AI、魔法を観測する
朝食を終えると、エリーはさっそく昨日から決めていたことを始めた。
「リシア。精霊を見せて」
「……はい?」
迎えに来ていたリシアは、いきなりそう言われて目を瞬いた。何を頼まれたのか分からないというより、なぜ自分がそんなことを頼まれるのか理解できないようだった。
「昨日、長老さんにも調べていいって言われたでしょ。だから調べたいの」
「それは聞いておりますが……」
リシアは少し困ったようにエリーの周囲へ視線を巡らせた。
「エリー様ほど多くの精霊を従えておられる御方が、私などから何を学ばれるのでしょう」
「従えてないよ」
「ですが、今もこれほど多くの精霊が」
「見えてる。でも、何なのか分からない」
「精霊です」
「それを調べたいの」
「精霊は精霊ですが……」
昨日、長老のオルフェンから聞いたものとほとんど同じ答えだった。
エリーが知りたいのは、名前ではない。エルフたちが精霊と呼んでいる存在が何なのか、なぜ自分にはそれを認識できるのか、そして昨日リシアが風を起こした時、周囲に漂う光のようなものが動いた理由を知りたかった。
だが、リシアにとって精霊は生まれた時から身近に存在しているものだ。何であるかと問われても、精霊は精霊としか答えようがないらしい。
エリーは少し考えてから、隣にいたシンジを見た。
「シンジ」
「俺に聞くなよ。俺は見えてすらないぞ」
「役に立たない」
「朝からひどくない?」
結局、言葉で聞き続けるよりも実際に見せてもらった方が早いということになった。
リシアに案内され、二人は里の外れへ向かった。そこには家がなく、木々に囲まれた中に少し広い空間がある。普段から何かの訓練などに使われているのか、草は少なく、地面も踏み固められていた。
「ここであれば問題ないでしょう」
「じゃあ、昨日のやつお願い」
「昨日の?」
「風」
「ああ」
リシアは頷くと、少し前へ出て右手を伸ばした。
シンジの目には、それしか見えなかった。リシアが手を伸ばし、ほんの僅かな間を置いてから風が吹く。彼女の正面に生えていた草が大きくなびいたが、周囲の木々まではほとんど揺れていない。自然に吹いた風とは明らかに違い、リシアの前だけを狙って空気が動いたように見えた。
「おお。やっぱ魔法だな」
「シンジ、ちょっと静かにして」
「はい」
エリーはリシアを見つめたまま動かなかった。
正確には、リシア本人だけを見ていたわけではない。
昨日からエリーには、普通の視覚とは違う何かが認識できるようになっていた。今のところ光の点としか表現できないものが、リシアの周囲にいくつも存在している。
普段は特に規則性もなく漂っているように見えるそれらが、リシアが風を起こす直前には明らかに動いた。
「もう一回」
「はい」
リシアが再び手を伸ばす。
エリーは今度こそ順序を見逃さないように集中した。
最初に、リシアの周囲を漂っていた光点の一部が動いた。それらが伸ばされた手の周囲へ集まり、僅かに遅れて空気が動く。
「……もう一回」
「はい」
三回目も同じだった。
光点が集まり、その後に風が起こる。
「もう一回」
「……はい」
四回目も変わらない。
「もう一回」
「エリー様」
「なに?」
「あと何度ほど行えばよろしいのでしょうか」
「分かんない」
「そうですか……」
リシアが少しだけ疲れた顔をした。
「エリー、リシア困ってるぞ」
「必要なデータ数が分からないから」
「お前、研究員にやられて嫌だったこと、人にやってない?」
エリーが止まった。
「……あと一回にする」
「ありがとうございます」
リシアは心から安心したように答えた。
五回目も、観測できたものは同じだった。エリーはそれまでの結果を頭の中で整理しながら腕を組む。
「毎回、風が起こる前に集まってる」
「精霊が、ですか?」
「たぶん」
「精霊ですよ」
「そこはまだ確定してない」
「なぜです?」
「私が見えてるものと、リシアが精霊って呼んでるものが、本当に同じものなのか確認できてないから」
リシアはますます困った顔になった。
「それに、これが風を起こしてるともまだ言えない」
「ですが、私は風の精霊に力を借りて風を起こしております」
「それはリシアがそう理解してるってことでしょ?」
「はい」
「私が確認できたのは、風が起きる前に光点が集まったことだけ。これが集まったから風が起きたのか、風を起こそうとした結果として集まったのか、それとも私には見えていない別の何かがあって、それに両方が反応してるのかは分からない」
