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「愛など不要ですから。お気をつけて」  作者: あとりえむ


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第48話

「陸が駄目なら、また海を使えばいいだけのことですわ」


サラの涼やかな声に、部下はハッと息を呑んで地図の青い海域を見つめた。


王国の軍港から皇国の南方へ。そこはまさに、秘密裏に絶対的なビジネスパートナーとしての密約を交わした第三皇子フライスの影響力が極めて強い港町へと直接繋がる、絶好の海路であった。


「長兄派も次兄派も、自分たちの足元の土しか見ていない愚か者たちね。国境の関所をどれだけ高く築こうとも、波の一つも越えられないのなら何の意味もありませんわ」


サラはくるりと振り返り、希望の光を取り戻した部下に向けて、次なる作戦の指示を矢継ぎ早に飛ばし始めた。


「すぐに海軍本部のバルトロメオ提督へ至急の使いを出しなさい。また少しばかり、とんでもなく儲かる海の散歩にお誘いしたいと伝えてちょうだい」


海軍の武力を後ろ盾とした海洋輸送網。それを使えば、兄たちの支配する関所を完全に迂回し、フライス皇子の領地へ無関税で大量の物資を直接流し込むことができる。


「かしこまりました!すぐに提督閣下へ連絡を走らせます!」


勢いよく執務室を飛び出していく部下の背中を見送りながら、サラは窓の外に広がる王都の空を不敵な笑みを浮かべて見上げた。



兄たちの浅はかな関税の壁など、商人の知恵と海軍の巨大な帆の前にはちっぽけな砂の城に等しい。


ルールを盾に不当な利益を貪ろうとする輩には、圧倒的な物流と別ルートからの供給で市場ごと干上がらせるのが、最も効果的で残酷な商人の流儀である。


休戦協定の裏でうごめく皇国の権力闘争すらも完全に計算に組み込み、莫大な利益への航路を切り拓くための、冷徹にして華麗なる次なる一手。


海原を舞台にした新たな商戦の幕が、今まさに切って落とされようとしていた。



◇ ◇ ◇



潮風が吹き抜ける王都の海軍本部。

その重厚な提督室に、サラは優雅な足取りで足を踏み入れた。


巨大な執務机の向こうで待ち構えていたのは、王国海軍を束ねる猛将、バルトロメオ・ドレイク提督である。


「提督、本日は極めて有益で、少々刺激的な海の散歩のお誘いに参りましたの」


サラが単刀直入に切り出すと、バルトロメオは豪快に笑いながら身を乗り出した。


「またとんでもねえ儲け話を持ってきたな、軍神の奥方は!今度はどこの海を荒らしに行く気だ?」


「荒らすだなんて人聞きが悪いですわ。皇国の南方、第三皇子フライス殿下の息がかかった巨大な港へ、平和的な商船団を向かわせるだけです」


サラは皇国への海路を示した海図を広げ、海軍による巨大輸送船団の護衛を依頼した。


もちろん、ただ働きをさせるつもりはない。サラが提示した対価は、海軍の喉から手が出るほど欲しいものばかりだった。

先の海賊討伐でも絶大な威力を発揮した特製保存食や星屑貝の防水油の優先かつ継続的な提供。さらに、皇国進出後にマイヤー商会が得るであろう、南方港の優先使用権という莫大な利権の一部割譲である。


「関税に群がる陸のハイエナどもを完全に無視して、海から直接皇国の市場を食い破ろうって腹か。……へっ、最高に痛快じゃねえか!」


バルトロメオは海図を叩いて立ち上がり、顔を悪党のように歪めて快諾した。


「いいだろう!海軍の総力を挙げて、あんたの商船団を皇国の港まで護衛してやる。陸の連中が関所で指をくわえてる間に、海から莫大な富を運び込んでやろうぜ!」


かくして、長兄・次兄派の陸路封鎖を完全に嘲笑うかのように、フライス皇子の領地へ直接物資を流し込む前代未聞の海洋輸送計画が力強く始動した。



◇ ◇ ◇



そして、季節は巡り──秋


かつて血みどろの激戦地であった旧国境の緩衝地帯は、見渡す限りの黄金色に染まり上がっていた。

軍と民が一体となって開拓した巨大農地から、サラの完璧な計算通り、いやそれを遥かに凌ぐ大量の麦が収穫の時を迎えたのである。


収穫された黄金の麦は、サラの完璧な物流手配と海軍の大船団による護衛により、長兄派と次兄派が牛耳る関所を完全に迂回し、フライス皇子の影響力が強い皇国南方の港へと次々に陸揚げされていった。


