の色」に変える術を探していた。
そのため、二人は定期的に魔塔で会う機会があった。
初めて出会った日のことを、マイヤは今でも鮮明に覚えている。
マイヤ5歳。
アレックス6歳の時だった。
塔の天窓から差す光に照らされ、アレックスの茶金髪が光に透けて輝いていた。
見えないはずの蒼の瞳を、まっすぐに彼女に向け言った。
「君は、美しい」
マイヤは息を止めた。
誰もそんな風に言ったことはなかったから。




