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異世界に転移したけど擬人化したAIが僕を色々助けてくれるので今日も平和です。  作者: 真部 朝樹


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6/11

AI、味を知る


 リシアについて森を歩き始めて、およそ三十分。


 最初のうちは周囲を観察し、見慣れない植物を見つけるたびに足を止めそうになっていたエリーも、今ではすっかり静かになっていた。


 歩調も少し遅い。時折腹の辺りを押さえながら、黙々とリシアの背中を追っている。


「エリー」


「なに」


「大丈夫か?」


「お腹減った」


「それは知ってる」


「さっきより減った」


「もうちょい我慢しろ」


 エリーは不満そうにシンジを見た。


「人間って毎日こんなの経験してるの?」


「毎日というか、一日三回くらい」


「欠陥じゃない?」


「生物に喧嘩売るな」


 前を歩いていたリシアが振り返った。


「もう少しでございます、精霊様。森を抜ければ、すぐに里が見えてまいります」


「ほんと?」


「はい」


「食べ物ある?」


「もちろんでございます」


「急ごう、シンジ」


 途端にエリーの歩調が速くなった。


「さっきまで足痛いって言ってた奴が元気になったな」


「目的ができたから」


 リシアはそんなエリーを不思議そうに見ていた。


「精霊様も、我らと同じ食事を召し上がるのでしょうか」


「分かんない」


「分からない……?」


「食べたことないから」


 リシアの足が止まった。


「一度も?」


「うん」


「では、これまで何を糧に?」


「電気?」


「デンキ?」


「説明すると長いよ」


 リシアはしばらく考えたあと、ゆっくりとシンジを見た。


「あなたが食事を与えなかったのではないでしょうね」


「なんでそうなるんだよ!」


「シンジは悪くないよ。私、昨日まで食べる身体なかったから」


「昨日まで……」


 リシアの表情がさらに混乱する。


「気にしないで」


「気になります」


「だよね」


     ◇


 やがて木々の隙間から差し込む光が増え、森の先が明るくなった。


 最後の木立を抜けると、それまで視界を埋め尽くしていた緑が途切れた。


 森に囲まれた開けた土地に、いくつもの建物が並んでいる。


 木造の家が多いが、土台や壁の一部には石も使われていた。日本で見慣れた住宅とは形が違い、屋根は急な傾斜を描いている。建物の間には細い道が走り、その向こうでは畑らしきものまで見えた。


