感応の萌芽
扉が開く。謁見の間の中央に、金髪の青年が立っていた。
王太子ロディオン。
美しい。けれど、その美しさは刃物のように鋭く、近づけば切り傷を負いそうだった。
残虐さを潜めた王太子を目の前にして、花鈴は緊張で硬くなった。
「……未来の、我が花嫁よ」
その声は甘く響きながら、どこか芝居がかっていた。彼は花鈴の手を取り、恭しく唇を寄せる。
その瞬間、背筋をぞわりと冷気が走る。
(――触れないで)
叫び出したい気持ちであったが、侯爵令嬢マイヤリリスとして来た以上耐える他ない。
「呪いが解けたというのは本当だったのだな。侯爵家の特徴である金の髪に、新緑の瞳。……まさに祝福の証だ。」
祝福――?
あの儀式のどこが。
ロディオンは満足げに微笑みながら、まるで自分こそが英雄であるかのように語り始めた。
「私はそなたを救った。国のため、未来のため、そして何よりも愛のために。だからこそ、あの試練を与えたのだ」
(愛?)
花鈴は微笑を保ったまま、心の中で吐き捨てた。
(ロディオンのそれは、支配と所有の言葉でしかない)
そのとき、扉の向こうから甲高い声が響いた。
「王太子殿下。侯爵令嬢様、ご機嫌麗しゅうございます」
蜂蜜色の髪を揺らす、若い貴婦人が入ってきた。
ルッツェン伯爵令嬢、エレン――その顔には、完璧に仕上げられた自信が張り付いていた。
「殿下、お話の途中に失礼いたします。マイヤリリス様のご容態について、僭越ながら――」
「無礼である」
ぴたりと、空気が凍った。
エレンの微笑みが引きつり、場の視線が一斉に動く。
「今、私は未来の妃と話している」
ロディオンの言葉に、花鈴は息を呑んだ。
――まるで、見せつけるように。
その瞳は完全に陶酔し、エレンなど存在しないかのようだった。
エレンの視線が、花鈴に突き刺さる。
(……あぁ、これは)
次の瞬間、胸が締め付けられるような痛みが走った。
視界がぐにゃりと歪み、エレンの笑顔の裏側――濁った黒い靄が見えた。
嫉妬、侮蔑、そして恐怖。
まるで彼女の心そのものが、花鈴の中に流れ込んでくる。
「っ……!」
息が詰まり、立っていられない。花鈴は必死に言葉を絞った。
「失礼します……体調が……」
ロディオンは一瞬眉を寄せ、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「無理をするな。我が婚約者よ。近く、盛大に婚約式を行う予定だ。……楽しみにしておれ」
婚約式――?
今、この状況で?
エレンは?
侯爵家は?
全てを自分の手柄と発表するつもりなの?
笑みを貼り付けたまま、花鈴の心臓は激しく打っていた。
その場を去るとき、背後でエレンの甘い声が響く。
「殿下……どうかお怒りを鎮めてくださいませ。侯爵令嬢様も、儀式の疲れがまだ……」
(……嘘ばっかり)
扉を抜けた瞬間、花鈴は壁に手をついた。
ステンドグラスの光が床に色を落とす。
美しいはずの世界が、すべて「偽りの幕」に見えた。
――この国の人たちは、仮面を被っている。
笑顔の下で誰かを踏みつけ、善意を装って「正義」を語る。
その瞬間、胸が灼けるように熱くなった。
侍女の不安、衛兵の猜疑、貴族たちの嘲り――あらゆる「心の声」が押し寄せてくる。
無理矢理入り込んで来るそのノイズで、頭が割れそうだった。
「やめて……! もうやめて!!」
花鈴は頭を抱え、膝をつく。
痛みが脳を刺し、息ができない。
そのとき――
「落ち着け」
静かな声と共に、背後から腕が支えた。
淡い光が花鈴を包み、騒音が遠ざかっていく。
「……アレックス……!」
見上げると、彼は無言で手をかざしていた。
花鈴を包む淡い光は、彼の手から発せられていた。
その表情には焦りも恐れもなく、ただ穏やかさだけがあった。
「君の魔力が暴走しかけていた。……嫌な予感が当たったよ」
「どうして……ここに?」
「王に呼ばれた。だが転移陣の中で、君の波動が乱れたのを感じて――」
花鈴は唇を噛みしめた。
「……私、また勝手に力が出て。人の心が全部、流れ込んできて……怖かった」
アレックスは、静かに彼女の手を取った。
「それは「覚醒」の第二段階だ。――感応の力」
花鈴は震える指で彼の手を握り返した。彼の掌は温かく、その温もりだけが現実のように思えた。
「感応?」
「相手の心に触れる力だ。だが危険が伴う。……制御を覚えなければ、いずれ君自身が壊れる」
アレックスの脳裏に幼い日の記憶が蘇った。力が暴走し、光に呑まれ、視界を失った日。誰も手を差し伸べてくれなかった。
制御を知らずただ一人で、恐怖の中を模索したあの日の、自身が壊れそうになった痛みを。
(私は、知っている。彼女に今起こっている苦しみを)
「どうやって?」
「訓練だ。心配いらない。私がいる」
花鈴は小さく頷き、目を閉じた。
アレックスの存在が、彼女の心の中のざわめきを静かに沈めていく。
遠く、王都の鐘が鳴った。
新たに始まる試練の幕開けのように。




