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「愛など不要ですから。お気をつけて」  作者: あとりえむ


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第26話

サラが連れ去られた海域にほど近い、港町ジュネイル。


陽が傾き始めた港に一時停泊する海軍の旗艦で、バルトロメオ提督はギリッと奥歯を噛み締め、重い焦燥感に苛まれていた。


日の出とともに全艦隊を動員し、霧と暗礁に覆われた海域を文字通りしらみつぶしに捜索したにもかかわらず、海賊の痕跡はおろか、手がかりの一つすら掴めなかったのだ。


兵たちの疲労も限界に近づき、天然の要塞に守られたゲイルズ海賊団の拠点を自力で暴き出すのは不可能に近いという絶望感が、艦隊全体を泥のように重く包み込んでいた。


そんな息の詰まるような空気の中、内陸の戦線へ向かっていた急使が馬を乗り潰す勢いで港へと帰還を果たした。


軍神の逆鱗に触れ、どれほどの怒号と脅迫がもたらされるのか。首を刎ねられる覚悟すらしていた提督たちに対し、急使が唖然とした表情で告げたのは、あまりにも予想外の伝言だった。


「暗夜の海を見よ。妻がすでに案内標識を残している……だと?」


提督は訝しげに眉をひそめたが、すぐにハッと息を呑んだ。あの常軌を逸した夫婦が、何の勝算もなく適当な言葉を発するはずがないのだ。


日は完全に落ち、海は濃密な闇に包まれようとしていた。


提督は即座に全艦隊へ出港の通達を出し、月のない暗夜の海面を厳重に監視するよう命じた。


同時に、猛禽使いのプロフェッショナルであるデミウス副官が軍用の大鷹を空へと放ち、漆黒の闇夜の上空からの広域捜索を試みる。


しばらくすると、真っ暗な沖合の上空で大鷹が異様な旋回行動を取り始めた。


海面に微かに溶け出した特殊な油の成分と光に夜行性の魚の群れが集まり、その不自然な密集に優れた視力を持つ鷹が明確な反応を示したのだ。


大鷹の合図を受けたデミウスの報告により、バルトロメオ提督はすぐさま艦隊をその海域へと静かに接近させた。


すると、船首で見張りに立っていた海兵たちが次々と息を呑んだ。


複雑怪奇に入り組んだ暗礁の迷路の奥深く、これまで海軍がどれだけ探しても近づくことすらできなかった死の海域に向かって、ぼんやりと青白く発光する一直線の道が波間に浮かび上がっていたのだ。


「案内標識とはコレのことか……。あの夫婦は、揃いも揃って本当に恐ろしいな」


昼間の絶望が嘘のように、バルトロメオ提督は痛快そうに口角を上げ、全艦隊へ向けて静かに進軍の合図を送った。


死なずの軍神の妻が命懸けで切り拓いた完璧な航路を手に入れ、海軍の誇る大艦隊が、無音で死の迷路を抜けゆく。


祝杯に酔いしれ、絶対の安全圏だと信じて油断しきっているであろう海賊たちの喉元へと、今まさに確実な死の刃が突きつけられようとしていた。



◇ ◇ ◇



霧と暗礁に守られた天然の要塞、ゲイルズ海賊団の拠点となる島では、早くも勝利の美酒に酔いしれる荒くれ者たちの下品な歓声が響き渡っていた。


略奪したマイヤー商会の積荷は彼らにとって数ヶ月分の稼ぎに匹敵する上に、私という極上の人質が莫大な身代金に化けることが確定しているのだから、馬鹿騒ぎしたくなるのも無理はない。


洞窟を利用した巨大な宴会場の隅に設置された鉄格子の檻の中で、私は冷たい床に座り込みながら、たるみきった海賊たちを冷ややかに観察していた。


やがて、強い酒の匂いを漂わせた船長ゲイルズが、下卑た笑みを浮かべて私の檻の前にやってきた。


「王都から山ほどの金貨が届くまでの間、ただ飯を食わせておくわけにはいかねえな」


ゲイルズは鉄格子をガンガンと乱暴に叩き、脅すように私を見下ろした。


「おい、お前。料理くらいはできるだろう。俺たちの宴の準備を手伝え。おとなしく働けば、命だけは保証してやるよ」


「……はい、精一杯、皆様のために働かせていただきますわ」


私は肩をビクッと震わせ、恐怖で今にも泣き出しそうな令嬢を完璧に演じながら、か細い声で返事をした。


しかし、ドレスの奥深くに隠し持った小瓶の感触を密かに確かめながら、私の内心は冷酷な歓喜に沸き立っていた。


わざわざ敵の急所である胃袋に直接手を下せる厨房という特等席へ、向こうから案内してくれるというのだ。これほど割の良い商売はない。

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