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見える僕と理解する君  作者: 芳里 匡喬


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9/24

残像 その3 リアルと誇張

昼を少し回った頃、二人は大樹のアパートに帰った。

部屋に入るなり大樹は机に着き、A3ノートを取り出した。


「お腹すいたでしょ? 何食べたい?」


由衣が声を掛けるが返事はない。カタカタ、カタカタと、鉛筆が紙の上を走る乾いた音が続いている。


由衣は背後に回り、そっと覗き込んだ。

思わず息を呑んだ。線に迷いがない。構図がぶれない。修正の気配もない。


(早過ぎ! この人、人間?)


「……お昼ご飯、何か持って来るね」

返事を待たず、由衣は部屋を出て自宅へ向かった。




由衣が、おにぎりや卵焼きなどを詰めた容器を持って戻ると、大樹は腕を組んで机の上を眺めていた。

横向きにしたA3ノート見開きの上下に二枚の絵があった。


「すごーい!」

由衣が思わず声を洩らした。


上下のページ両方に、歩行者デッキの光景が精密に描かれていた。

人の流れ、距離感、視線の向き、遠景から近景まで、破綻なく収まっている。

しかも、これを描き始めたのは、わずか十分ほど前である。


「すっごく細かいわね」

由衣はページを指でなぞる。

「けど、なんで同じ絵、二枚も描いたの?」


「同じじゃないです。よく見てください」

「んー……」

由衣は顔を近づける。

「わかんなーい」

「人々の姿勢がほんの少し違うでしょ」

目を凝らしてもう一度見た。

「……あ、ほんとだ」


大樹は人混み中の一人、後ろ姿の男を指差した。

「気になったのは、この人です」


指が、上の絵から下の絵へと移る。

「二枚を比べると、動きがおかしい」

さらに、その前方を指す。

「この前にいる人が、救助した人です。顔は見えないけど」

由衣は覗き込んだ。

「服と体格、髪型……たぶんそうね」


大樹の指が、後ろの男に戻った。

「で、この男が、前の男の腰のこの辺に、何か押し付けてるように見えます」

大樹は、自分の右腰の同じ辺りに手を当てた。


「押し付けるって何を?」

「例えば注射器」

「えぇぇー! それって……。犯罪じゃん!」 

「はい、そうだとしたら」

「防犯カメラに映ってるかも」

「二台あったけど、おそらく死角で映ってないです」


大樹は絵の中の一点、続いてもう一点に指先を置いた。

レンズの向き、設置位置が一目で分かるほど、正確に描かれていた。




その夕刻、二人が救命処置を施した男、さいたま市中央区在住、会社員・江口稔(えぐちみのる)・三十歳は、搬送先の病院で死亡が確認され、ニュースに流れた。


報道されてないが、検視の結果、右腰部に注射痕が確認された。死因は毒物または薬物による心臓発作と推定された。成分の特定は、司法解剖の結果を待つことになる。




当日午後八時、米田刑事と青山刑事が大樹のアパートを訪れた。

室内には、由衣と兄の康太もいた。


「いやー……」

米田刑事が頭を掻いた。

「防犯カメラを当たったんだがね。君たちが救命してる様子はしっかり映ってたが、それ以外は特に見つからんかった」

康太を見ながら、首を振った。

「目撃者も、決め手になる話はなかった」

「米田さん。彼が、絵を描いてます。被害者と……たぶん、犯人」


由衣に促され、大樹が椅子を回して背後の机に手を伸ばした。

テーブルの上に、二枚の鉛筆画が並べられた。次いでノートパソコンが置かれ、カラーのイラストが表示された。大樹がデザインソフトで描き起こしたものだ。


米田刑事は眼鏡をかけ直し、青山刑事と並んで覗き込んだ。


「ほう…… こりゃ写真みたいだな。白黒の方は何で同じのが二枚あるんだい?」

「米田さん、よく見てください。人の姿勢が若干違います」

「うーん……」

米田刑事は首を捻る。

「正直、よく分からん」


由衣が前方の人物を指した。

「この人が被害者で」

由衣は大樹を一瞥し、後方の男を指した。

