第五話『七回目の男』
# 第五話『七回目の男』
目が覚めてからしばらくの間、みことは何も話せなかった。
大型バスの窓に映る自分の顔は青ざめていた。
心臓がまだ速い。
手も震えている。
今までとは違った。
いつもは死んでも何も残らない。
苦しかったという感覚だけが残る。
なのに今回は違う。
見た。
確かに見た。
炎だった。
煙だった。
誰かの悲鳴だった。
そして。
泣いているゆいだった。
みことはゆっくりと隣を見る。
朝比奈ゆいは不安そうにこちらを見ている。
「本当に大丈夫ですか?」
優しい声だった。
何も知らない声だった。
みことは少しだけ笑う。
「……たぶん」
「全然たぶんじゃなさそうです」
その言い方が少しおかしくて、みことは肩の力を抜いた。
だが。
違和感は消えない。
事故の中にゆいがいた。
なぜだろう。
同じバスに乗っていたから?
それだけだろうか。
みことは窓へ視線を移す。
ガラスに映る景色。
そして。
一瞬だけ。
自分ではない何かが映った気がした。
反射的に顔を上げる。
何もない。
ただの窓だ。
だが胸がざわつく。
小屋の鏡。
あの遅れた瞬き。
思い出す。
「……見るな」
前方から声がした。
神代だった。
こちらを見ていない。
窓の外を見ている。
なのに。
みことへ言ったのだと分かった。
「何を」
「鏡みたいなもの全部だ」
みことは黙る。
神代は続ける。
「見れば見るほど思い出す」
「思い出した方がいいんじゃないの」
初めて口にした疑問だった。
真相を知るためなら。
思い出した方がいい。
そう思う。
だが。
神代は首を振った。
「順番がある」
「順番?」
「思い出し方を間違えると壊れる」
その言葉は妙に重かった。
経験談のように聞こえる。
みことは神代を見つめる。
整った横顔。
感情の薄い目。
だが。
今は少しだけ疲れて見えた。
「神代」
「なんだ」
「本当は何回目?」
車内が静かになる。
三回目の男も顔を上げる。
ゆいも神代を見る。
神代は少しだけ目を閉じた。
そして。
「七回目だ」
いつも通り答えた。
みことはため息をつく。
「嘘」
神代は答えない。
「絶対嘘」
沈黙。
「七回目の人があんな顔しない」
みこと自身も驚いた。
自然に出た言葉だった。
神代はゆっくりこちらを見る。
そして。
ほんの少しだけ笑った。
初めてだった。
神代が笑ったのを見たのは。
「お前は勘がいいな」
それだけだった。
否定しない。
つまり。
当たっている。
「じゃあ何回目なの」
「覚えてない」
即答だった。
みことは言葉を失う。
「覚えてない?」
「途中で数えるのをやめた」
その一言が。
異常な重さを持っていた。
何十回。
何百回。
想像もできない。
同じ朝を。
同じバスを。
同じ絶望を。
何度も繰り返してきたということだ。
ゆいが小さく呟く。
「……そんなの」
言葉が続かない。
神代は窓の外を見たままだった。
「だから言っただろ」
「何を」
「慣れるな」
みことは返事ができない。
慣れていた。
少しずつ。
確実に。
死ぬことに。
繰り返すことに。
絶望することに。
慣れ始めていた。
そのときだった。
バスが減速する。
停留所。
林。
小屋。
いつもの景色。
だが。
今日は少し違う。
みことは気づく。
小屋の前に誰かいる。
一人。
立っている。
黒い服。
長い影。
顔は見えない。
でも分かる。
昨日見た男だ。
黒。
神代も気づいていた。
表情が硬い。
三回目の男が舌打ちする。
「またいるぞ」
バスが止まる。
ドアが開く。
全員が降りる。
黒だけが動かない。
小屋の前に立ったまま。
こちらを見ている。
みことの胸がざわつく。
怖い。
でも。
なぜか目が離せない。
そのとき。
黒が口を開いた。
初めてだった。
声を聞いたのは。
「まだ思い出していないのか」
男とも女とも分からない声。
静かだった。
感情がない。
だが不思議と聞き取りやすい。
神代が前へ出る。
「余計なことをするな」
黒は神代を見る。
少しだけ首を傾げた。
「余計?」
「お前には関係ない」
「関係ある」
短い会話だった。
意味は分からない。
だが。
二人は互いを知っている。
それだけは分かった。
みことは息を飲む。
黒はゆっくり視線を移した。
神代から。
みことへ。
そして。
ゆいへ。
その瞬間。
初めて表情が変わる。
驚いたように。
本当にわずかに。
「……そうか」
黒は呟く。
何かに納得したように。
そして。
次の言葉を残した。
「今回は、お前がいるのか」
ゆいが首を傾げる。
「え?」
だが。
黒はもう答えない。
ゆっくりと後ろへ下がる。
林の中へ。
そして。
消える。
まるで最初から存在しなかったみたいに。
沈黙が落ちる。
風だけが吹いていた。
みことはゆいを見る。
ゆいも困惑している。
何も分かっていない顔。
だが。
黒は確かにゆいを見た。
そして。
"今回は"
と言った。
その言葉だけが頭に残る。
今回は。
つまり。
前にもあったということだ。
神代が小さく息を吐く。
「……面倒なことになった」
その横顔を見て。
みことは初めて確信した。
ゆいはただの新人じゃない。
この世界の鍵だ。
そして神代は。
そのことを最初から知っている。