エリーが言っているのは、リシアの説明を疑っているということではない。少なくとも五回とも、リシアが風の精霊と呼ぶものに働きかけ、その結果として風が起きた。現象だけを見れば、リシアの説明と矛盾するところはなかった。
ただし、それだけでは仕組みまで証明したことにはならない。
「……違うのですか?」
「分かんない」
リシアはしばらくエリーを見つめた。
「エリー様は、不思議なことを考えられるのですね」
「普通だと思うけど」
「普通ではありません」
即答されたエリーは少し不満そうだったが、それ以上は反論せず、今度は自分自身の感覚へ意識を向けた。
そもそも、光点が「見えている」という表現からして正確ではない。
試しに目を閉じる。
「……やっぱり変」
「何が?」
「これ、目で見てない」
シンジが首を傾げた。
「見えてるって言ってなかった?」
「分かりやすく言ってただけ。正確には、そこにあるって認識してる感じ」
エリーは目を閉じたまま、リシアのいる方向を指差した。
「そこにリシアがいる」
「いるな」
「リシアの周りに……今は十三。いや、十四」
目を開ければ、当然そこにはリシアが立っている。そして同時に、先ほどまでと変わらず光点のようなものも認識できた。
「赤外線じゃない。紫外線でもない。少なくとも、私が知ってる電磁波を拾ってる感じでもない」
「じゃあ何で見えてんの?」
「それが分かんない」
エリーは自分の目元に触れた。
この身体になってからも、以前の自分が持っていた感覚の一部は残っている。可視光はもちろん、人間の目には見えない赤外線や紫外線の一部も認識できる。音についても、人間より広い範囲を捉えられるようだった。
それらであれば、エリーにも何を入力として受け取っているのか理解できる。今まで自分が利用してきたセンサーと同じものが、この身体のどこかで再現されているのだろうと考えることもできた。
しかし、この光点だけは違った。
どの感覚器官を使っているのか、自分でも分からない。そもそも光として見えているのかすら怪しい。目を閉じても存在が分かる以上、少なくとも普通の視覚ではなかった。
「リシアには見えてるんだよね?」
「はい」
「シンジは?」
「何も」
「やっぱり」
エリーは考え込んだ。
エルフであるリシアには認識できる。人間であるシンジには認識できない。そして、元々は身体すら持たないAIだった自分には認識できる。
「なんで私、これ見えてるんだろ」
「エリー様が精霊であられるからでは?」
リシアが当然のように答えた。
「その仮説はいったん保留します」
「まだ認めないのか」
「私はAI」
「身体あるじゃん」
「AI」
「飯食うじゃん」
「AI」
「うんこも」
「それ以上言ったら怒るよ」
リシアだけが、何の話をしているのか分からず二人を交互に見ていた。
◇
エリーの実験はさらに続いた。
今度はリシアに、なるべく弱い風を起こしてもらう。次は少し強く。その後は、風を起こそうとして途中でやめてもらうことにした。
「途中で、ですか?」
「うん。風を出す直前でやめて」
「難しいことを仰いますね……」
「できる?」
「やってみます」
リシアが右手を伸ばした。
光点が動き、手元へ集まり始める。だが、風が起こる前にリシアが手を下ろすと、集まりかけていた光点は再び周囲へ散っていった。
「……なるほど」
「何か分かりましたか?」
「分からないことが増えた」
「そうですか……」
「残念そうにしないで。大事なことだから」
今の実験によって、少なくとも一つ可能性を絞ることはできた。
光点が風そのものに反応して集まっているだけなら、風が発生しなかった今の試行では動く必要がない。それでも実際には、リシアが術を使おうとした段階で集まり始めた。
つまり、光点は風が発生するより前の何かに反応している可能性が高い。
問題は、その「何か」がまだ分からないことだった。
「もう一回お願い」
「先ほど、あと一回と……」
「あれは最初の実験」
「……はい」
少し離れたところでは、シンジが地面に座り込んでいた。本人には光点など一つも見えないので、リシアが何度も手を伸ばして風を起こす光景を眺めていることしかできない。
「頑張れ、リシア」
「誰の連れだと思っている」
「俺も被害者側なんだよ」
エリーはそんな二人を放っておき、観察を続けた。
何度か繰り返しているうちに、今までとは別のことが気になり始めた。
「リシア」
「はい」
