第四話『帰る場所』
# 第四話『帰る場所』
黒い服の男が消えたあとも、しばらく誰も話さなかった。
林の中を吹き抜ける風だけが音を立てている。
みことは何度も後ろを振り返る。
だが誰もいない。
さっきまで確かにそこにいたはずなのに。
まるで幻だったみたいに。
「……本当にいたよな?」
三回目の男が呟く。
「いた」
神代は短く答える。
「じゃあ何なんだよ」
神代は少しだけ考える。
だが結局首を振った。
「分からない」
「嘘つけ」
「分かっていることと説明できることは違う」
男は舌打ちした。
みことも同じ気持ちだった。
神代は何かを知っている。
それは確かだ。
でも嘘をついているようにも見えない。
それが余計に気持ち悪かった。
四人は再び歩き始める。
道路はどこまでも続いていた。
まるで終わりがないみたいに。
そして気づく。
景色が変わらない。
同じ電柱。
同じガードレール。
同じカーブ。
何十分歩いても変化がない。
みことは立ち止まる。
「これ」
神代も止まる。
「気づいたか」
「同じ場所?」
「たぶんな」
ゆいが青ざめる。
「え?」
「ループしてる」
三回目の男が空を見上げる。
「ふざけんなよ……」
みことの背筋に冷たいものが走った。
またループ。
また繰り返し。
ここからも出られないのか。
そのとき。
遠くからエンジン音が聞こえた。
全員が顔を上げる。
大型バスだった。
ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
見覚えのある車体。
見覚えのある色。
見覚えのある行き先表示。
そして。
みことは息を止める。
運転席。
誰も座っていない。
無人だった。
「……は?」
三回目の男が後ずさる。
だがバスは普通に走ってくる。
当たり前のように。
停留所もない場所で停止する。
ドアが開く。
ぷしゅう、と空気が抜ける音。
静かな世界に響く。
「乗るぞ」
神代が言った。
「乗るのかよ!?」
「帰る場所だ」
その言葉に。
みことはなぜか納得してしまった。
帰る場所。
確かにそうだった。
毎回目を覚ます場所。
毎回始まる場所。
あのバスだけは変わらない。
神代が乗り込む。
三回目の男は悪態をつきながら続いた。
みことも足を踏み出す。
だが。
ゆいだけが動かなかった。
「どうしたの」
みことが聞く。
ゆいはバスを見ていた。
怯えるような目で。
「……嫌な感じがする」
みことの心臓が小さく跳ねる。
その言葉。
どこかで聞いた気がした。
いや。
違う。
何度も聞いた気がする。
「嫌な感じ?」
「うん」
ゆいは小さく頷く。
「なんか……帰っちゃいけない気がする」
その瞬間。
神代が振り返った。
初めて見る顔だった。
驚いている。
本当に少しだけ。
だが確実に。
「……何だって?」
ゆいは戸惑う。
「え?」
「今の、前にも言ったか」
「言ってません」
「本当にか」
「初めて会ったのに」
神代は黙る。
何かを考えている。
みことはその横顔を見つめた。
今の反応はおかしい。
まるで。
知っている言葉を聞いたみたいだった。
「神代」
「乗れ」
遮られる。
それ以上は答えない。
結局。
全員がバスへ乗り込んだ。
車内は静かだった。
行きと同じ。
なのに違う。
みことは座席へ腰を下ろす。
窓の外を見る。
道路が流れていく。
林が遠ざかる。
小屋が見える。
ほんの一瞬だけ。
そして。
消える。
まるで最初から存在しなかったように。
「みことさん」
隣でゆいが小さく言う。
「ん?」
「死ぬのかな」
その問いに。
みことは答えられなかった。
死ぬ。
たぶん。
きっと。
でも。
何度も死んでいると言えばいいのか。
それとも。
大丈夫だと言えばいいのか。
分からない。
「……分かんない」
結局そう答える。
ゆいは少しだけ笑った。
「正直ですね」
「嘘つくの苦手だから」
「私もです」
そう言って。
ゆいは窓の外を見る。
その横顔が妙に幼く見えた。
守りたい。
ふとそんな感情が浮かぶ。
その理由は分からない。
会ったばかりなのに。
でも。
なぜか放っておけない。
そのとき。
みことは気づく。
車内が静かすぎる。
乗客がいる。
大勢。
なのに誰も喋らない。
誰も動かない。
不自然だった。
前方を見る。
女子高生。
サラリーマン。
子供を抱く母親。
みんな同じ姿勢。
同じ方向。
まるで。
人形みたいに。
みことの背筋が冷たくなる。
「神代」
呼ぶ。
神代はすぐに振り返った。
「気づいたか」
やはり。
知っていた。
「何なの」
「見るな」
「何を」
「乗客を」
低い声。
そのとき。
前の席の女子高生がゆっくり首を回した。
ぎり。
ぎり。
人間とは思えない動き。
みことを見る。
笑った。
そして。
全員が同時にこちらを向いた。
車内が凍る。
ゆいが悲鳴を上げる。
三回目の男が立ち上がる。
「なんだよこれ!」
誰も答えない。
答えられない。
次の瞬間。
バスが大きく揺れた。
激しい衝撃。
悲鳴。
ガラスが割れる音。
横転。
浮遊感。
世界が回る。
みことの身体が宙へ投げ出される。
熱い。
焦げ臭い。
煙。
炎。
誰かの叫び声。
そこで。
みことは初めて見た。
記憶の断片を。
炎に包まれた車内。
伸ばした手。
誰かを助けようとしている自分。
その先に。
泣いている少女。
――ゆい。
その瞬間。
視界が白く染まった。
---
目を開ける。
揺れ。
エンジン音。
青い座席。
大型バス。
みことは荒い呼吸を繰り返した。
心臓が痛いほど鳴っている。
汗で手が濡れていた。
そして。
隣から声がする。
「大丈夫ですか?」
ゆいだった。
何も知らない顔で。
何も覚えていない顔で。
心配そうにこちらを見ている。
みことは言葉を失う。
炎の中。
泣いていた少女。
それは間違いなく。
今のゆいだった。
そして初めて思う。
この子は。
本当に初対面なんだろうか。
その疑問だけが。
新しい朝の中で静かに残った。