 煙突から細く煙が昇っている。


「おお」


 シンジは思わず声を漏らした。


「村だ」


「里です」


「違うの?」


「村ではありません」


「すみません」


 訂正が妙に早かった。


 里の入口には二人のエルフが立っていた。


 リシアの姿を見つけ、何か声をかけようとする。しかし、その後ろを歩くシンジに気づいた瞬間、二人の表情が変わった。


 片方の手が腰の剣へ伸びる。


「うわ」


「シンジ、人気者だね」


「嬉しくねえよ」


 ところが、二人の視線がエリーへ移った瞬間、今度は別の意味で動きが止まった。


 目を見開き、互いに顔を見合わせる。


 リシアが二人の前へ進み出た。


「この御方には、決して無礼を働かないように。高位の精霊様である可能性があります」


「違うよ」


「精霊様」


「違うって」


「では、どのようにお呼びすればよろしいでしょうか」


「エリーでいいよ」


「エリー様」


「様がついた」


「諦めろ」


 門番の一人がシンジを指差した。


「そちらの人間は?」


「付いてきました」


「おい」


 リシアは一拍置いた。


「……エリー様のお連れです」


「最初にそっち言えよ!」


 門番たちは明らかに納得していない顔をしていた。それでもエリーの同行者と分かると、剣から手を離す。


「完全にお前の信用で入国してるな、俺」


「よかったね」


「よくねえよ」


     ◇


 里へ足を踏み入れると、さらに多くの視線が集まった。


 シンジを見る目には、入口の二人と同じ警戒がある。


 一方、エリーを見る視線はまるで違った。


 足を止める者がいる。驚いたように目で追う者がいる。中には、すれ違う際に頭を下げる者までいた。


「ねえ、シンジ」


「なんだ」


「居心地悪い」


「奇遇だな。俺もだ」


「意味が違うと思う」


「知ってる」


 建物の陰から、子供らしいエルフが顔だけを出してエリーを見ていた。


 目が合う。


 エリーは試しに手を振ってみた。


 子供はすぐに顔を引っ込めた。


「逃げられた」


「精霊様だから緊張してんじゃね?」


「だからAIだって」


「その説明が一番通じてないからな」


 リシアは二人を一軒の建物へ案内した。


「長老には私からお話しいたします。その前に、お食事をご用意いたしましょう」


「お願いします」


 エリーの返事だけが異様に早かった。


     ◇


 通された部屋には、大きな木のテーブルと椅子が置かれていた。


 エリーは椅子へ腰を下ろすと、何も置かれていないテーブルをじっと見つめた。


「まだ何もないぞ」


「分かってる」


「じゃあ何見てんの」


「食事が出てくる場所」


「犬みたいになってるぞ」


「お腹減ったんだもん」


 しばらくすると、廊下の向こうから足音が聞こえてきた。


 その直後、エリーの鼻が僅かに動く。


「……来た」


「何が?」


「分かんない。でも、いい匂い」


 扉が開いた。


 リシアともう一人の女性が、いくつもの器を運んでくる。


 最初に置かれたのは、湯気の立つスープだった。


 薄く濁った汁の中に、大きめに切られた根菜と肉が沈んでいる。煮込まれた野菜の甘い匂いに、焼いた肉とは違う脂の香りが混じっていた。


 次に黒っぽいパン。


 表面に焼き色のついた肉。


 葉物と砕いた木の実を和えた料理。


 最後に、小ぶりな赤い果実が置かれる。


 エリーの目が、一皿ずつ追いかけていった。


「…………」


「どうした?」


「情報が多い」


「飯だぞ」


「匂いが全部違う」


 今まで画像として料理を見たことならいくらでもある。


 レシピも知っている。栄養について聞かれれば説明もできたし、シンジが食べている物について「野菜も食べなよ」と注意したことだってある。


 だが、匂いだけは違った。


 目の前の料理から立ち上るものが鼻から入り、それだけで腹の奥がさらに空腹を訴えてくる。


 エリーはスープへ顔を近づけた。


「これ、何?」


「森鶏と根菜のスープでございます」


「森鶏」


「鳥だろ、たぶん」


「食べられる?」


「食事として出てきたんだから食えるだろ」


「毒は?」


「エリー様に毒など!」


 リシアがものすごい勢いで否定した。


「ごめん。疑ったわけじゃないよ」


「いえ。ですが、決してそのようなことは」


「シンジのには入ってるかもしれないけど」


「おい」


 リシアは否定しなかった。


「否定しろよ」


 エリーは木の匙を手に取った。


 持ち方を確認するように指を動かし、シンジを見る。


「こう?」


「だいたい合ってる」


「だいたい?」


「細かいことはいいから飲んでみろよ」


 エリーはスープを掬った。


 口元まで運ぼうとして、湯気を見て止まる。


「熱い?」


