ノールヴァルドの花鈴
ノールヴァルドの空には、このところ毎夜のようにオーロラが揺れていた。
青や緑の光の帯が王都の上を流れ、空気そのものが魔力を含んでいるように煌めいている。
けれど——その幻想的な光景を前にしても、花鈴はそれどころではなかった。
「いたたた……リース、そこ、もうちょっと優しく……っ」
「申し訳ございません、お嬢様。このくらいはいかがでしょう?」
リースの手は丁寧で、ほんのりと温かい。それでも花鈴の身体中の筋肉は、毎日の訓練でパンパンに張っていた。
「ふぅ……だいぶ良くなった。ありがとう、リース。今日も生き延びたわ……」
「まぁお嬢様。まるで戦場でございますね」
「戦場なのよ、実際……!」
午前はアレックスとの魔力量計測と感応制御の訓練。
午後は護衛隊長グレッグによる体術・剣術・弓術・棒術のフルコース。
この一週間、花鈴はほぼ毎晩、こうしてリースのマッサージのお世話になっていた。
* * *
ことの発端は、アレックスの何気ない一言だった。
「魔力は心の状態に大きく左右される。つまり精神を鍛えるには、身体を鍛えるのが最も効果的だ」
「心と身体って、魔力とも関係あるの?」
「もちろんだ。私は毎朝、必ず訓練をしてから仕事に入る。……マイヤもそうだった」
花鈴は思わず食いついた。
「えっ、マイヤも身体の訓練してたの?」
「やむをえず、だがな。彼女は王太子殿下に命を狙われていた。魔力を持たない身で生き残るには、戦闘技術が必要だった」
(……マイヤって、そんな状況で生きてきたの?)
花鈴が驚いていると、アレックスは少し苦笑した。
「護衛隊長グレッグに、容赦なく鍛えられていたよ」
「グレッグって……背が高くて、クマみたいにガッチリした、あの?」
「表現は的確だな」
思わず頷くアレックス。
花鈴は以前、厨房を借りてクッキーを焼き、護衛隊に差し入れたことがあった。
グレッグは大きな手で小さなクッキーをつまみ、「美味い」と不器用に褒めてくれた男だ。
(あのグレッグさんが、マイヤの師匠……!)
その瞬間、花鈴の胸の奥に火がついた。
「わたしも受けてみたい!」
アレックスは珍しく明確に動揺した。
「……花鈴。それは、かなり、辛いぞ?」
「大丈夫よ。マイヤだってやってたんだから!」
気圧されたアレックスは、翌日すぐにグレッグへ指示を出した。
――そして、花鈴は後悔することになる。




