御神木の悪戯
マイヤはつま先を伸ばし、そっと哲司の頬に唇を寄せた。柔らかな温もりが、雪の冷気をとかしていく。ふたりの吐く白い息が重なり、笑い声が雪の上に散っていった。
* * *
その日、ふたりが向かったのは郷土資料館で聞いた廃社――金森神社だった。
今はもう神主もいないが、元・神主がその敷地内に住んでいるという。
「うわぁ……本当に廃れてるね」
朱の鳥居は色褪せ、苔と霜に覆われていた。
境内に入ると、中央に巨大な木が横たわっている。幹の途中で無惨に折れ、倒れた幹が社殿を直撃したようだ。黒々と残った焦げ跡が落雷の凄まじさを語っていた。
「これが……御神木?」
哲司の呟きに、マイヤはふと息をのむ。
その瞬間、胸の奥を鋭い焦燥が走った。
(……なに、この感覚。懐かしい、でも怖い)
朽ちかけた木に近づき、そっと手を触れる。
次の瞬間、微かな波動のようなものが指先を走り抜け、頭の奥に声が響いた。
(「……マイヤ」)
誰かが、自分を呼んでいる。
自分とそっくりな声で。
(「花鈴? 花鈴なのね!? どこにいるの!?」)
(「私は……ノール……」)
そこで、ぷつりと声が途切れた。
マイヤは慌てて目を開け、凍りついたように立ち尽くす。
「どうした、マイヤ? 顔が真っ青だ」
哲司の声で、ようやく我に返った。
「花鈴が……」
「え?」
「花鈴が私を呼んだの。でも、もう聞こえない」
哲司は眉を寄せる。
「どういうことだ? 花鈴は…いったいどうやって…?」
「わからないの。でも確かに、声がしたの」
マイヤの瞳が揺れる。その時、背後から柔らかな声がした。
「おや、珍しいお客さんだねぇ」
ふたりが振り向くと、八十を超えたであろう老人が立っていた。背は曲がっているが、瞳は澄んでいて、どこか達観したような光を宿している。
「あなたが……金森神社の神主さんですか?」
「いやぁ、もう元神主だよ。こんな所に何の用だい?」
哲司とマイヤは挨拶を交わし、郷土資料館で聞いた話を説明した。
神隠しや入れ替わりの伝承を知りたくて訪ねたことを伝えると、老人は愉快そうに笑った。
「おお、そういう話が好きなのかねぇ。なら、「御神木の悪戯」を知っているかい?」
「「御神木の……悪戯?」」
ふたりの声が揃う。
老人はにこりと笑い、からかうように言った。
「おや、息もぴったりだね。ふたりは付き合ってるのかい?」
マイヤが元気よく答えた。
「はい! 恋人同士です!」
哲司は顔を覆った。
老人は声を上げて笑い、「若いっていいねぇ」と言ってから頷いた。
「まぁ、寒いから中へおいで。お茶でも飲みながら話そうじゃないか」
ふたりは顔を見合わせ、笑ってうなずいた。白い息がふわりと交わる。
その時、マイヤの胸の奥では、まだ微かに花鈴の声が響いているような気がしていた。
(――花鈴。あなたは、どこにいるの?)
その答えを知るのは、もう少し先のことだった。




