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「愛など不要ですから。お気をつけて」  作者: あとりえむ


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第38話

王国軍による前代未聞の農地開拓作戦は、常識を遥かに超える凄まじい速度で進行していた。


過酷な戦場を生き抜いてきた精鋭たちの無尽蔵の体力と、一糸乱れぬ完璧な陣形行動。それら軍隊が持つポテンシャルの全てが、土を掘り、平らに均すという土木作業のベクトルへと全振りされた結果である。


特別ボーナスと祝祭の宴という明確すぎる報酬を前にした彼らの士気は限界突破しており、荒れ果てた旧国境の景色は、文字通り一日ごとに劇的な変化を遂げていった。



 ◇ ◇ ◇



一方、その異様な光景を、国境の向こう側から双眼鏡で監視している者たちがいた。

皇国側の補佐官であるランドルフと、司令官のエリスである。


「……なんという恐るべき執念だ。まさか休戦の裏で、これほど大規模な軍事行動を起こしてくるとは」


双眼鏡を覗き込むランドルフの額には、びっしょりと冷や汗が浮かんでいた。

彼の視線の先では、数千の兵士たちが隊伍を組み、恐るべき速度で巨大な溝を掘り進め、抉れた地面に大量の土砂を盛り上げている。


農業の知識など皆無に等しい歴戦の補佐官の目には、巨大な水路を掘削する作業が難攻不落の長大な塹壕線の構築に、戦火の爪痕を埋め立てる作業が強固な防壁と砲台の基礎工事にしか見えていなかったのである。


「あれほどの異常な速度で陣地構築を進めるとは……。王国軍はあの緩衝地帯に、超巨大な要塞を築き上げるつもりだ!我々が油断している隙に、完全にこちらの喉元に刃を突きつける気だぞ!」


勝手な深読みで戦慄を深め、一人で勝手に絶望の淵に立たされるランドルフ。

しかし、その隣で同じく双眼鏡を構えているエリスの耳には、補佐官の悲痛な叫びなど一切届いていなかった。


エリスの視界を独占していたのは、最前線で陣頭指揮を執るグウィン・マイヤーの姿ただ一つであった。

土埃にまみれ、額に汗を光らせながら雄々しく大地を開拓していく軍神の姿。


(ああ、グウィン様……!休戦したばかりだというのに、私を迎え入れるための壮大な愛の巣を自ら築き上げてくださっているのね!)


隣で要塞化に震える補佐官とは全く別のベクトルで、しかし彼以上に深刻な勘違いを炸裂させた女司令官は、双眼鏡を握り締めながらうっとりと熱い吐息を漏らしていた。



 ◇ ◇ ◇



その「愛の巣」こと巨大農地の開拓現場の中心では。


王国の誇る有能な外交官であり将校でもあるベイルが、誰よりも泥まみれになりながら、血走った目でツルハシを振り下ろしていた。


「掘れ!もっと深く掘り進めろおおおっ!過去の過ちを!消し去りたい黒歴史を!すべてこの土の下の奥底に完全に埋め立てるのだあああっ!」


先日の会談で敵国の司令官に愛のポエムを絶叫し、秒でフラれるという社会的な死を迎えてしまったベイル。

彼はその圧倒的な羞恥心と精神的崩壊から正気を保つため、「無心でひたすら土を掘り続ける」という極端な現実逃避による精神的リハビリの真っ最中であった。


エリート将校としての面影など微塵もない、あまりにも悲痛で狂気じみたハイテンション。

しかし、その彼が先陣を切って狂ったように土を掘り返す姿は、思いがけない波及効果を生み出していた。



かつて自分たちの生活の場を血生臭い戦場に変え、恐怖の対象でしかなかった王国軍の兵士たち。

現地の農民たちは当初、その屈強な軍人たちが突然荒れ果てた土地を埋め始めたことに怯え、遠巻きに様子をうかがうことしかできなかった。


しかし、エリート階級であるはずの将校が、美しい金髪を泥だらけにし、何かよくわからない悲痛な叫び声を上げながら誰よりも必死にツルハシを振るい続けているのである。


「過去を……俺の愚かなポエムを……もっと深く埋めねばならんのだ……っ!」


血の涙を流さんばかりのベイルのその姿は、農民たちの目には「過去の凄惨な戦争の歴史を悔い改め、平和な土地を取り戻すために文字通り身を粉にして贖罪している高潔な騎士の姿」として、あまりにも美しく、そして劇的に映ってしまった。


「……俺たちの畑のために、王国の偉いお方があんなに泥水啜って頑張ってくださってるんだ!」


「俺たちも傍観してる場合じゃねえ!クワを持て!軍人さんたちを手伝うんだ!」


一人の老農民の叫びを皮切りに、心を打たれた現地の人々が次々と農具を手に取り、せきを切ったように開拓作業へと飛び込んでいった。

一人の男の狂気に満ちた現実逃避は、壮絶な勘違いによって、いつの間にか感動のヒューマンドラマへとすり替わっていたのである。


サラの緻密な計算と軍隊の無尽蔵の実行力。

そこに現地の農民たちの土地に対する深い知識と熱意が完全に噛み合わさったことで、軍と民が一体となった巨大農地の開拓は、もはや誰にも止められない爆発的な速度で進み始めた。



軍隊の圧倒的なパワーと、農民たちの長年培ってきた土地への深い知識。

この二つが奇跡的な融合を果たしたことで、作業効率はサラの事前の計算すらも大きく上回る形で跳ね上がった。


力自慢の兵士たちが巨大な穴に大量の土砂を運び込み、農民たちがそれを農地に適した形へと素早く的確に整えていく。見渡す限りの荒れ果てた激戦地は、まるで魔法のような速度で、黒々とした豊かな土壌へとその姿を造り変えられていった。


その狂騒と熱気に包まれた開拓現場を、少し離れた小高い丘の上から日傘をさして見下ろしている影があった。


「ふふっ、素晴らしいわ。ベイル様には後で特別手当をはずんで差し上げませんとね」


現場の将校がどのような精神的崩壊を遂げて泥を啜っているかなど知る由もないサラは、手元の計算盤をパチパチと弾きながら、極めて満足げに微笑んだ。


予定以上の速さで進む工程表と、それに伴って跳ね上がる莫大な予想利益。彼女の脳内ではすでに、皇国へと出荷される大量の黄金の麦のビジョンが完璧に出来上がっていた。


だが、順風満帆に見えるこの前代未聞の巨大事業の前に、人間の狂気や執念だけではどうにもならない、最後にして最大の物理的障壁が立ち塞がろうとしていたのである。

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