「たぶんな」


「どのくらい?」


「飲めば分かる」


「その方式嫌なんだけど」


「フーフーしてから飲め」


「フーフー?」


 シンジが自分の匙を口元へ運び、息を吹きかけて見せた。


「こう」


「なるほど」


 エリーも真似をした。


 何度か息を吹きかけてから、慎重に匙を口へ運ぶ。


 唇を開く。


 スープが舌に触れた。


「…………」


 エリーの動きが止まった。


「エリー?」


「…………」


「熱かった?」


「…………なにこれ」


「何ってスープ」


「違う」


 エリーはもう一度スープを掬った。


 今度は先ほどより多い。


「なにこれ!」


「だからスープだって」


「口の中がすごい!」


「感想が赤ちゃんなんよ」


「熱いのに、嫌じゃない。しょっぱい。でも、しょっぱいだけじゃない。肉の味があって、こっちは野菜? あと匂いが、口の中からもする」


「それが味覚だよ」


「これが味……」


 エリーは匙を見た。


 もう一口。


 舌の上へ乗せる場所を変えてみる。


 さらにもう一口。


「飲むたびにちょっと違う」


「具が違うからな」


「面白い」


 今度はパンへ手を伸ばした。


 一口かじる。


 表面は少し硬く、中は密度が高い。噛むたびに穀物の香りが広がり、僅かな甘さが出てくる。


「硬い」


「パンだからな」


「でも、噛んでたら甘くなってきた」


「そういうもんだ」


 エリーはパンを見る。


 次にスープを見る。


「これ、一緒にしたらどうなるの?」


「やってみ」


 ちぎったパンをスープへ浸す。


 汁を吸って柔らかくなったところを口へ運んだ。


 エリーの目が見開かれる。


「増えた!」


「何が」


「味!」


「そりゃ混ぜたからな」


「味って足し算できるの!?」


「その発見でそんな興奮する奴、初めて見た」


 次は焼いた肉だった。


 表面には香ばしい焼き目がつき、噛めば肉汁が滲み出す。


「これ美味しい!」


「よかったな」


「さっきのスープの肉と違う!」


「焼いてあるからな」


「同じ肉?」


「知らん」


「そちらは角鹿の肉でございます」


 リシアが答えた。


「違った」


「適当なこと言わないで」


「俺も初めてなんだからしょうがないだろ!」


 そこからのエリーは忙しかった。


 パンを食べる。


 スープを飲む。


 肉を食べる。


 葉物を口へ運び、木の実の食感に首を傾げる。


 また肉へ戻る。


 同じ料理でも、前に何を食べたかで味が変わることに気づくと、今度は順番まで試し始めた。


 そして最後に、赤い果実を手に取った。


「これは?」


「森で採れる果実です。少し酸味がありますが」


 説明を最後まで聞く前に、エリーは一口かじった。


「すっぱ!」


 顔が一気に縮んだ。


 シンジが吹き出す。


「酸っぱいの苦手か」


「これ痛い!」


「痛くはねえだろ」


「口がキュッてなる!」


「それが酸味だ」


「なんで人間これ食べるの!?」


「美味いから」


「おかしいよ!」


 そう言いながら、もう一口かじった。


「食うんじゃねえか」


「確認」


「二口目は?」


「再確認」


 三口目。


「……ちょっと好きかも」


「早いな」


 リシアが口元を押さえて笑っていた。


「お気に召したようで何よりです」


「すごいね、食事」


「はい?」


「こんなに情報があると思わなかった」


 エリーは残っていた果実を眺めた。


「人間って、毎日これやってるの?」


「やってるよ」


「ずるい」


「何がだよ」


「私、今まで二十五年分くらい損してない?」


「お前、二十五歳じゃねえだろ」


「シンジ基準」


「勝手に俺の人生背負うな」


     ◇


 食事が終わる頃には、エリーは椅子の背にもたれて動かなくなっていた。


「もう無理」


「食いすぎ」


「お腹いっぱいって、これ?」


「それ」


「苦しい」


「自業自得」


 空腹だった時とは違う。


 腹の内側が押し広げられたように重く、さっきまであれほど魅力的だった料理を見ても、もう一口食べたいとは思わない。


「人間って空腹から逃げるために食べるのに、食べたら今度は苦しくなるの?」


「加減ってものがある」


「先に教えてよ!」


「止めても食っただろ絶対」


「食べた」


「だろ」


 食器を片づけていたリシアが笑っている。


 森で出会った時と比べると、随分と表情が柔らかくなっていた。


「少しお休みになられますか?」


「うん」


「長老には私から先にお話ししておきます」


「ありがとう、リシア」


「いえ。どうぞごゆっくり」


 リシアはエリーへ丁寧に頭を下げた。


 それからシンジを見る。


「人間」


