第九話『誰を助けたかった』
# 第九話『誰を助けたかった』
みことは夢を見た。
久しぶりだった。
いや。
もしかすると毎回見ていたのかもしれない。
ただ覚えていなかっただけで。
夢の中で。
誰かが泣いていた。
小さな子供だった。
顔は見えない。
背中しか見えない。
炎が燃えている。
熱い。
煙が苦しい。
耳鳴りがする。
それでも。
その子供へ手を伸ばしていた。
助けなきゃ。
その思いだけがあった。
理由も分からない。
名前も知らない。
それでも。
助けなきゃ。
その瞬間。
子供が振り返る。
みことは息を呑む。
ゆいだった。
---
目が覚める。
大型バス。
エンジン音。
窓の外を流れる景色。
いつもの朝。
なのに。
胸の鼓動だけが異常に速い。
「……ゆい」
思わず名前を呼ぶ。
「はい?」
隣から声が返る。
普通の声。
普通の顔。
何も知らない顔。
みことは少しだけ安心した。
夢だった。
ただの夢。
そう思おうとする。
だが。
違う。
あれは夢じゃない。
記憶だ。
そう確信していた。
「どうかしました?」
ゆいが心配そうに聞く。
みことは首を振る。
「なんでもない」
嘘だった。
なんでもなくない。
むしろ今までで一番大きな何かが起きている。
神代が前方の席から振り返る。
一瞬だけ目が合う。
そして。
神代は小さく眉をひそめた。
気づいたのだ。
みことがまた何かを思い出したことに。
バスは走る。
停留所へ向かって。
小屋へ向かって。
事故の記憶へ向かって。
みことは窓の外を見る。
そのとき。
ガラスに映る自分の顔が少しだけ遅れて瞬きをした。
心臓が止まりそうになる。
だが。
前みたいな恐怖はなかった。
代わりに。
妙な既視感がある。
鏡の中の自分。
あれは敵ではない。
そんな気がした。
むしろ。
何かを伝えようとしている。
その感覚。
神代が立ち上がる。
いつものように。
「降りるぞ」
停留所。
林。
小屋。
変わらない流れ。
だが今日は違った。
小屋へ向かう途中。
ゆいが立ち止まった。
「どうしたの」
みことが聞く。
ゆいは遠くを見ている。
事故現場の方向。
「……ここ」
小さく呟く。
「知ってる気がする」
神代の足が止まる。
空気が変わる。
「何を思い出した」
神代の声は珍しく強かった。
ゆいは怯えたように肩を震わせる。
「わ、分かりません」
「何でもいい」
「でも」
ゆいは苦しそうに額を押さえる。
「誰かを探してる」
みことの胸が鳴る。
強く。
痛いほど。
「誰を」
神代が聞く。
ゆいは首を振る。
「分からない」
涙が滲んでいる。
「でも探さなきゃって」
その姿を見て。
みことの頭の奥で何かが繋がった。
探している。
誰かを。
自分も。
探していた。
夢の中で。
炎の中で。
必死に。
その瞬間。
視界が揺れる。
耳鳴り。
焦げた匂い。
熱。
煙。
断片が流れ込む。
炎に包まれたバス。
倒れた座席。
悲鳴。
そして。
誰かの声。
――みこと。
呼ばれる。
振り返る。
女性の声。
優しい声。
知らない。
はずなのに。
涙が出そうになる。
次の瞬間。
記憶は消えた。
掴めない。
あと少しなのに。
逃げていく。
みことは膝をつく。
「みこと!」
ゆいが駆け寄る。
神代も来る。
「何を見た」
みことは呼吸を整える。
苦しい。
胸が痛い。
「女の人」
それだけ言う。
神代の表情が固まる。
「女?」
「うん」
「顔は」
「見えない」
沈黙。
神代は何かを考えている。
だが答えない。
その様子が逆に気になる。
「知ってるの?」
みことが聞く。
神代はしばらく黙った。
そして。
「……たぶんな」
珍しく曖昧な返答だった。
「誰なの」
「まだ思い出すな」
みことは目を見開く。
神代は今までずっと。
思い出せと言っていた。
なのに。
今は違う。
「どういう意味」
神代は答えない。
代わりに。
事故現場の方を見る。
その横顔は。
どこか怯えていた。
そして。
みことは初めて思う。
神代が恐れているのは。
黒じゃない。
鏡でもない。
事故でもない。
もっと別の何かだ。
そしてその何かは。
自分が今思い出しかけた女性に関係している。
風が吹く。
木々が揺れる。
遠くで何かが軋む音がした。
小屋だった。
誰も触れていないのに。
ゆっくりと扉が開く。
まるで。
誰かを待っているみたいに。
みことはその暗闇を見つめる。
胸の奥で確信が生まれる。
小屋の中にある。
次の記憶が。
そして。
忘れたかった真実が。




