自転車の練習――縮まる距離
朝の陽光が、白銀の世界を柔らかく染め上げていた。
雪面に反射する光は眩しく、しかしどこか優しい温もりを帯びている。
マイヤは立ち止まり、吐く息の白さの向こうに広がる光景を見つめた。
(ここは……憧れていた、陽の国かもしれない)
雪国にいながら、こんなにも光が暖かい場所があるとは。マイヤは思わず目を細め、雪を踏みしめながら湖へと歩を進めた。
(まずは……この目で、発端となった場所を確かめよう)
哲司との約束が、脳裏に蘇る。
『……あんたは、「花鈴」として生きながら、思い出せることを探せ』
マイヤは、早速実行しようと湖へ向かっていた。
湖面は一面の白で覆われ、土手との境界線さえ曖昧だった。
薄い氷の下から、かすかにきしむ音が聞こえる。風が頬を撫で、記憶の底に沈んだ過去を呼び覚ます。
マイヤは、自分が沈んでいった湖を思い浮かべていた。ヴァルノイア侯爵本邸のある山の麓にある湖・ラズールヌィ湖は、とても大きく、空気の澄み渡るよく晴れた日でなければ、対岸は見えない。それに、夏の盛り以外は、大体表面は凍っていた。
(でも……この湖は、それ程大きくないわ。……深さがあるのかしら?)
足元を確かめながら一歩近寄る。雪に覆われ一面が白くなった湖は、水の色も底の深さも、目視出来なかった。
ゆっくりと足を進めたそのとき、背後から声が響いた。
「おーい! マイヤ!」
振り向くと、哲司が雪煙を上げながら駆けてくる。腕には、真新しく磨かれたファットバイク。
「自転車持ってきたぞ。これがないと不便だろ」
彼が得意げに笑う。道端に放置されていた花鈴のバイクを整備し直し、わざわざ届けてくれたのだ。
「……じてんしゃ?」
マイヤはまじまじとその奇妙な乗り物を見つめた。
「まさか、乗ったことないのか?」
「乗ったことないどころか、初めて見る。……これ、車輪を回すのは馬?」
「いや、自分の足で漕ぐんだよ」
哲司は笑いながら跨り、軽快にペダルを回してみせた。
雪を蹴って進むタイヤの跡が、まるで魔法のように伸びていく。
「すごい……! 便利そうね。私も乗ってみたい!」
興味津々のマイヤは勢いよく跨ったが、すぐに左右にぐらつく。バランスを崩して雪の上に転びそうになるのを、哲司が後ろから支えた。
「大丈夫、すぐ乗れるようになる。練習してみよう」
「きゃー! 落ちるー!」
二人の笑い声が、冬の空気の中に吸い込まれていく。
雪の粒が陽を受けてきらめき、そのたびにマイヤの頬が笑みに緩んだ。
* * *
太陽の日差しで気温はぐんぐん上がり、辺りの雪を溶かしていった。朝に一面白だった湖面もすっかり本来の色を取り戻していた。
光が反射して水面をキラキラと輝かせる。
しかし、そんな風景などそっちのけでマイヤは、自転車に夢中になっていた。
あっと言う間に、自転車を乗りこなすようになったマイヤは、いろいろな乗り方に挑戦していた。
「見て! ほら、手を離しても走れる!」
「いや、危ないって!」
哲司は苦笑しながら追いかける。
風を切って駆ける感覚が心地よく、マイヤはまるで子どものようにはしゃいでいた。
「ちょっと休憩しよう!」
哲司が額の汗を拭いながら立ち止まると、マイヤも自転車を停めて横に来た。
ふと湖に目を向けてると、朝とはすっかり様子が違っていた。
「わぁ、雪が溶けてる」
「今日は、いい天気だからな」
「実は私、朝、湖を確認しようと思ってここに来たのよ」
「おぅ。早速、調査だな」
「そうなの。でも、雪で一面真っ白で…」
「何を確認しようとしたの?」
「規模とか水の色とか…あれ? 真ん中辺だけ、水の色が違うわね」




