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「愛など不要ですから。お気をつけて」  作者: あとりえむ


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第43話

祝祭が最高潮の盛り上がりを見せる中、皇国の司令官エリスは、氷のような無表情の裏で激しく燃え上がる対抗心を抱え、再びサラの前に立ちはだかった。


「マイヤー夫人。この祝祭は両国の友好を深めるためのもの。ならば、互いの実力を示し合う親善競技を行うのもまた一興かと存じますが、いかがかしら?」


鉄仮面の異名にふさわしい冷徹な口調。エリスはグウィンへの断ち切れぬ想いを「皇国の威信」という名の鎧で完璧に覆い隠していた。彼女の狙いは単純だ。この平和に慣れきった商人の女を、自分たちが生きる「武」の土俵に引きずり出し、徹底的に打ち負かす。そうすることで、誰が真に軍神の隣に立つにふさわしい「強き伴侶」であるかを無言のうちに証明してやるつもりだった。


「あら、親善競技ですの? 素敵ですわね。我がマイヤー商会としても、新しい時代の可能性を示す良い機会になりそうですわ」


サラは手元の計算盤をパチンと閉じると、挑戦を受けることに一切の躊躇を見せず、優雅に微笑んだ。


そんな二人を少し離れた場所から眺めていたグウィンは、手にしたエールのジョッキを傾けながら、心底面倒そうな溜息をついた。


「おい、ベイル。あの二人、今度は何を始めるつもりだ。ただでさえこの祭りは騒がしいっていうのに」


「閣下、野暮なことをおっしゃってはいけません。あれは淑女たちのプライドを懸けた神聖な戦い……。ああ、氷の薔薇と計算高い商人の妻、なんという美しくも恐ろしい構図でしょうか!」


復活したベイルが頬を染めて酔いしれる中、エリスが自信たっぷりに指し示した最初の勝負は、驚くほど無骨なものだった。


「最初の競技は『薪割り』。冬を越すための基本にして、兵士の筋力と忍耐を測る最高の試練ですわ。制限時間内により多くの薪を作った方の勝ち。よろしいかしら?」


エリスの背後には、山のように積まれた巨大な丸太と、鋭く研ぎ澄まされた軍用の斧が用意されていた。武闘派司令官としての性格がそのまま出た直球の物理勝負に、周囲の兵士たちからはどよめきが上がった。



「当然、お受けいたしますわ。ただ、せっかく大勢の皆様が見守る場ですもの。少しばかり『効率的』にやらせていただいてもよろしいかしら?」


サラは不敵な微笑みを浮かべると、背後に控えていた職人たちに目配せをした。彼らが運び込んできたのは、重厚な歯車と鋭利な回転刃を備えた、見たこともない巨大な木製の装置だった。


「ふん、小細工など。軍人の真の力、お見せしましょう!」


エリスは鋭く言い放つと、自ら重い軍用斧を手に取った。

開始の合図とともに、エリスの剛腕が唸りを上げる。


「おおおおおっ!」


凄まじい速度で斧が振り下ろされ、巨大な丸太がパカパカと小気味よく真っ二つに割れていく。歴戦の司令官による超人的な薪割りの技に、周囲の兵士たちからは地鳴りのような歓声が上がった。


一方のサラは、斧を手に取るどころか、装置の横にあるレバーを優雅に引いただけだった。

水路から引かれた水の力が歯車を回し、自動的に供給される丸太が次々と回転刃に吸い込まれていく。


ズガガガガッ!


耳を疑うような破壊音とともに、エリスが一本の薪を作る間に、装置からは十本、二十本の薪が正確な形で吐き出されていった。


「……な、なんですの、その化け物のような機械は……!」


必死に斧を振るい、額に汗を浮かべ始めたエリスが驚愕に目を見開く。


「これは我が商会が開発した最新型の『水力式自動製材機』ですわ。人の力では限界がありますが、自然のエネルギーと知恵を借りれば、これだけの効率化が可能ですの」


サラは汗一つかかず、涼しい顔で帳簿に数字を書き込んでいく。

勝負の行方は、最初から決まっていた。山のように積み上がったサラ側の薪の山に対し、エリスが一人で割った薪は、文字通り「焼け石に水」の量であった。


「……くっ、次はこれですわ!『軍用レーションの早食い』!過酷な戦場を駆け抜けるには、いかなる食事も迅速に摂取するタフさが必要ですもの!」


敗北を認めきれないエリスは、顔を赤くしながら次の勝負を突きつけた。目の前に並べられたのは、保存性だけを重視した、味も素気もない王国軍と皇国軍のレーションの山であった。



