声を聞く巫女
マイヤと哲司は、元・神主の蛯名の家に招き入れられた。
木造の家は古びていたが、どこか懐かしい香りがした。囲炉裏の火が静かにぱちぱちと音を立て、部屋の隅に吊るされた鉄風鈴が、かすかに揺れて鳴った。
「ここには、お一人でお住まいなんですか?」
哲司が尋ねると、老人は笑って首を振った。
「いや、叔母と二人暮らしさ。もう九十を過ぎているがね。体は弱っても、口だけは達者で困るよ」
蛯名は湯飲みに熱い茶を注ぎ、二人の前に置いた。
そして、先ほど神社で話していた「御神木の悪戯」について、改めて語り始めた。
「そうそう、あの木のことだけどね。昔から「魂を入れ替える」悪戯好きの神様が宿っていると言われているんだ」
「魂を……入れ替える?」
哲司が眉を寄せる。
蛯名はゆっくり頷き、言葉を続けた。
「御神木さまは、この土地の守り神でありながら、ちょっとした気まぐれを起こす。似た魂を見つけると、まれに「入れ替え」てしまうのさ。魂は記憶という刻印に従って新しい器――つまり肉体に馴染み、その中で目を覚ます。だから、「他の誰か」の魂を宿す人間が時折生まれる。そういう伝承が残っているんだ」
マイヤと哲司は、思わず顔を見合わせた。
(「器」……身体のこと?)
マイヤの脳裏に、氷の精が放った言葉がよぎる。
――この器の父親は
その意味をようやく、彼女は理解しかけていた。
(じゃあ、私がノールヴァルドで生まれたとき黒い髪と瞳を持っていたのは……この国の花鈴の魂が、私の器に宿ったから?)
あまりにも、自分たちの状況と重なりすぎている。
その考えが胸を深く刺した。
マイヤの肩が小さく震える。
哲司はそれに気づき、そっとその肩を抱いた。
「……それで、違う魂を宿した人は、その後どうなったんですか?」
哲司が静かに問うと、蛯名は茶をすすり、遠い目をした。
「残念ながら、そこまでは誰も知らない。この辺りの言い伝えは口伝えでね、書き残された文書はほとんどない。ただ、うちの家系では何代かに一度、「御神木の声を聞ける者」が生まれると言われておってな」
「御神木の……声?」
マイヤが身を乗り出した。
「そうだよ。御神木の波動を通して、神や魂と直接交信できる巫女のことだ。わしの叔母がそうだった。元はこの神社の巫女でな、ずいぶん長いこと木と語り合っていたもんだ」
「その方は、今どちらに?」
マイヤが問うと、蛯名は襖の向こうを指差した。
「隣の部屋にいる。もう九十を超えているが、まだ息災だよ。ただな、最近はボケが進んでいて、まともに話せるかどうか……」
「それでも会わせてください」
「俺も、お願いします」
2人の強い目に押され、蛯名は小さく頷いた。
「いいだろう。実はあの人、最近「もうすぐ誰かが訪ねてくる」って何度も口にしていてね。もしかしたら、君たちのことを待っていたのかもしれない」
* * *
襖を開けると、部屋の空気が一変した。
清められたような静けさの中で、線香の香りと古い木の匂いが混ざり合い、時が止まったように感じられた。
座布団の上に、白髪を丁寧に結い上げた老女が座っていた。
深い皺の刻まれた顔に、透き通るような瞳――その光は、今でも若々しい生命を宿していた。
「来たね」