「彼によると、後ろの男が腰に何か押し付けてるそうです」

「うーん……」

米田刑事はやはり首を捻る。

「よく分からん」


「パソコンの方が二枚目の拡大図になっています」

由衣が画面を指し示す。

青山刑事の目が大きく開いた。分かったようだが、口に出さない。

米田刑事は相変らず首を捻る。

「うーん……」


青山刑事がとうとう口を開いた。

「班長、前の男は青シャツで、被害者と一致します」

「うむ」

「後ろの男はグレーのジャケットに白のキャップ」

「……距離が、近いな」

「はい、異常に接近しています」

「身長差は……」

「被害者の身長は178センチで、後ろの男は五、六センチ低いようです」


束の間の沈黙後、米田刑事が声を張り上げた。

「周辺の防犯カメラを片っ端から当たるぞ!」

「はい、この男は必ず発見できます!」


米田刑事は大樹に向き直った。

「何よりの情報だ! で、この絵を借りても……」

「差し上げます」

「ありがとう!、で、パソコンの方は?」

由衣はUSBメモリをテーブルに置いた。

「これにコピーしてあります」

「助かる!」


出て行く二人を見送った康太は、笑みを浮かべ小さく頷く。

「あとは任せておけばいい。近いうちに解決するな」




康太が出ていったあと、由衣は大樹をじっと見つめた。

「ねえ」

「はい?」

「……あたしを描いてくれる?」

「いいですよ」

即答である。迷いがまるでない。

「ただし、リアルじゃなくて、少女漫画風でね」

「サンプルありますか?」


由衣はノートパソコンを引き寄せた。

画面に表示されたのは、そこそこ名の知られた少女漫画家の単行本の表紙である。由衣が一時のめり込んでいた作品だ。大きな瞳、整った輪郭、透き通るような肌、流れるような髪など、誇張されて一見よくある華やかな主人公の作画だが、妙に胸に迫るものがあった。


「こんな感じ」

「全身ですか? ポートレートですか?」

「とりあえず全身で。ポーズは……」

由衣はその場で脚を組み、頬杖をつく。軽く首を傾げ、柔らかな笑みを浮かべた。

「こんな感じで」


大樹は一度だけ視線を送る。それだけで十分である。

すぐにデザインソフトを立ち上げ、操作を始めた。カーソル迷いなく動き、滑らかに線が走り、ポチポチとマウスボタンが押され、各所が色付けされる。


十分程で声が上がった。

「できました」


画面に映し出されたのは、明らかに同じ漫画家が描いた少女漫画風の由衣である。

だが、単なる模倣ではない。髪の流れ、目の配置、身体の重心など、現実の由衣の特徴が、誇張と整理を経て再構成されていた。


「すごーい」

思わず声が漏れ、少し笑った。

「ちゃんと“あたし”だ。あとで送って」

「はい」

「もう一枚、いい?」


「今度は、どんな感じですか?」

「ポーズは同じで」

由衣は、どこか挑発的な含みのある笑みを浮かべた。

「ヌードにして」

「……えっ」

理解が一呼吸遅れた。


「だから、服を――」

言い終わる前に大樹の顔が、耳まで一気に赤くなり、声が裏返った。

「……か、描けません」

「わかった! 服、脱がないとね」

由衣はブラウスのボタンに手を掛ける。


「ちちち、違います」

大樹は顔を背けて立ち上り、今にも逃げ出す姿勢を取った。

「キャハハハハ!」

由衣は堪えきれず笑い出した。

「冗談よ」

「いい……いい加減、茶化すのはやめてください」

大樹は口を尖らせた。


「ごめん、ごめん。もうやんないから」

由衣は軽く手を振る。そして柔らかい口調に変えた。

「じゃあ、お詫びに明日の朝ごはん、あたしが用意する」

「……ありがとうございます」


由衣は、そんな大樹を横目で見ながら思い巡らす。


(楽しんでるだけじゃないのよね、これ)

(でも……反応が素直すぎる。このままだと、ずっと同じ距離感のままかも)

(……どうやったら変わるんだろう)


軽い気持ちで始めた”からかい”が、いつの間にか課題に変わっていた。


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