第一話『五回目の朝、まだ死ねない』
# 第一話『五回目の朝、まだ死ねない』
白瀬みことは、自分が死ぬことを知っていた。
このあと死ぬ。
それだけは確実だった。
どこで死ぬのか。
何が原因なのか。
どうやって終わるのか。
それは思い出せない。
だが、死ぬという結果だけは知っている。
だから目が覚めた瞬間、みことは反射的に腕時計を見た。
午前八時十二分。
秒針が規則正しく動いている。
同じだ。
また同じ朝だ。
大型バスのエンジン音が低く唸り、座席越しに振動が伝わってくる。窓の外には見慣れた街並みが流れていた。コンビニ。交差点。自転車で坂を下る学生。赤信号で停車する車列。
全部知っている。
このあと右折することも。
次の信号でバイクが無理な追い越しをすることも。
向かいの席のサラリーマンがあと三十秒後に舌打ちすることも。
全部。
みことは深く息を吐いた。
五回目だった。
一回目は混乱した。
二回目は泣いた。
三回目は周囲に助けを求めた。
四回目は諦めた。
そして五回目。
今はもう、驚くことすら疲れていた。
視線を窓へ向ける。ガラスに映る自分の顔は、二十二歳にしては少し疲れて見えた。目の下には薄い隈がある。もちろん身体は毎回リセットされているはずなのに、心だけはそうはいかないらしい。
そのとき。
「すみません」
小さな声が聞こえた。
振り返る。
そこには見知らぬ少女が立っていた。
肩まで伸びた柔らかな髪。どこか頼りなさそうな大きな瞳。両手で鞄の紐を握りしめている。
「ここ、座ってもいいですか?」
みことは周囲を見る。
空席はいくらでもある。
なのに少女はわざわざここへ来たらしい。
「別にいいけど」
「ありがとうございます」
少女は安心したように笑った。
その笑顔が妙に眩しかった。
このバスの中では珍しい表情だったからかもしれない。
みことは思わず尋ねる。
「知り合いだったっけ」
「え?」
「いや、なんでもない」
少女は首を傾げて笑う。
「初対面です」
そう言ってから小さく頭を下げた。
「朝比奈ゆいです」
その名前を聞いた瞬間。
胸の奥がざわついた。
知らないはずなのに。
初めて聞くはずなのに。
なぜか懐かしい。
そんな感覚があった。
「白瀬みこと」
「よろしくお願いします」
ゆいはまた笑った。
普通の笑顔だった。
何も知らない人の笑顔。
この世界の異常さをまだ知らない人間の笑顔。
みことは少しだけ目を細めた。
羨ましいと思った。
知らないでいられることが。
そのときだった。
前方の席から男が立ち上がる。
車内の空気が変わった。
みことの身体が反射的に強張る。
知っている。
この流れを。
この男を。
何度も見た。
何度も聞いた。
男は通路の中央へ出ると、乗客達を見回した。
そして口を開く。
「今何回目だ」
車内が静まる。
ゆいが首を傾げた。
「え?」
みことは小さく目を閉じた。
始まった。
また。
同じ朝が。
「五回目」
みことは答える。
男がこちらを見る。
「三回目だ」
短く返してくる。
すると前方の席から別の声がした。
「七回目だ」
落ち着いた声。
みことは視線を向ける。
そこに座っていた男を見て、なぜか少しだけ安心した。
神代だった。
整った顔立ちに感情の薄い表情。窓の外を眺めながら、まるで日常会話でもするように回数を告げる。
毎回そうだった。
何度繰り返しても。
彼は必ずこう言う。
「七回目だ」
不思議だった。
みことの回数は増えている。
なのに神代はずっと七回目だった。
誰も突っ込まない。
みことも、なぜか聞けなかった。
「何の話ですか?」
ゆいが困惑したように尋ねる。
当然だ。
普通なら意味が分からない。
「気にしなくていい」
神代が答える。
「どうせすぐ分かる」
その言葉に、みことの胸が少しだけ痛んだ。
すぐ分かる。
つまり。
すぐ死ぬ。
神代はそれを知っている。
みことも知っている。
でもゆいだけは知らない。
バスはそのまま走り続ける。
誰も話さない。
異様な沈黙だった。
回数者達はそれぞれ考えている。
どうすれば今回は違う結果になるのかを。
だが、答えは見つからない。
毎回何かが違う。
毎回何かが足りない。
やがてバスが減速を始めた。
見覚えのある停留所。
古びた標識。
林へ続く細い道。
みことの心臓が少しだけ速くなる。
ここだ。
神代が立ち上がる。
「降りる」
短く言う。
三回目の男も続く。
みことも席を立った。
「え、ちょっと待ってください」
ゆいが慌てて立ち上がる。
「どこ行くんですか?」
誰も答えない。
答えられない。
説明したところで信じないからだ。
いや。
みことは違った。
本当は説明したい。
助けたい。
でも何をどう言えばいいのか分からない。
死ぬことだけ知っていて。
死に方だけ知らない。
そんな状況をどう説明すればいいのだろう。
バスのドアが開く。
冷たい風が吹き込む。
神代は迷わず降りた。
三回目の男も続く。
みことは階段に足をかける。
そこで振り返った。
ゆいが立ち尽くしている。
不安そうな顔。
助けを求めるような目。
その瞬間。
みことはなぜか確信した。
この子を置いていけない。
理由は分からない。
ただそう思った。
だから手を差し出す。
「来る?」
ゆいが目を見開く。
「……いいんですか」
「知らない」
みことは少しだけ笑った。
「でも一人よりはマシだと思う」
ゆいは迷ったあと、小さく頷いた。
そしてその手を取る。
温かかった。
人の体温だった。
それだけなのに。
なぜか少しだけ安心した。
林の奥には小屋が見えている。
古びた木造の小さな建物。
窓は塞がれ。
ひっそりと佇んでいる。
みことはその姿を見つめた。
胸の奥がざわつく。
怖い。
きっとまた死ぬ。
でも。
今回は少しだけ違う気がした。
隣にはゆいがいる。
前には神代がいる。
そして。
この小屋にはまだ、自分が知らない何かが隠されている。
そんな気がしていた。
みことは小さく息を吸う。
そして一歩を踏み出した。
また終わるためではなく。
何かを思い出すために。




