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「愛など不要ですから。お気をつけて」  作者: あとりえむ


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第37話

圧倒的な労働力を確保するため、サラの白羽の矢が立ったのは、あろうことか自国の軍隊であった。


休戦協定が結ばれたことで前線での任務から解放され、軍営で手持ち無沙汰に武装を解いていた王国軍の精鋭たち。サラは彼らを集めると、その中心に立つグウィンの前で一枚の設計図を堂々と広げた。


「休戦中とはいえ、いつまた有事が起きるか分かりません。最強の兵士たちをただ休ませて鈍らせておくのは、国家の損失というものですわ」


扇の代わりに指揮棒を片手に持った商人の妻は、百戦錬磨の将兵たちを見渡しながら、極めてもっともらしい建前を口にした。


「そこで、皆様にはこれより『陣地構築および兵站確保のための、最も実戦的で高度な軍事訓練』を行っていただきます。具体的には、旧国境の穴を完全に埋め立て、水源から巨大な堀……いえ、水路を掘削していただきます」


それは要するに、軍隊の労働力を使った大規模な農地開拓の命令であった。


「……ったく、しゃーねーな」


サラの無茶苦茶な理屈を聞いたグウィンは、深くため息をついた。だが、有能な妻が描いた設計図の完璧な合理性と、兵士の体力を維持するための土木作業の有用性は理解できたため、あえて口を挟まなかった。


しかし、下っ端の兵士たちはそうはいかない。

彼らは顔を見合わせ、戸惑いの声を上げた。


「軍事訓練って……それ、ただの畑仕事じゃないですか?」


「俺たちは剣を振るうために軍に入ったんだ。泥まみれで土を掘るなんて……」


死線を潜り抜けてきた誇り高き兵士たちが、スコップやツルハシを持たされることに難色を示すのは当然の反応であった。軍営の空気は、戸惑いと不満によって徐々に重くなっていく。



不満の声を上げる兵士たちを前にしても、サラの優雅な微笑みが崩れることはなかった。

むしろ、彼女は手にした指揮棒で軽く自分の手のひらを叩き、待っていましたとばかりに口を開く。


「ええ、もちろん皆様の誇り高き剣の腕は存じております。ですから、これはあくまで過酷な訓練。それに耐え抜いていただくため、本日は我がマイヤー商会から特別な『陣中食』をご用意いたしましたわ」


サラの合図とともに、軍営の奥から巨大な大鍋をいくつも乗せた荷車が姿を現した。

その先頭で満面の笑みを浮かべていたのは、マイヤー家が誇る料理のスペシャリスト、アンナである。


「皆様お疲れ様です!過酷な訓練に備えて、とびきりスタミナのつくお料理をお持ちしました!」


アンナが元気な声とともに大鍋の蓋を開けた瞬間、暴力的なまでに芳醇な香りが軍営全体に爆発するように広がった。

王都で最新流行の強烈なスパイスを惜しげもなく使い、マイヤー商会が独占流通させる極上の肉と新鮮な野菜をとろとろになるまで煮込んだ、アンナ特製の超重量級スタミナシチューであった。


長きにわたる前線での生活で、干し肉と硬いパン、そして薄い塩味のスープばかりを口にしてきた兵士たちの鼻腔を、未知の香辛料の刺激と圧倒的な肉の匂いが容赦なく殴りつける。


「な、なんだこの美味そうな匂いは……っ!」


「さあさあ、たくさんありますから、冷めないうちに遠慮せずに召し上がってくださいね!」


アンナの愛らしい笑顔に促され、半信半疑で木皿を受け取った兵士たちが、熱々のシチューを一口その口に運んだ。


次の瞬間、軍営のあちこちから「美味ええええっ!?」という、まるで敵の奇襲でも受けたかのような凄まじい絶叫が連鎖的に上がり始めた。

口の中で溶ける極上の肉の旨味と、疲労した身体の隅々にまで染み渡る計算し尽くされたスパイスの刺激。


それは、文句を言っていた兵士たちの胃袋と理性を、物理的かつ暴力的に完全に支配した瞬間であった。



アンナの特製陣中食によって、屈強な兵士たちの心と胃袋は完全に掌握された。

鍋の底を舐めるようにしてシチューを平らげ、幸せなため息をつく男たちを見下ろし、サラは完璧なタイミングで次の手を打った。


「皆様、お味はいかがでしたか?本日の訓練を見事完遂し、無事にこの地を平らに均すことができた暁には、商会から皆様全員に『特別ボーナス』として金貨を支給いたしますわ」


その言葉に、満腹で緩みきっていた兵士たちの目の色が再び変わった。

国からの給金に加えて、大商会からの直々の臨時収入。しかも、作業を早く終わらせれば終わらせるほど早く手に入るのだ。


さらにサラは、指揮棒を優雅に振るってダメ押しの甘い罠を放つ。


「もちろん、それだけではありません。全ての作業が終わり、種まきの準備が整った日には、近隣の農民たちも招いて、この地で『盛大な停戦祝祭』を開催いたします。王都から取り寄せた極上の酒と、本日の何倍もの豪華な料理を、アンナに腕を振るって用意させますわ!」


黄金の輝きと、底なしの酒池肉林の約束。

過酷な戦場を生き抜いてきた彼らにとって、これ以上ないほどに最高で、最もわかりやすいご褒美であった。


もはや、剣を振るうためだの誇りだのと言っていた不満の声は、誰の口からも発せられることはなかった。


極上の食事と、目の前にぶら下げられた特別ボーナス、そして酒池肉林の停戦祝祭。

それら全てを提示された兵士たちの士気は、皮肉なことに、皇国との決戦の時よりも遥かに高く、熱く燃え上がっていたのである。


「野郎ども、聞いたな!」


熱狂する兵士たちの前に進み出たグウィンが、腹の底から響くような大音声で号令をかけた。


「これより、我が王国軍が誇る最強の精鋭部隊による、陣地構築の特別訓練を開始する!武器を置け!その手にスコップとツルハシを握れ!」


「「「おおおおおっ!!!」」」


軍神の咆哮に応えるように、数千人の兵士たちが地鳴りのような雄叫びを上げた。

彼らは愛用の剣や槍を躊躇いなく放り投げると、サラが王都から大量に持ち込ませた真新しい農具へと群がり、我先にと力強く掴み取る。


「行くぞ!あの忌々しい穴を埋め尽くし、この荒れ地を平らに均せ!祝祭の酒とボーナスは、俺たちの手で勝ち取るんだ!」


かくして、死線を潜り抜けた最強の兵士たちは、完全に狂気じみた熱狂とともに、未曾有の農地開拓作戦という名の泥まみれの土木作業へと猛然と突撃していったのである。

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