目撃者ゼロ
「私が落ちた湖よ」
展示の説明を見ると、「碧瑠璃」と書いてあった。
「……集落の湖の色とも似てるな」
「私も、そう思った……真ん中辺りの色」
頭の中に、鮮やかに蘇る、ノールヴァルドのラズールヌィ湖。侯爵邸からの景色が、マイヤに何かを訴えているようだった。
さらに進み、二人は目的のコーナーにたどり着いた。棚には、古い文献や民話の記録が並んでいた。
「恩返し系の話ならたくさんあるぞ。鶴とか雁とか、緋鯉の恩返しとか」
「神隠しとか、入れ替わりみたいな話はない?」
マイヤが言うと、哲司は首をかしげながらページをめくった。
その時、マイヤの目に一冊の古びた本が止まった。
表紙には、金髪碧眼の人々が描かれている。ページを開くと、そこには「突如現れた金髪碧眼の民」の記述があった。
「……金髪碧眼の民、か」
哲司が覗き込む。
「これ、ばっちゃんがよく花鈴に話してた話だよ。「お前の先祖も、遠い昔に突如この地に現れた人たちのひとりなんだ」って」
マイヤは、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
(花鈴は、大切にされていたんだ……)
安堵と、どこか羨ましさが入り混じる複雑な感情が、静かに胸を満たした。
そのとき、館長らしき男性が声をかけてきた。
「ずいぶん熱心に見てますね。何かお探しですか?」
「ええ、学校の課題で調べ物をしていて。神隠しとか、取り替え子のような昔話って残ってますか?」
哲司が迷いなく尋ねる。
「もちろんありますよ」
館長は微笑んで言った。
「口伝えの話ですが、15年ほど前に落雷で廃社になった金森神社の元・宮司さんがとても詳しい方です」
その言葉に、哲司は思わず目を見開いた。
「……金森神社? あの、山の麓の?」
「ええ、そうです」
哲司はマイヤの方を振り向いた。
「灯台下暗し、ってやつだな」
思わず笑い合い、二人は礼を言って資料館を後にした。
* * *
帰り道。
陽はすでに傾き始め、森の入口には長い影が伸びていた。
街の喧騒が遠ざかるにつれ、風の音とタイヤの擦れる音だけが響く。
「金森神社……集落の近くだよね」
「うん。廃社って聞いたけど、建物はまだ残ってるはずだ」
「行ってみたいな」
「俺もそう思ってた。じっちゃんが小さい頃、よくあそこに遊びに行ったって言ってたし」
穏やかな会話が続く中、前方の道に一台の白いバンが止まった。
哲司がブレーキを握る。
「……なんだ?」
次の瞬間、ドアが開き、数人の男たちが飛び出してきた。
「よし、かかれ!」
先頭の男の声が響く。伸びかけた金髪をかき上げ、口の端に不敵な笑みを浮かべていた。崇だった。
「な、何するの!?」
マイヤが叫ぶ間もなく、腕を後ろから掴まれ、羽交い締めにされる。口にタオルを押し付けられ、何か薬を嗅がされた。マイヤの目から、意識が失われていくのが見て取れた。
「その子を離せ!」
哲司が駆け寄り、男たちに掴みかかる。拳が飛び、雪解けの泥に足を取られながらも、必死に抵抗した。
「カッコつけんなよ、兄ちゃん!」
崇の仲間が哲司の頬を殴る。血が滲んでも、哲司はマイヤの名を叫び続けた。
「めんどくせぇ、そいつも連れてけ!」
崇が吐き捨てる。
その合図と同時に、哲司も押さえつけられ、二人はバンの中へと引きずり込まれた。
ドアが閉まる音が響き、エンジンが唸る。
街へと続く道には、誰の姿もなかった。




