第41話
王国軍と村人たちの熱狂に包まれた祝祭は、一夜明けても衰えるどころか、さらなる異様な盛り上がりを見せていた。
かつて軍営だった場所は、もはやその面影を留めていない。サラが夜通しで手配した商会の人間たちが、巨大な農地の入り口付近に整然とした青空市場を築き上げていた。王都から持ち込まれた最高級の織物や装飾品、そしてアンナが指揮を執る炊き出しの芳醇な香りが、風に乗って国境の向こう側へと流れていく。
それだけではない。サラは事前に皇国の有力な商人や地方官に対し、独自に作成した『マイヤー商会格付け・平和投資信頼度レポート』なるものを送りつけていた。
王国と皇国の休戦がもたらす経済効果を勝手にSからEまで格付けし、「今、我が商会を通じて平和に投資すれば、将来的に破格の配当が約束される」という論理を展開していたのである。
この異例のレポートと詳細な収穫予測は、皇国の商人たちの商魂を激しく揺さぶっていた。
「サラ、説明してもらおうか。あっちの街道から皇国の馬車が列をなしてやってきているのは、一体どういうわけだ」
軍装を解き、簡素な平服に身を包んだグウィンは、朝からひっきりなしに訪れる皇国の一般市民や商人たちの姿を見て、深い溜息とともに妻を振り返った。
その手には、自分でも出した覚えのない『王国軍司令官グウィン・マイヤー』の名が記された、あまりにも豪華な金縁の招待状が握られている。
「あら、休戦協定を結んだのですから、お互いに利益を分かち合うのは当然でしょう?せっかくこれほど広大で平らな土地が完成したのですから、ただの身内の宴で終わらせるのは、商人の妻として損失以外の何物でもありませんわ」
サラは手元の計算盤を優雅に弾き、涼しい顔で言い切った。
彼女の脳内ではすでに、祝祭の入場料、屋台の出店料、そして皇国の商人に売りつける先行予約権など、莫大な利益を回収するための完璧なシステムが組み上がっていたのである。
そこへ、国境の向こうから重々しい足音が響いた。
完全武装で馬に跨り、抜かりなく警戒を張り巡らせた皇国の鉄仮面、エリス・ファンデッタ率いる使節団が、祝祭の熱狂に足を踏み入れた瞬間だった。
皇国の陸軍司令官であるエリスと、補佐官のランドルフ。
彼らは「グウィン・マイヤー」名義で届けられた豪奢な招待状を受け取ったものの、それが巧妙な罠である可能性を捨てきれずにいた。
休戦直後の緩衝地帯に、これほど大規模な人を集めるなど正気の沙汰ではない。もしかすると、背後に隠された巨大な要塞へと誘い込み、皇国の上層部を一網打尽にする気ではないか。
そんな警戒心を最高潮に高め、いつでも剣を抜けるよう完全武装で国境を越えた使節団の目に飛び込んできたのは、予想とはあまりにもかけ離れた光景だった。
「……ランドルフ。これは、一体どういうことだ?」
「私にも……何が何やら。我々は集団で幻術でも見せられているのでしょうか」
氷の仮面の下で目を白黒させるエリスと、呆然と立ち尽くすランドルフ。
彼らの眼前に広がっていたのは、物々しい軍事施設でも、殺気立った王国軍の陣形でもなかった。
極彩色のテントが並ぶ青空市場、肉の脂が弾ける香ばしい匂いを漂わせる屋台、そして両国の言葉が飛び交い、笑顔で酒を酌み交わす兵士や一般市民たちの姿である。
さらに彼らの度肝を抜いたのは、その祭りの背景に広がる見渡す限りの黒々とした大地だった。
かつて無数の砲弾の跡が口を開けていた荒れ果てた激戦地は、たった数日で完璧に平らに均され、計算し尽くされた水路が美しい幾何学模様を描きながら豊かな土壌を潤している。
これが本当に、あの泥と血にまみれた旧国境の姿なのか。
休戦の裏で難攻不落の要塞が築かれていると勝手に深読みして震え上がっていたランドルフは、眼前の圧倒的な「平和な巨大農地」のビジョンを前に、完全に言葉を失ってしまった。
「司令官閣下!あちらの屋台で、我が皇国の特産品が王国の商人たちに飛ぶように売れております!しかも、信じられないほどの適正価格で……!」
偵察に出していた護衛の兵士が、毒気を抜かれたような顔で報告に駆け寄ってくる。
剣を握りしめていたはずの使節団の兵士たちも、暴力的なまでに芳醇な料理の匂いと、敵意の欠片もない熱狂的な空気に当てられ、張り詰めていた警戒心などあっという間に霧散してしまっていた。
使節団の警戒が完全に解け、皇国の市民までもが歓声を上げて祭りの熱狂に溶け込んでいく。
その平和的で感動的な国境を越えた交流の裏側では、サラによる血も涙もない、しかし完璧な集金システムが恐るべき速度で稼働していた。
「平和と友好。なんて素晴らしい言葉かしら。おかげで皆、お財布の紐が限界まで緩みきっていますわ」
喧騒から少し離れた特設の帳場で、サラは次々と運び込まれる売上報告書に素早く目を通し、パチパチと軽快な音を立てて計算盤を弾き続けていた。
彼女が仕掛けた集金システムは、休戦協定に縛られる穀物取引の枠組みを巧妙に外れたところに張り巡らされていた。
王国と皇国の商人がこの巨大な青空市場で取引を行うための高額な特別出店料。
国境を越えて運び込まれた両国の特産品を、この場限定の『停戦記念品』という付加価値をつけて売り捌くための仲介手数料。
さらには、過酷な土木作業のノウハウを応用して商会が独自開発した、最新型の農機具の先行予約権の販売。
「お嬢様、皇国の商人たちから最新型農機具の先行予約の申し込みが殺到しております。すでに用意した枠の三倍です!」
「あら、大盛況ね。値段をさらに二割釣り上げてから承諾しなさい。眼の前にあるこの完璧に平らに均された巨大農地を見れば、彼らも先行投資だと喜んで払うはずよ」
息を切らして駆け込んできた商会の部下からの報告に、サラは一切の躊躇なく冷徹な指示を飛ばす。
外では、かつて殺し合いをしていた両国の民が肩を組み、王都の極上エールとアンナ特製の肉料理に舌鼓を打って高らかに笑い合っている。
その平和と友好の象徴とも言える美しい祝祭の光景は、すべて一人の商人の妻の手によって完全にコントロールされた、巨大な利益を生み出すための華麗な舞台装置に過ぎなかった。
「兵士たちへの特別ボーナスや宴の食材費など、この売り上げに比べればただの安上がりな初期投資に過ぎませんわ」
サラは帳場に次々と積み上げられていく黄金のコインと契約書を前に、極めて満足げな笑みを浮かべた。
血みどろの激戦地を豊かな農地へと変え、さらには敵国の市民や警戒心剥き出しの使節団までもを熱狂の渦に取り込んで莫大な富を回収する。武力ではなく知略と商魂によって国境を完全に制圧したサラの集金システムは、祝祭の莫大な支出すらも遥かに上回る利益を叩き出していたのである。
そして、祭りの裏の元締めとして完璧な計算を続けるその冷徹な商人の妻の元へ、己の名義で出された招待状の真意を全く理解していない不器用な夫が、皇国の使節団を連れて足を踏み入れようとしていた。