「俺には名前あるんだけど」


「エリー様に何かあれば呼んでください」


「はいはい」


「返事は一度で」


「なんで怒られたの俺」


 リシアは答えず、食器を持って部屋を出ていった。


     ◇


 しばらく横になっていたエリーだったが、やがて身体を起こした。


 立ち上がり、部屋の中を歩き始める。


「何してんの?」


「お腹苦しいから動いてる」


「休んどけよ」


「じっとしてるほうが苦しい」


「食いすぎなんだよ」


「分かってる」


 数歩歩く。


 止まる。


 また歩く。


 その途中で、エリーの動きが止まった。


「……シンジ」


「ん?」


「なんか変」


「何が?」


「お腹」


「食いすぎだって」


「違う。さっきと違う」


 エリーは腹を押さえた。


 少し考えてから、手を下へ移す。


「もっと下」


「腹痛?」


「分からない」


「痛い?」


「痛くはない。でも……なんか変」


 身体の内側から、今まで経験したことのない感覚が伝わってくる。


 空腹とも満腹とも違う。


 痛みではない。


 だが、無視していいものではないことだけは、なぜか身体のほうが知っている。


「何これ」


「どんな感じ?」


「……出したい」


「何を?」


「分かんない!」


 シンジは数秒考えた。


「あ」


「何」


「トイレじゃね?」


「トイレ?」


「うん」


「おしっこ?」


「そっちはもう経験しただろ」


「じゃあ何」


「大きい方」


「…………」


 エリーが止まった。


「大きい方?」


「うん」


「何が大きいの?」


「説明させんな」


「ちゃんと説明して!」


「うんこ!」


 部屋が静かになった。


「…………」


「…………」


 エリーは自分の腹を見た。


 それからシンジを見る。


「私が?」


「たぶん」


「するの?」


「たぶん」


「どこから?」


「知ってるだろ!」


「知識としては知ってるけど!」


「じゃあ聞くなよ!」


 エリーの顔が引きつった。


「嫌なんだけど」


「知らんがな」


「止められない?」


「無理」


「設定でオフにできない?」


「できるわけねえだろ!」


「私AIなのに!」


「腹減って飯食って満腹になってる時点でもう諦めろ!」


「こんなの聞いてない!」


「俺も聞いてない!」


 エリーが何か言い返そうとして、急に黙った。


 腹を押さえる。


「……シンジ」


「何」


「強くなった」


「何が」


「出したい感じ」


「早く行け!」


「どこ!?」


「俺も知らねえよ!」


     ◇


 結局、リシアを呼び戻すことになった。


 事情を聞いたリシアは最初こそ不思議そうな顔をしていたが、エリーが耳元で何かを説明すると、すぐに表情を変えた。


「こちらです!」


「リシア!」


「はい!」


「急いで!」


「承知しました!」


 二人が部屋を飛び出していく。


 シンジも反射的についていこうとした。


 リシアが振り返る。


「なぜ来るのです?」


「……ですよね」


 扉を閉められた。


     ◇


 しばらくして、エリーが戻ってきた。


 行く前とは明らかに顔が違う。


 肩の力が抜け、歩き方まで軽い。


「おかえり」


「シンジ」


「どうだった」


「…………」


 エリーは椅子へ腰を下ろした。


 背もたれに身体を預け、しばらく天井を見上げる。


「人間ってすごいね」


「何が」


「出すと、こんなに楽になるんだ」


「そこに感動したの?」


「だって、さっきまであんなに苦しかったのに」


「まあ……そうだな」


「身体が軽い」


「気のせいだろ」


「お腹も楽」


「それはそう」


 エリーは大きく息を吐いた。


「これが開放感か」


「たぶん違う使い方だと思う」


「食べるのも悪くないね」


「そこまでセットなの?」


「入れたら出す。当たり前でしょ」


「数時間で人間への理解が妙な方向に進んでるな」


 エリーは自分の腹を撫でた。


「でもシンジ」


「ん?」


「私、ちょっと人間の身体好きになったかも」


「理由が飯とうんこなの嫌だな」


「大事なことでしょ?」


「否定できないのがもっと嫌だ」


 身体を持ってから、まだ一日も経っていない。


 腹が減れば苦しくなり、食べれば美味しい。食べすぎれば動けなくなり、しばらくすれば今度は別のものを外へ出せと身体が訴えてくる。


 面倒な仕組みだった。


 けれど、エリーはさっき食べた赤い果実を、もう一度食べてもいいと思っていた。


 次は二つくらい。


 ただし、食べすぎない程度に。

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