第十話『優しい人だった』
第十話『優しい人だった』
小屋の扉は開いたままだった。
誰も触っていない。
風も吹いていない。
それなのに。
まるで誰かを招き入れるように。
暗闇を口のように開けていた。
みことはそこを見つめる。
嫌な予感がした。
だが。
不思議と足は止まらない。
「今日はやめよう」
ゆいが言った。
小さな声だった。
「なんか嫌です」
その言葉に三回目の男が笑う。
「今さらだろ」
「でも」
ゆいは小屋を見たまま動かない。
「ここ、嫌です」
神代は何も言わない。
ただ小屋を見ている。
その横顔は硬かった。
みことは気づく。
神代も入りたくないのだ。
それでも入る。
理由は分からない。
でも。
入らなければならない。
そんな顔だった。
「行こう」
みことは言った。
ゆいが顔を上げる。
不安そうな目。
少しだけ。
みことの胸が痛む。
だが。
前ほどではない。
そのことに気づいてしまう。
怖かった。
前ならもっと強く感じたはずだ。
放っておけないと思ったはずだ。
なのに今は。
少し薄い。
少しだけ。
本当に少しだけ。
神代の言葉がよぎる。
――思い出し方を間違えると壊れる。
まさか。
そんなはずはない。
そう思いたかった。
四人は小屋へ入る。
床が軋む。
暗い。
静かだ。
そして。
前にはなかった扉があった。
部屋の奥。
黒い木の扉。
誰も見たことがない。
「……なんだよこれ」
三回目の男が呟く。
神代の顔色が変わる。
初めて見る顔だった。
青ざめている。
「帰れ」
神代が言った。
全員が振り返る。
「何?」
みことが聞く。
「帰れ」
神代はもう一度言う。
「今日は帰れ」
「どうしたんだよ急に」
「いいから帰れ」
その声は切迫していた。
本気だった。
だからこそ。
みことは逆に気になった。
扉を見る。
黒い扉。
何がある。
何を知っている。
神代は何を隠している。
その瞬間。
扉の向こうから音がした。
コン。
コン。
誰かが叩いている。
ゆいが悲鳴を飲み込む。
三回目の男が後ずさる。
神代だけが目を閉じた。
まるで。
知っている音を聞いたみたいに。
コン。
コン。
もう一度。
そして。
声がした。
「たすけて」
女の声だった。
みことの呼吸が止まる。
聞いたことがある。
夢で。
記憶で。
事故の中で。
どこかで。
確実に。
「……誰」
みことが呟く。
神代は答えない。
代わりに。
ゆっくり首を振った。
「開けるな」
その声だけで。
神代がどれほど恐れているか分かった。
だが。
もう遅かった。
みことは歩いていた。
一歩。
また一歩。
扉へ近づく。
知りたい。
思い出したい。
知らなければ前に進めない。
そんな気持ちが勝っていた。
「みこと!」
ゆいが呼ぶ。
振り返らない。
手を伸ばす。
冷たい金属のノブ。
そして。
回す。
扉が開く。
その瞬間。
世界がひっくり返った。
炎。
熱。
煙。
悲鳴。
倒れた座席。
血。
割れた窓。
みことはバスの中にいた。
事故の日だ。
分かる。
これは記憶だ。
目の前で誰かが泣いている。
少女。
小さい。
震えている。
助けなきゃ。
そう思った。
だが。
身体が動かない。
足元には。
誰かがいる。
女性。
血まみれの。
女性。
そして。
その人がみことを見上げる。
「行って」
優しい声だった。
「お願い」
泣きそうな顔だった。
「ゆいを」
その瞬間。
記憶が切れる。
みことは床へ倒れ込んだ。
呼吸ができない。
涙が止まらない。
頭が割れそうだった。
神代が駆け寄る。
「何を見た」
みことは震える。
声が出ない。
だが。
理解した。
今までで一番大きな断片。
事故の日。
女性。
そして。
ゆい。
助けろと言われた。
誰かに。
最後に。
そのとき。
ふと気づく。
涙が出ている。
でも。
どこか遠い。
悲しいはずなのに。
少しだけ。
薄い。
みことは恐ろしくなる。
自分自身が。
泣いているのに。
前より悲しくないことが。
何より怖かった。