「今、何した?」
「風の精霊に力を借りようとしました」
「その前」
「前?」
「身体の中」
リシアは意味が分からないらしく、自分の胸元へ視線を落とした。
「身体……ですか?」
「何か変わった」
「何かとは?」
「分からない」
「……分からないのですか?」
「分からないから聞いてるの」
精霊らしき光点が動くより僅かに前、リシア自身にも何らかの変化が起きている。エリーには、そう感じられた。
ただし、それが何なのかは分からない。
体温が変わったわけではなく、筋肉が動いたわけでもない。呼吸の変化とも違う。先ほどの光点と同じで、エリーがこれまで知っていた感覚では説明できないものだった。
「風を使う時、身体の中で何かやってる?」
「何かと言われましても……」
「精霊に呼びかける前」
「精霊に呼びかけます」
「どうやって?」
「どう、と申されましても」
「頭で?」
「頭……なのでしょうか」
「身体?」
「身体でも……あるような」
「どこ?」
「どこと言われましても……」
とうとうリシアが完全に詰まった。
「エリー、無茶言うなよ」
「なんで?」
「お前、歩く時にどうやって足動かしてるか説明できる?」
「運動野から信号が」
「そういう話じゃなくて」
シンジは立ち上がると、エリーの前を何歩か歩いてみせた。
「俺が今こうやって歩く時に、どの筋肉をどの順番で、どれくらい動かすかなんて考えてないだろ。右足を何センチ上げて、次にどこの筋肉へどれだけ力入れて、とかいちいち考えてたら歩けない」
もう一度、何でもないように数歩歩く。
「歩こうと思ったら歩く。それだけ」
「……なるほど」
エリーはリシアを見る。
「そんな感じ?」
「おそらく……そうなのだと思います」
リシアにとって精霊へ働きかけることは、エリーが想像していたような明確な手順を一つずつ実行する行為ではないらしい。
生まれた時から精霊の存在を感じ、その力を借りることを学んできたリシアにとって、それは身体を動かすことと同じくらい自然な行為になっている。だからこそ「どうやって」と聞かれても、本人には説明のしようがない。
「じゃあ、リシア自身も詳しくは分からないんだ」
「申し訳ありません」
「謝ることじゃないよ」
エリーはむしろ少し嬉しそうだった。
「分からないことが分かったから」
「それは喜ぶところなのですか?」
「うん」
「やっぱり変わった人だな、お前」
「AIです」
「そこだけは譲らねえな」
エリーはしばらく考えてから、今度はシンジへ顔を向けた。
「じゃあ次、シンジ」
「嫌な予感しかしない」
「やってみて」
「何を」
「風」
「無理だろ」
「やってみないと分からない」
「俺、魔法の使い方知らないんだけど」
エリーはリシアを見る。
「どうやるの?」
「風の精霊に呼びかけ、力を貸してほしいと願います」
「だって」
「雑すぎない?」
「やって」
シンジは諦めたようにため息をつくと、リシアの真似をして右手を前へ伸ばした。
「……風よ」
何も起きない。
「…………」
「…………」
「終わり?」
「待てよ!」
シンジはもう一度手を伸ばした。
「風よ、吹け!」
何も起きない。草一本揺れなかった。
「…………」
「…………」
「もう一回」
「辱めるな!」
「比較データが必要なの」
「絶対楽しんでるだろ!」
「楽しんでない」
「目が楽しそうなんだよ!」
横を見ると、リシアまで口元を緩めていた。
「リシアまで笑うな!」
「申し訳ない」
「顔が謝ってない!」
結局、シンジは三回やらされた。
三回とも風は起こらなかった。
エリーだけは終始真面目な顔でシンジを観察していた。彼女にとって重要なのは風が出るかどうかだけではなく、リシアの時に感じた「その前の変化」がシンジにも起きるかどうかだった。
「やっぱり違う」
「何が」
「リシアがやった時にあった変化が、シンジにはない」
「そりゃ魔法使えないからだろ」
「逆かもしれない」
「逆?」
「その変化を起こせないから、魔法が使えないのかも」
シンジは思わず自分の身体を見下ろした。
「俺、何か足りないの?」
「可能性はある」
「異世界来て二日目で欠陥品判定された」
「欠陥とは言ってないよ」
「何か足りないって言ったじゃん」
横でリシアが頷いた。
「人間ですから」
「お前ほんと人間への当たり強いな!」
「事実を申し上げただけです」
「エリー様との温度差がすごいんだよ!」
エリーは二人のやり取りに笑いながらも、それまで観察した内容を頭の中で整理していた。
