第49話
サラの容赦ない商略は、麦の関連商品の販売だけにとどまらなかった。
特設テントの隣には、さらに煌びやかな別のブースが併設されていた。そこにズラリと並べられていたのは、海路を使って無関税で大量に持ち込まれた美容液や香水、そして南方の珍しい香辛料といった高級嗜好品の数々である。
「皆様、エリス司令官もご愛用の特製美容液と香水、本日なら麦の買い付けに合わせて特別価格でご提供いたしますわ!奥様へのお土産にいかがかしら?」
サラの涼やかな声に、麻袋で財布の紐が緩みきっていた商人たちが、次々と嗜好品ブースへと吸い寄せられていく。
あの氷の女将軍を見違えるほどの絶世の美女に変えたという「魔法の薬」の噂は、皇国の商人たちの間でもすでに広く知れ渡っていた。それが目の前で、しかも関税が乗っていない適正価格で売られているのだ。彼らが飛びつかないはずがなかった。
「お、俺も一つ!いや、五つくれ!」
「こっちの香辛料も樽ごと頼む!」
麦という絶対的な生活必需品を客寄せパンダとし、そこから高額な関連商品、さらには美容品や嗜好品といった全く別の市場へと顧客を誘導して利益を幾重にも刈り取る。
条約を一切破ることなく、関税の壁も完全に無効化した上で、海という抜け道を使って莫大な付加価値利益を生み出し続けるサラの集金システムは、もはや一つの芸術的な暴力の領域に達していた。
◇ ◇ ◇
港が空前の熱狂と好景気に沸き返る中、その恩恵は皇国の民衆の元へもダイレクトに届けられた。
第三皇子フライスが、自らの流通網を駆使して適正価格の麦を皇国内の各都市へ迅速に供給したからである。
「フライス殿下万歳!これで飢えずに冬を越せるぞ!」
「王国と休戦し、こんなに素晴らしい麦を手配してくださるなんて、殿下こそが我々の真の希望だ!」
長引く権力闘争と悪徳商人による食糧の買い占めに苦しんでいた民衆たちは、適正価格で良質な麦を安定供給してくれたフライス皇子に対し、熱狂的な歓声と感謝を捧げた。
道楽者だと軽んじられていた第三皇子の支持率は、この日を境に爆発的な急上昇を始めることとなる。
一方、その歓喜の裏側で、血の気を失い、絶望の淵に立たされていた者たちがいた。
皇都へと続く主要な陸路の関所を牛耳り、マイヤー商会の荷から莫大な関税を搾り取ろうと手ぐすね引いて待ち構えていた長兄と次兄派の貴族たちである。
「ど、どういうことだ!なぜいつまで経ってもマイヤー商会の馬車が関所を通らない!?」
「報告します!マイヤー商会は陸路を完全に放棄し、海軍の巨大船団を使って南方の港へ直接麦を流し込みました!すでにフライス殿下の窓口を通じて、市場価格で国中に麦が流通し始めております!」
「なっ……なんだとぉぉっ!?」
報告を受けた貴族たちは、顔を青ざめさせて絶叫した。
彼らの息のかかった悪徳商会は、民衆に高値で麦を売りつけるためにあえて在庫を出し渋っていた。しかし、フライスによって安価で高品質な麦が大量に出回った今、彼らのボッタクリ価格の麦など誰一人として見向きもしなくなったのである。
客が完全に消え去り、閑古鳥が鳴く悪徳商会の倉庫には、売れる見込みのない麦が虚しく山積みになっているばかり。
関税による不当な中抜きも失敗し、食糧を人質にした暴利の道も絶たれたことで、長兄と次兄派の資金源は、文字通り急速に干上がっていったのである。
◇ ◇ ◇
南方の港に設けられた特設の帳場では、夜が更けてもサラの計算盤が軽快な音を立てていた。
次々と運び込まれる金貨の山と、飛ぶように売れた関連商品や高級嗜好品の売上報告書。海軍に支払う莫大な護衛費用や港の利権を差し引いても、手元に残る利益はこれまでの常識を覆すほどの数字を叩き出していた。
「素晴らしい結果ですわ。やはり、商売における最大の武器は、暴力でも関所でもなく、圧倒的な供給力と付加価値の創造ですのよ」
サラがパチンと最後の一弾を弾いて利益を確定させると、傍らで報告書をまとめていた商会の部下が深く感嘆の息を漏らした。
「お嬢様の読み通り、長兄派と次兄派の資金源は完全に干上がりました。彼らの息のかかった商会は次々と倒産し、もはや関所を維持する兵たちの給金すら事欠く有様とのことです」
「ええ。陸の道を塞げば私たちの首を絞められると勘違いした愚か者たちの、当然の末路ですわ」
サラは優雅に紅茶のカップを傾け、窓の外で煌々と灯りが点る活気あふれる港を見つめた。
民衆は安価で良質な麦をもたらしたフライス皇子を熱狂的に支持し、マイヤー商会は関税の壁を嘲笑うかのように莫大な富を独占した。
知略と物流の力によって、兄たちの経済基盤を完全に破壊し、皇国の市場を海から食い破るという前代未聞の作戦は、サラの完璧な大勝利で幕を閉じたのである。
しかし、冷徹な商人の目は、その勝利の先にある次なる火種をすでに見据えていた。
「資金源を絶たれ、政治的にも追い詰められた者たちが最後に行き着くのは、いつの時代も安直で野蛮な暴力と相場が決まっていますわ」
サラの呟きは、秋の夜風に静かに溶けていく。
莫大な富を失い、プライドを粉々に打ち砕かれた長兄派が、なりふり構わぬ実力行使へと打って出るのは、もはや時間の問題であった。