「軍人の食事は、速度こそが命。優雅に味わっている暇などありませんわ!」


エリスは鉄仮面の裏で必死に自分を鼓舞し、無味乾燥なレーションを驚異的な速度で口へと運び始めた。武官としての矜持が、彼女に人間離れした嚥下能力を発揮させている。


対するサラは、自らの皿を前にしても一切焦る様子を見せなかった。

彼女は懐から、小さなガラス瓶を取り出す。中には、アラバナの市場で仕入れた、あの赤黒い劇薬──竜血胡椒が詰まっていた。


「あら、そんなに急いで食べては体に毒ですわ。こちらのスパイスをお使いになってはいかが? 消化を助け、活力を与えてくれますのよ」


「……っ、結構ですわ! 私は自分のペースで……」


エリスが拒絶しようとした瞬間、サラは極めて自然な動作で、エリスの次の皿にその粉末をパラパラと振りかけた。


「どうぞ、遠慮なさらずに」


「……っ、ふん、いただきますわ!」


意地になったエリスは、真っ赤に染まったレーションを一口で頬張った。


次の瞬間、エリスの動きが完全に止まった。

一秒。二秒。

彼女の白い肌がみるみるうちに、熟れた林檎を通り越して燃え盛る石炭のような色に染まっていく。


「……っ!? ……ご、ごふっ……!!」


鉄仮面が崩壊した。エリスの目から、滝のような涙が溢れ出す。喉が焼ける。内臓が直接火炙りにされているような衝撃。しかし、王国の総大将の妻の前で、無様に吐き出すわけにはいかない。


「……ど、どうされました? お顔が真っ赤ですわよ」


「……な、何でも……ありませんわ。……皇国の料理に比べれば……少々刺激が……足りない……くらい……ね……っ!」


震える声で強弁しながらも、エリスの全身からは滝のような汗が噴き出し、ついに彼女はその場に突っ伏した。


最後となる『重装備での持久走』に至っては、勝負にすらならなかった。

重い鎧を纏って必死に駆け出したエリスの横を、サラは商会が開発中の『最新型運搬用台車』に優雅に腰掛け、部下たちに押されながら風を切って追い抜いていった。


「機動力こそ、物流と軍事の要。違いますこと、エリス司令官?」


ゴールテープを切るサラの背中を、エリスは泥を噛むような思いで見つめるしかなかった。



持久走のゴール地点では、呆然と立ち尽くすエリスと、涼しい顔で台車から降り立つサラの対照的な姿があった。

しかし、周囲のどよめきは勝敗の行方だけでなく、サラが披露した「道具」そのものに向けられていた。


「おい、あの自動製材機があれば、冬の薪不足が一気に解決するぞ!」


「あの運搬台車はどうだ? 悪路でもあんなにスムーズに進むなんて、農作業が劇的に楽になるに違いない!」


「……それにあの赤い粉。あんなに辛そうなのに、なぜか食欲をそそる匂いがする。あれがあれば、塩味だけの食事が豪華になるんじゃねえか?」


見物していた両国の商人や農民たちが、堰を切ったようにサラのもとへ駆け寄った。

サラは彼らに向けて、待っていましたと言わんばかりの商人の笑みを深める。


「皆様、落ち着いてくださいな。こちらの製材機も台車も、そしてアラバナ直輸入の竜血胡椒も、すべてあちらのマイヤー商会特設ブースにて、本日限りの特別価格で先行予約を承っておりますわ」


勝負の場は、一瞬にして巨大な商談会場へと変貌した。

サラの手元の計算盤が、薪を割る音よりも軽快に、そして激しく鳴り響く。注文の署名が次々と羊皮紙を埋め尽くし、前金の金貨が重みを増していく。


エリスは、滝のような汗を拭いながら、目の前の光景にただただ圧倒されていた。



自分は軍人としての誇りを懸けて勝負を挑んだつもりだった。しかし、サラにとっては、この勝負すらも自社製品の性能を見せつけ、顧客を掘り起こすための完璧なプロモーションの舞台に過ぎなかったのだ。


「……完全に私の負けですね」


力なく呟いたエリスの背後で、ようやく一息ついたランドルフが、主君の心中を察してそっと耳打ちした。


「司令官、お気になさらず。あのような、戦いすらも金貨に変える恐るべき女を隣に置いているマイヤー閣下の方こそ、ある意味で我々より過酷な戦いの日々を過ごされているのかもしれません……」


夕日に染まる農地で、絶え間なく鳴り響く計算盤の音。

サラは単に挑戦を退けるだけでなく、敵国すらも顧客へと変え、祝祭にさらなる莫大な利益を積み上げていくのだった。

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