大事な人を守る
「久しいな、息子よ。……いや、今は魔塔主アレクサンドルだったな」
王の低い声が、謁見の間に反響した。
アレックスは膝をつき、形式だけの礼を取る。
玉座の男――この国の頂点に立つ王が、わざわざ息子と呼ぶのは、決まって何かを求める時だった。
「陛下。ご用件をお聞かせください」
「単刀直入に言おう」
王は長く息を吐き、重い言葉を落とした。
「湖から戻ったマイヤリリス――あの娘は、本当に人間なのか?」
アレックスは一瞬、耳を疑った。
「……今、なんと?」
「問うておるのだ。解呪の儀を終えたあの娘が、「異なるもの」でないかとな」
王の声音には、恐怖が滲んでいた。
それは信仰にも似た支配者の恐れ――己の理解を超えるものへの忌避。
「侯爵令嬢のあの姿は、王家の意向に忠実に儀式を行った結果です。疑う要素はないはずですが……」
アレックスが淡々と事実を述べると、王は不満気な顔をしたが、反論はしなかった。
「もし悪魔に取り憑かれていたとすれば、王太子との婚約など危険極まりない。我が息子ロディオンは聞く耳を持たん。……だから、お前に調べてほしいのだ」
アレックスの胸の奥で、古傷が疼いた。
まただ。
王にとって、都合の悪い存在はすべて「異端」と呼ばれる。
「証明せよ。もし彼女が人間ならばよし。そうでないなら……分かるな?」
(秘密裏に処理せよと言うのだな……)
その言葉に、アレックスの唇がかすかに歪んだ。
「王族にとって都合の悪いものは、皆「悪魔」ですか」
皮肉を含んだ声に、王は動じない。その眼差しは、血を分けた親のそれではなかった。支配者として、冷徹に命を下す者の目。
幼い頃の王宮での日々が蘇る。あの頃も今も、この王は変わらない。全ての基準は、自分にとって有益か否かで決まるのだ。
沈黙が満ちた。
アレックスは、先程の魔力の暴走に翻弄される花鈴の姿を思い浮かべた。
マイヤと入れ違いでこの世界に来た花鈴。髪と目の色が違えど、そっくりな容貌で、突然マイヤとして生きることになってしまった。
それにも関わらず、毅然と自分の道を探そうとする彼女が、こんな理不尽の渦に飲み込まれようとしている。
花鈴と過ごした時間は、父である王とのそれと比べたら、瞬く間かも知れない。しかし、そんなことはどうでも良い。アレックスには、はっきりと分かっていた、自分が誰の側に立つべきか。
アレックスは静かに立ち上がる。
(今までの自分は、面倒を最小限に抑えるのが得策と考えいたかも知れない――だが、今は違う。助けたいと思う人がいる)
「……承知しました、陛下」
従順な返事とは裏腹に、その瞳には、決意が宿っていた。
――自分の信念に従い、大事な人を守る。
* * *
花鈴はタウンハウスの自室で、まるで糸が切れたように倒れ込んでいた。
昨夜の出来事――人々の裏の感情が雪崩のように押し寄せ、心身をすり減らした。
目を閉じても、エレンの黒い靄や、ロディオンの陶酔した瞳が脳裏を離れなかった。
(……もう、考えたくない)
思考を拒んだまま、意識は暗闇に沈んでいった。
* * *
翌朝、薄い朝日がカーテン越しに差し込むと、リースが静かにトレイを持って入ってきた。
「お嬢様、少しでも召し上がってくださいませ。クルミ入り蜂蜜粥にクランベリーソースを少し……」
花鈴はぼんやりした目でスプーンを動かした。甘さが口に広がる。けれど、心はまだ冷たかった。
「……ありがとう、リース」
その時、扉がノックされた。
「魔塔主様がお見えです」
花鈴の手が止まる。胸の奥が、なぜかほっとしたように温かくなる。
「おはよう」
「おはよう。昨日は……少し無理をしたな」
彼の声は穏やかで、雪解けのようだった。
「体が大丈夫なら、今日から少しずつ訓練を始めようと思う」
「訓練……?」




