「扉」の謎
老女は、マイヤを一目見るなり、そう言った。
まるで、長い間待ち続けていた約束の相手が現れたかのように。
「徳太朗、お茶を淹れてきておくれ」
「はいはい、まったく正気の時の人使いは手厳しいねぇ」
蛯名が苦笑しながら部屋を出ていくと、老女はそっとマイヤの手を握った。
「……まもなく御神木さまは完全に消える。けれど今ならまだ、波動を介して「もう一人の娘」と心を繋げられる」
マイヤの息が止まった。
「もう一人の……娘?」
老女は頷き、静かに目を閉じた。
「お前の魂の交換相手さ。二つの魂は入れ替えられ、器の色を変えた。そうだろう?」
「どうして……そんなことが起きたんですか?」
マイヤの声は震えていた。
「私は、誰なんですか? どうしてこんなことに……」
老女は淡々と、しかし慈しむように言った。
「お前はすでに、その答えを心の底で知っている。
「取り替え」は不可塑――戻すことはできない。だが、それは不幸ではない。お前は、本来出会うはずのなかった運命の相手に出会ったのだから」
マイヤの瞳が大きく揺れた。
哲司が息を呑む。
「……でも、それじゃあ私たちは、これからどうなるんですか? 私は、どうして花鈴の世界に飛ばされて来たの?」
マイヤの叫びに、老女は首を横に振った。
「いいや。「扉」を開けたのは、御神木ではない」
「扉? 扉って、何のことですか?」
マイヤが身を乗り出したその瞬間、老女の瞳から光がすっと消えた。
「……」
まるで糸が切れたように、虚空を見つめる。
意識が、再び霧の中に沈んでいく。
そこへ蛯名が茶を持って戻ってきた。
「はい、お茶だよ――って、ああ、また戻っちゃったか」
彼はため息をつき、マイヤと哲司の前に湯飲みを置いた。
「聞きたいことは、聞けたかい?」
哲司はマイヤをちらりと見てから、小さく頷いた。
「全部は……まだです。でも、また伺ってもいいですか?」
「もちろんさ。あの人も、きっとそれを望んでる」
2人は深く頭を下げ、家を後にした。
外に出ると、雪が静かに降り始めていた。
白い粒がマイヤの髪に落ち、すぐに溶けて消える。
「……マイヤ、大丈夫か?」
哲司が声をかけると、彼女は小さく首を振った。
「分からない。ただ……「扉」って言葉が頭から離れないの」
哲司は無言で、マイヤの手を握った。
雪道を並んで歩く。けれど、その歩幅の間に、かすかに冷たい風が入り込んでいた。
マイヤの胸の奥では、何かが蠢いていた。
それは不安ではなく、もっと原始的な「呼び声」のようだった。
――花鈴。
もし、あなたが私と入れ替りでノールヴァルドにいるのならば……
この声が届くその日まで、私は進まなきゃいけない。
雪の中で、マイヤはそっと目を閉じた。
風が木々を揺らし、遠くで何かが、確かに囁いた気がした。




