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「愛など不要ですから。お気をつけて」  作者: あとりえむ


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第50話

海路からの圧倒的な物量作戦により、皇国の市場は完全にフライス皇子とマイヤー商会の支配下へと落ちた。


資金源である悪徳商会が次々と倒産し、政治的にも経済的にも完全に退路を断たれた長兄派の貴族たちは、薄暗い会議室で血走った目を剥いて絶望と怒りをたぎらせていた。


「おのれ……ぽっと出の商人の女風情が、我々の特権をここまでコケにするとは!」


「このままでは次期皇帝の座はフライスの奴に奪われる。もはや手段を選んでいる余裕はないぞ!」


彼らが最後に行き着いたのは、サラの予測通り、極めて安直で野蛮な実力行使であった。


南方の港で陸揚げされたマイヤー商会の物資は、そこから陸路を通って皇都や各都市へと運ばれる。その輸送ルートの要衝であり、切り立った崖が続く交通の難所「オルク渓谷」に目をつけたのだ。


長兄派は、残された全財産を投じて私兵たちをかき集め、偽の盗賊団に偽装させて大量にオルク渓谷へと配置した。

武力によってマイヤー商会の物流を物理的に断ち切り、物資を強奪することでフライスの信頼を失墜させ、一発逆転の資金源を手に入れようという浅はかで凶悪な目論見である。



◇ ◇ ◇



一方、遠く離れた王都のマイヤー屋敷。

執務室のデスクで書類に目を通していたサラは、皇国に潜ませている密偵から届いた緊急の報告書を読み、スッと冷ややかに目を細めた。


「……やっぱり、行き着く先はただの野蛮な暴力なのね。脳まで筋肉でできているのかしら」


サラは報告書を机に放り投げ、小さくため息をついた。

オルク渓谷に配置された偽盗賊団の規模は、単なる野盗の域を遥かに超える数百の完全武装した部隊だという。


フライス皇子に連絡して彼の手勢で討伐させることも可能だが、相手は死に物狂いの精鋭部隊だ。もし交戦によって貴重な麦や商品に被害が出れば、それはそのままマイヤー商会の損失に直結する。かといって、王都で陣頭指揮を執るサラ自身が現場へ向かう時間など到底ない。


「商品は絶対に守らなければならないし、無駄な損害は一銭たりとも出したくないわ。フライス殿下の手勢だけでは、少しばかり不安が残るわね」


サラの脳内で、この厄介な状況を「最も安上がり」かつ「最も確実」に、そして「ついでに別の利益も生み出せる」形で解決するための計算盤が猛スピードで弾き出されていく。


──パチン


架空の計算珠を弾き終えたサラの口元に、極めて優雅で、それでいて恐ろしい悪魔のような微笑みが浮かび上がった。


「そうだわ。近くにはちょうど、暇を持て余している『無敵の労働力』がいるわね」


もちろん、休戦中とはいえ王国の軍司令官を他国の領土へ勝手に送り込めば国際問題になりかねない。しかし、そこは抜かりのない商人の妻である。サラはすぐさまフライス皇子へ宛てて素早く親書を書き上げた。


『皇国に安定した食糧を供給し続けるため、そちらの領土に巨大な製粉所を建設いたします。これは殿下の支持基盤をさらに盤石にする国家的事業ですわ。つきましては、材料採掘のために私の夫が少々そちらにお邪魔する特別許可をいただけますわね?』


製粉所の建設という皇国側の莫大な利益を盾に取り、フライスから超特急で「マイヤー閣下の入国および採掘の特別許可証」をむしり取ったサラは、完璧な根回しを終えた上で上質な便箋を引き寄せた。


そして、最前線で平和を持て余しているであろう愛しい夫へ向けて、流麗な筆致で特急便をしたため始めた。



◇ ◇ ◇



一方、停戦協定が結ばれ、すっかり平和になった旧国境の王国軍本陣。


巨大農地の開拓という前代未聞の任務を終え、本来の軍務である国境警備に戻っていたグウィンは、天幕の中で退屈そうに大剣の刃を布で拭っていた。


戦がないのは良いことだが、身体を動かさない日々が続くとどうにも調子が狂う。何より、王都に戻って忙しく立ち回っているであろう妻に会えないことが、無骨な軍神の心を密かに曇らせていた。


そこへ、王都からの特急便を携えた伝令兵が駆け込んできた。


差出人の名を見た瞬間、グウィンの強面な顔の眉間のシワがふっと緩む。彼は傍らにいたベイルが「おや、奥様からですか?」と茶化すのも無視し、いそいそと封を切った。


しかし、羊皮紙に踊る流麗な文字を目で追ううちに、グウィンの眉間のシワはみるみる深くなっていった。


『愛しい貴方へ。皇国に輸出する最高級の小麦を挽くために、巨大な製粉所を建設しますの。つきましては、皇国南部にあるオルク渓谷の星鋼石という最も硬い岩盤を、貴方の大剣で必要な分だけ切り出してきてくださいな。普通の職人では刃が立ちませんので。それと、最近その渓谷には柄の悪い害獣が住み着いているそうですから、ついでに駆除もお願いしますわ』


同封されていた皇国からの正式な採掘許可証と便箋を読み終えたグウィンは、天幕の天井を仰ぎ見て、深く、それはもう心の底から深く、長いため息をついた。


「俺は石切り職人じゃねえぞ……」


呆れ果てたような呟きが漏れる。


軍の総大将を指名して石を切り出させ、あまつさえ他国の領土での害獣駆除をついでに頼むなど、普通の人間なら正気を疑う要求だ。


だが、要求のスケールがどれほど無茶苦茶であろうと、それが愛する妻の商売に必要なことであり、自分を頼ってくれているという事実は、不器用な男の胸を確実に温めていた。


「どうされました、閣下。また奥様からとんでもない無理難題でも?」


恐る恐る尋ねるベイルに対し、グウィンは手紙を懐に丁寧にしまい込むと、立ち上がって腰の大剣を手に取った。


「……ったく!しゃーねーな!」


その呆れ声には、隠しきれない喜びと活力が満ち溢れていた。


「ベイル、出陣の準備をしろ!俺たちはこれより、皇国南部のオルク渓谷へ向かう」


「は?皇国南部!?休戦中になぜわざわざ他国の奥深くへ……まさか、何か新たな軍事行動ですか!?」


「軍事行動ではない。妻に頼まれた石切りと、害獣駆除だ」


「はあああ!?」


素っ頓狂な声を上げる補佐官を尻目に、グウィンは首をゴキキと鳴らした。

妻から頼まれた石切りの仕事。それを邪魔する害獣がいるというのなら、速やかに排除して最上の石を持ち帰るまでである。


王国の軍神は、ただひたすらに愛妻の命令を完遂するため、面倒くさそうに、しかし足取りも軽く皇国へと出発した。

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