第40話
前代未聞の岩盤粉砕作戦から数日後。
かつて血で血を洗う激戦が繰り広げられた旧国境の緩衝地帯は、見渡す限りの整然とした巨大農地へと完全に生まれ変わっていた。
無数の穴は平らに均され、黒々とした豊かな土壌の間を、豊富な水量を誇る水路が葉脈のように巡っている。秋になれば、この広大な平原一面が黄金色の麦穂で埋め尽くされるであろうことは、もはや誰の目にも疑いようのない確定事項であった。
「皆様、本当にお疲れ様でした!約束通り、商会からの特別ボーナスと、極上の宴のご用意が整いましたわ!」
巨大農地の完成を祝うその日の夕刻。
見晴らしの良い丘の上に組まれた特設会場で、サラのよく通る涼やかな声が響き渡った。
彼女の背後には、王都から急遽取り寄せられた何十樽もの最高級エールと、山のように積まれた新鮮な食材の数々。そして、腕まくりをしたアンナを筆頭とするマイヤー家の料理人たちが、巨大な鉄板や大鍋を使って次々と豪快な料理を仕上げていく、暴力的なまでに食欲をそそる匂いが漂っている。
泥と汗を洗い流し、真新しい平服に着替えた数千の兵士たちと、彼らと共に開拓を成し遂げた現地の農民たちが、配られたばかりの特別ボーナスの金貨を入れた小袋を握りしめ、熱狂的な歓声を上げた。
宴の幕開けを告げる合図と共に、会場のあちこちでエールの巨大な木樽が豪快に打ち鳴らされた。
ポンッ、という小気味良い音と共に栓が抜かれると、熟成された麦の甘い香りと共に黄金色の液体が勢いよく溢れ出す。
「さあさあ、お肉もどんどん焼き上がってますからね!冷めないうちに遠慮せずに食べてください!」
アンナの元気な声が響く特設の調理場では、真っ赤な炎が勢いよく上がり、巨大な鉄板の上で分厚く切られた肉がジュージューと暴力的なまでの美味な音を立てていた。王都の最新スパイスがたっぷりと擦り込まれた極上の肉から滴る脂が炎を煽り、たまらなく香ばしい匂いが会場全体を包み込んでいく。
王都の最高級酒が次々と木組みのジョッキに注がれ、大皿に山盛りにされた肉料理が、腹を空かせた兵士や農民たちの胃袋へと猛スピードで吸い込まれていく。
かつては国を荒らす恐怖の対象であった王国軍の兵士と、彼らに怯え、ただ遠巻きに見ていることしかできなかった現地の農民たち。しかし今、泥だらけになって過酷な土木作業を共に乗り越えた彼らの間に、身分や立場の壁は完全に消え去っていた。
「まさか軍人さんと肩を組んで、こんなに美味い肉と酒を味わえる日が来るなんてな!俺ぁ生きててよかったよ!」
「俺たちの方こそ、あんたらのクワ捌きや土の扱いには心底驚かされたぜ。おかげで、特別ボーナスで故郷の女房に新しい服でも買ってやれそうだよ」
マメの潰れたゴツゴツとした手でジョッキを高く掲げ、兵士と農民が互いの健闘を讃え合いながら、豪快に音を立てて乾杯を交わす。そこかしこで肩を組み、腹の底からの大きな笑い声が弾けていた。
そして、その熱狂的な輪の中心には、なぜか農民たちから神様のような熱烈な感謝と称賛を浴びている将校、ベイルの姿があった。
「ベイル様!あんたのあの血の滲むような穴掘り、俺たちゃ一生忘れねえだ!」
「さあさあ、この一番いいお肉も食ってくだせえ!」
「……ああ、ありがとう。だが俺の過去は、まだまだ埋めきれていない……」
次々と注がれる酒を機械的に煽りながら、ベイルは完全に焦点の合わない遠い目をしていた。過去の黒歴史を物理的に埋め立てようとする彼の狂気に満ちた穴掘りが、図らずも農民たちの心を深く打ち、結果として泥まみれの英雄という全く不本意な扱いを受けていたのである。
誰もが満面の笑顔で肉の脂で口の周りを光らせ、配られたばかりの金貨が入った小袋の確かな重みに、明るく平和な未来を語り合う。
それまで血と硝煙の匂いしか立たなかった絶望の荒れ地は、今や香ばしい料理の匂いと人々の力強い活力、そして祝祭の温かな灯りに満ちた場所へと見事な変貌を遂げていた。
祝祭の狂騒から少し離れた丘の斜面。
涼やかな夜風が吹き抜ける中、グウィンとサラは並んで立ち、夕闇に染まりゆく巨大な農地を見下ろしていた。
先程まで凄まじい熱気を放っていた兵士たちの喧騒も、ここまでは心地よい遠音となって届く。
「……しかし、本当にやり遂げちまうとはな。まさかあのボコボコの荒れ地が、たった数日でここまで立派な畑に化けるとはな」
グウィンは呆れたような、それでいて深い感嘆が入り混じった声で呟き、手元の木組みのジョッキを傾けた。
「ふふっ、私一人の力ではありませんわ。貴方という圧倒的な『武』と、兵士の皆様の頑張りがあってこその結果ですもの」
サラは手元の計算盤を優雅にしまい込みながら、不敵な商人の笑みを浮かべる。
「これで皇国への納品量も、マイヤー商会の莫大な利益も完全に確定しましたわ。皆様の素晴らしい『軍事訓練』に感謝いたします」
「ちっ、口の減らないやつだ」
悪態をつきながらも、グウィンの口元には隠しきれない柔らかな笑みが浮かんでいた。
彼はジョッキを空にすると、改めて見渡す限りの豊かな黒土へと視線を向ける。
「……たまには戦以外で剣を振るうのも悪くないな」
血生臭い戦場しか知らなかった軍神の、それは心からの安堵の言葉であった。
不器用な夫が命懸けで守り抜いた最前線の土地を、商人の妻が豊かな黄金の麦が実る場所へと鮮やかに造り変えてしまったのだ。
祝祭の温かな灯りが煌々と輝き、人々の絶え間ない笑い声が夜空へと溶けていく。
「ええ。ですが、商売の戦いはこれからが本番ですわ。この巨大事業を完璧に回して、両国からたっぷりと利益をいただきますから」
「……あまり度が過ぎると双方から恨まれるぞ」
「あら。最高の穀物を約束通りにお届けするのですから、感謝こそされ、恨まれる筋合いはございませんわ」
「ったく、しゃーねーな。……まあ、もし何かあっても俺がいるから安心しろ」
夜風にサラの涼やかな笑い声が響き、グウィンもまた、肩を揺らして低く笑った。
血みどろの戦争は終わり、この地で始まる新たな巨大事業と、平和という名の次なる果てしない戦い。
底なしの行動力を誇る商人の妻と、それに呆れながらも絶対的な信頼を寄せる不器用な軍神。
夕日を背にして並び立つ二人の影は長く伸びて一つに重なり、その絆は、夕闇に沈む豊かな大地の上でより一層強固なものとなっていた。











