蒼いビーズ
「そうかもね、あくまで古い伝承だよ」
「歌によると各地に「扉」があるようだが、北では「扉」に関する書物は残されていなかったのだが…」
「そりゃ、現れた人がその地でどうしたかにもよるんじゃない? うちの先祖みたいに定住した人がいれば、人の記憶が残る。絶望して……ってなれば、記録も残らないでしょ。それか、長い長い間誰も潜ることがなかったとかね」
「その「扉」について詳しいことが書かれた書物が南には、あったりするか?」
「書物は知らないなぁ、だって俺、文字読めないし。この歌はうちの一座に代々伝わってるもので口伝えだし……まぁ結局、昔すぎて本当のところは誰にも分からないよね」
歌手は、しんみりした口調になったが、すぐに陽気さを取り戻した。
「質問もうおわり? じゃ、じゃんじゃん飲もっか!」
二人は、気に入られなかなか帰してもらえなかった。
* * *
すっかり遅くなり、外に出ると夜風が頬を刺した。しかし祭りはまだ終わらないらしい。
広場では焚き火が勢いよく燃え、その周囲を大勢の人々が取り囲んでいた。
二人は人波を抜け、静かな帰り道を歩き始める。
「なんだかんだで楽しい一日だったわね」
「そうだな。……南国の歌は、我々の予測を裏付けてくれた。ただ、まだまだ分からないことも多いがな」
「扉をくぐると、どこか別の世界に行くだけじゃなく、繋がった世界の人と入れ替わるというのも、予想通りだったわね。でも、どうして入れ替わるのかしら……?」
「世界の理をねじ曲げるには、等しい力が必要だ。誰かが来れば、誰かが消えるのだろう……均衡を保つために」
「世界の均衡……なるほど、天秤みたいね」
花鈴は納得したように小さく頷いた。
「でも、違うところもあるわよね。私の髪は黒じゃないし、言葉も通じた」
「伝承は歪む。真実をそのまま映す鏡じゃない」
(そうよね……全部が正しいとは限らない。でも――)
「……それでも、どうして私とマイヤはこんなに似ているの?」
「そこが私も引っかかっている。扉とは違う理由があるのだろうが……」
「それはなんなのか。……今後の課題ね」
アレックスは静かに頷き、夜空を仰いで目を閉じた。
「マイヤは、君の世界にいるのだな……」
「心配?」
「……彼女は、あの日、死を覚悟していた。この現実からの解放を願っていたように思う。だが別の世界へ行ったのなら――少なくとも、この世界のしがらみからは自由になれたのだろう」
「確かに。私も、青森でのしがらみからは解放されたわ。……まあ、こっちの問題は山積みだけど」
重い話題をどこか明るく語る花鈴に、アレックスはそっと腕を回した。
(強がりかもしれない。それでも――この在り方は、尊敬に値する)
「花鈴、先ほどの質問の答えだが……私とマイヤは、恋人ではない」
曖昧になっていたことに真摯に答えるその声音が、花鈴には心地よかった。
答えを聞いた瞬間、胸の奥がふっと軽くなる。
「扉の真相も、君たちが似ている理由も、まだ分からないことだらけだ。……それでも私は、花鈴が望むように生きられるよう、全力で力になりたいと思っている」
その言葉は花鈴の中に静かに染み渡り、胸の奥が熱を帯びた。
ふと魔塔で初めて会った日に交わした会話が蘇る。
「努力とか、信じる気持ちとか。それで何かを変えるのが、私たちの「魔法」なんだと思う。」
アレックスは、花鈴の世界の魔法を覚えていてくれる人だ。忘れずに、心に留めてくれている人だ。
肉親以外の誰かに、こんな言葉を向けられたのは初めてだった。
どれほど嬉しいか伝えたいのに、込み上げる涙が言葉を奪う。
花鈴はただ、そっとアレックスに体を預けた。
抱き寄せた彼の腕に力がこもる。花鈴の想いに応えるように――。
* * *
夜が更け、王都は静けさを取り戻す。
タウンハウスの窓辺に立ち、花鈴は自分で作ったブレスレットを見つめた。
蒼いビーズが月光を受けて微かに光る。
ブレスレットは、組み紐を色違いで2つ作った。
(もう一つは、いつか、アレックスに渡したいな……)
そう思うと、不思議な安心が胸に広がった。
(マイヤ、あなたは、今どうしてる?)
ほんの一瞬、目が合っただけだった。
しかし、マイヤとの繋がりを深く感じている。
彼女を思い、花鈴の心は、遠い青森の夜へ還っていく。
雪の匂い、祖母の笑顔、灯りの少ない街の空気――懐かしさに胸が締め付けられた。あんなに嫌だと思っていたのに。
(私は、帰りたいの? ……分からない)
花鈴はそっとブレスレットを握りしめた。蒼い粒が、彼の瞳のように静かに輝いている。
自分の中に灯ったこの感情が何か、確かめたいと思った。
「……アレックス」
その名を呼ぶ声は、夜の静寂に溶けた。
月は雲に隠れ、世界の境を静かに揺らしていた。