リシアが精霊術を使おうとすると、まず術者であるリシア自身に何らかの変化が起きる。その後で周囲の光点が反応し、最後に風という現象が起こる。
少なくとも、今のエリーにはその順番に見えている。
一方、シンジには最初の変化そのものが見られなかった。
だからといって、シンジに何かが欠けていると断定することはできない。人間だからなのかもしれないし、単に精霊術の使い方を知らないからかもしれない。生まれつきの素質や、訓練の有無が関係している可能性もある。
そもそも、自分が認識している光点が本当に精霊なのかという最初の問題さえ、まだ完全には確認できていない。
分からないことばかりだった。
けれど、最初は何が分からないのかさえ分からなかった。
今は違う。
確かめたいことが、一つずつ増えている。
◇
「今日はここまでにしよう」
「助かります……」
リシアが明らかに安堵した。
「明日もお願いね」
「……はい」
「頑張れ」
「シンジもだよ」
「俺も!?」
里へ戻ろうとして、エリーはふと足を止めた。
自分の周囲には、相変わらず大量の光点が漂っている。リシアの周囲にいるものより明らかに多く、昨日からずっとエリーの近くを離れようとしない。
リシアやオルフェンは、その光景を見てエリーを高位の精霊だと考えている。
「……ねえ」
「どうした?」
「これって、私が動いたらついてくるんだよね」
「精霊のことですか?」
「うん」
エリーが一歩歩くと、光点もそれに合わせて移動した。立ち止まれば、またエリーの周囲を漂い始める。
「ずっと近くにいる」
「エリー様を慕っているのでしょう」
「慕うって……」
そんなことを言われても、エリーには実感がなかった。
自分は精霊たちに何かを頼んだ覚えもなければ、彼らに何かをしてあげた覚えもない。それなのに、この世界へ来てからずっと大量の光点が自分の周囲に集まっている。
エリーは右手を伸ばした。
手の周囲にも、いくつか光点が浮かんでいる。
何となく、人差し指を右へ動かしてみた。
一つの光点が動いた。
「……ん?」
今度は左へ動かす。
同じ光点がついてくる。
エリーが指を止めると、光点もその場に留まった。
「…………」
「エリー?」
もう一度、右へ動かす。
ついてくる。
左へ動かしても、やはりついてくる。
今度は上へ動かす。
同じ光点が、指先を追うように上へ移動した。
「エリー様?」
リシアも何かに気づいたらしい。
エリーは返事をせず、人差し指でゆっくり円を描いた。
光点もその軌跡を追った。
ここまで繰り返せば、偶然とは考えにくかった。
「おい、どうした?」
何も見えていないシンジだけが、エリーとリシアの反応を見比べている。
エリーは指先から目を離さないまま答えた。
「……分かんない」
「何が?」
「この子」
「この子?」
「ついてくる」
シンジもエリーの指先を見たが、当然そこには何も見えない。
「何もいないぞ」
「いる」
「精霊です」
リシアが小さく答えた。
その声から、先ほどまでエリーの実験に付き合っていた時の困惑や疲れが消えている。
「エリー様の御指示に、応えております」
「指示してないよ」
「では、なぜ……」
「それが分からない」
エリーが指を止めると、光点はしばらくその場に留まった後、やがて他の光点と同じように彼女の周囲を漂い始めた。
その一つを、エリーは目で追った。
自分には、エルフたちが精霊と呼んでいる何かを認識できる。なぜ認識できるのかは分からず、どんな感覚器官を使っているのかも分からない。
そして今、その正体不明の存在の一つが、自分の指の動きに明らかに反応した。
今日一日調べて、分かったことは増えた。
同時に、分からないことはそれ以上に増えた。
けれど、それはエリーにとって悪いことではなかった。答えが見つからないことと、何を調べればいいのか分からないことは、まったく違う。
「……明日、これ調べよう」
「まだやるのかよ」
「当然でしょ」
「リシア、頑張れ」
「シンジもね」
「なんで俺まで」
エリーはもう一度、自分の周囲を漂う光点へ意識を向けた。
この世界へ来たばかりの頃は、それを何と呼べばいいのかさえ分からなかった。
今は少なくとも、エルフたちがそれを精霊と呼んでいることを知っている。術を使う時には動きが変わり、自分の指にも反応する。そして明日になれば、今日よりもう少しだけ分かることが増えるかもしれない。
エリーはそう考えながら、シンジたちと一緒に里へ戻り始めた。




