青森のマイヤリリス
目を開けると、白い天井が広がっていた。
眩しさに瞬きを繰り返し、マイヤリリスはようやく現実の輪郭をつかむ。
(……死ななかったのね)
凍った湖の上を裸足で歩き、身を切るような冷たい水の感覚を思い出し、ブルリと震えた。
震えた手から、冷たい金属の感触が伝わる。
白い壁、規則正しい機械音。ここがどこなのか、見当もつかない。
ただ、息をしている——それだけが確かだった。
視線を横にやると、腕には透明な管が繋がれていた。その中を液体が静かに流れている。
(……魔力の供給装置? 違う。これは……水?)
理解が追いつかぬまま、ゆっくりと上体を起こすと、ベッド脇の金属の盆が落ちて甲高い音を立てた。
カシャーーーン‼︎
青い服を着た若い女性が驚き、目を見開いた。
「せ、先生! 患者さんが目を覚ましました!」
その声が走り去ると同時に、遠くから複数の足音が近づいてきた。白衣をまとった男女が次々に部屋へと入ってくる。知らない単語が飛び交い、光の中で世界が眩しく歪んだ。
怯えたマイヤは、反射的にベッドの端へと身を寄せた。
その時——人の輪の中を分けて、一人の女性が彼女の前へ進み出る。
「花鈴……!」
柔らかく震える声。
マイヤはその呼び名に、胸の奥で何かがかすかに反応するのを感じた。
次の瞬間、女性の腕がマイヤを包み込んだ。涙で濡れた頬が、マイヤの首筋に触れる。
「大丈夫、大丈夫……もう、心配しなくていいんだよ」
その温もりに、マイヤの体は固まったまま動けなかった。
抱きしめられた経験など、一度もなかったからだ。
(……こんな風に、誰かに抱きしめられるなんて)
温かい。重い。けれど、痛いほど優しい。マイヤは小さく息を吐き、まぶたを閉じた。
初めて知る「他人のぬくもり」に包まれながら、彼女は再び静かな眠りに落ちていった。
* * *
「ここは……どこ?」
数日後。
体力を取り戻したマイヤは、退院したその日、古びた木造の家へと連れてこられた。
天井の梁は黒光りし、畳の匂いがした。囲炉裏の上で鉄鍋が音を立て、外では雪が風に舞っている。
「ここは青森。花鈴が生まれ育った家だよ」
そう告げたのは、あの日マイヤを抱きしめた女性――花鈴の祖母だった。
皺だらけの手が湯呑を差し出しながら、穏やかに笑う。
「ずっと暮らしていたのさ。やっぱり、何も思い出せないのかい?」
マイヤは首を横に振った。
「私は……花鈴じゃないんです」
病院で幾度となく訴えたが、誰も受け入れてくれなかった。
自分の話を聞いてもらえないことなどノールヴァルドで慣れっこだったが、髪が黒いだの瞳も黒いだの、そんな今さらなことを驚かれあれこれ調べられたのは訳が分からなかった。
その過程で分かったのは、この土地の人間は皆、マイヤと同じような黒髪、黒眼なこと。たまに茶や金髪の人間もみるがその人たちは、別の国から来たこと。
そしてどうやら魔法を使える人間が存在しない場所のようだった。
誰もが見たことのない奇妙な道具を使うが、それらの動力は魔力とは違うようだった。
魔力を持たないマイヤにとっては馴染みやすい場所のような気がする。
(私が異端じゃない世界……皮肉ね)
祖母は沈黙を見つめながら、涙の混じった笑みを浮かべた。
「花鈴……髪や目の色が変わっても、大事な孫に変わりはないよ」
その言葉には、確かな愛情があった。
マイヤは否定しようとしたが、喉が動かない。この人が「花鈴」をどれほど想っていたのか――それが胸を締めつけた。
「あなたを……何て呼べばいいの?」
「花鈴はいつも「おばあちゃん」って呼んでたよ」
「……おばあちゃん」
そう呼ぶと、祖母は嬉しそうに微笑んだ。その笑顔に、マイヤの胸の奥がわずかに温かく灯った。
* * *
夕暮れ。雪明かりが射す縁側に、足音が近づいた。
「ごめんくださーい」