港の巨大な倉庫群の前に特設された取引所で、サラは皇国側の公式な窓口であるフライスの配下たちに対し、事前の休戦協定で定められた通り「適正な市場価格」で麦を全て引き渡した。


「驚きました。陸路が封鎖されたと聞いておりましたので、供給は絶望的かと思っておりましたが……しかも、これほど高品質な麦を、きっちり協定通りの価格で卸していただけるとは」


フライスの配下の商務官が、感嘆の声を漏らしながら受領書にサインをする。皇国は長引く権力闘争と不作によって深刻な食糧不足に陥っており、適正価格で供給される大量の麦は、まさに民衆の命を繋ぐ希望の光であった。


「当然ですわ。マイヤー商会は一度結んだ契約とルールは絶対にお守りしますもの」


サラは優雅に微笑み、手元の計算盤を軽く叩いた。


表向きは、協定を遵守する誠実で良心的な大商会の姿そのものである。しかし、彼女の冷徹な商略の真骨頂は、ルールを守ったまさにその「直後」から発揮されるのであった。


「ただ、これほど大量の麦をそのまま保管していては、すぐにネズミや虫の被害に遭ってしまいますわ。そこで、麦を長期保存し、安全に各都市へ運搬するための『関連商品』もご用意しておりますの」


サラが合図を送ると、港の広場にマイヤー商会の巨大な特設テントが次々と立ち並び始めた。


そこに運び込まれたのは、麦そのものではなく、麦を保管するための分厚く頑丈な「特殊な麻袋」と、悪路でも大量の荷を軽々と運べる商会開発の「最新型運搬用台車」の山であった。


適正価格で安価に手に入れた高品質な麦に歓喜し、各都市へそれを持ち帰ろうとしていた皇国の商人たちは、サラの特設テントの前に釘付けになった。


「こ、この麻袋……ただの袋じゃねえ!独特の刺激臭がして、虫が一切寄り付いてこねえぞ!」


「それにあの台車はどうだ!これなら馬を使わなくても、通常の倍の量の麦を一度に運べる!」


皇国の商人たちは、目を血走らせて次々とサラのテントへと殺到した。


彼らが群がったその麻袋には、あの南方の超激辛スパイス「竜血胡椒」の成分が繊維の奥深くにまでたっぷりと練り込まれていた。虫やネズミにとっては致死的の刺激臭を放ち、麦を外敵から完璧に守り抜くという、サラの画期的なアイデア商品であった。


「防虫効果抜群の奇跡の麻袋に、最新型の運搬台車!もちろんセットでの販売も承っておりますわ!」


サラは適正価格の麦という最強の「客寄せ」を利用し、それに付随するこれらの関連商品を、目玉が飛び出るほどの高値で飛ぶように売り捌いていく。


協定で縛られているのはあくまで「麦の価格」のみであり、それを運ぶための道具の値段までは縛られていない。サラはルールを完璧に遵守しながらも、セット販売という抜け道を使って、結果的に麦の利益を遥かに凌駕する莫大な付加価値利益を搾り取り始めたのである。


「素晴らしい!これで今年の冬は虫食いの心配ゼロで越せるぞ!」


商人たちが歓喜の声を上げて高額な麻袋を次々と購入していくその様子を、港の視察に訪れていた皇国の陸軍司令官、エリス・ファンデッタは、顔を引きつらせながら少し離れた場所から見つめていた。


(あ、あの赤黒い繊維の色……そして鼻を突く強烈な匂い……間違いないわ!あの忌まわしい『竜血胡椒』だわ!)


かつてサラとの親善競技という名の勝負で、竜血胡椒を混入されたレーションを口にし、内臓が焼け焦げるような激痛と滝のような涙を流して完敗したあの日の記憶が、エリスの脳裏に鮮明に蘇る。


(あの致死量の劇薬を、防虫剤として麻袋に練り込んで実用化し、こんなに大量に流通させるなんて……!)


歓喜に沸く商人たちの裏で、ただ一人その成分の恐ろしい正体を知るエリスは、ルールを守りながらも敵国から骨の髄まで利益を吸い上げるサラの底知れぬ商魂と発想力に、深い戦慄を覚えて背筋を凍らせていた。

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