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見える僕と理解する君  作者: 芳里 匡喬


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7/24

残像 その1 雪崩

翌日の日曜日、由衣は朝食中に母親の美代子から声を掛けられた。


「大樹君、サヴァンなんでしょ。あんまりからかっちゃダメよ。あの子が楽な距離で、あの子のペースで話さなきゃ」

「そんなこと百も承知よ」


由衣は平然とコーヒーを一口含む。

「でも、そればかりだと、彼の社会性はなかなか改善しない。最初に合ったとき、言葉遣いが異常に堅苦して。失礼がないように無理に型にはめている感じだった」

「……そうかも知れないわね」

「普段はちゃんと合わせてる。彼の好きそうなこと話題にしてるし。たまにからかうのはスパイスのようなもん。ちょっとかければ美味しくなる」


美代子は小さく二度頷いてから、軽く睨んだ。

「あなたも考えてるのね。けど昨日、佐藤さんちの前でやったのは、かけ過ぎよ」

「えっ!」

由衣はカップを持ったまま固まった。


「……見てたの? 聞いちゃった?」

「回覧板を回しに行ったら、”泊まっちゃおう。ダブルで”って言葉が耳に入った」

「ヤバッ!」

「あんなこと言ってはしたない。大機君、真っ赤になってたじゃない」

「あっ! 時間がない。行かなくちゃ。お母さん、後お願い」


椅子を引くを音を響かせ、由衣は慌ててダイニングを出て行った。

「こらっ! 待ちなさい! 片付けもしないでまったくー」




呼び鈴がなり、大樹は玄関ドアを開けた。

「おっはよっ」

「早くないですか? あと一時間以上あります」


ニコニコと笑みをこぼす由衣を見て、パジャマ姿の大樹は少々戸惑(とまど)う。

二人はこの日、映画を見に行く約束をしていた。


「天気いいから歩いて行こうと思って。一駅ぐらい散歩にちょうどいいでしょ」

由衣はもっともらしい理由付けをする。

昨日の”泊まっちゃおう。ダブルで”ってフレーズを母親に聞かれてしまい、追及されて逃げてきた。


(なんて言えるわけがない)


「じゃあ、着替えなきゃ。ちょっと待って」


大樹は目の前でパジャマをボタンも外さずパパッと脱ぎ捨てる。

パンツ一枚の姿がイヤでも目に入る。

細身で色白、少し浮き出た筋肉が走る滑らかな肌。

パンツ一枚で家中動き回る兄達を見慣れている由衣も、つい見とれる。

大樹は、玄関脇のクロゼットから、丸めて放り込まれたTシャツとジャケットとチノパンを引っ張り出して手際よく身に着けた。


大樹は、恥ずかしげも無くキョトンとした眼差しを向けた。

「行きますか?」

「脱いだものは片付けましょ。しまうときはきちんと畳んでね。洗濯機はどこ?」

「ないです」


由衣は、部屋の隅のパンツやシャツが山盛りになった洗濯籠に、チラッと目を向けた。

初めて大樹の部屋を見たときのことを、由衣は思い出した。押し入れからシャツの袖がはみ出ていた。


「ちょっと上がらせてね」

「え」


何気に阻もうとする大樹を押しのけ、由衣は押入れを開ける。

ドサッドサッと、丸まったシャツやズボンなどが、雪崩(なだれ)の如く床に落ちた。


「はあぁぁー、こんなに溜めてー! あとでコインランドリーに行こうね」


由衣は、ある程度のことは理解している。

サヴァン症候群の人は、突出した観察力や記憶力を持つ一方で、整理整頓や身だしなみ等、日常の管理に無頓着になりやすいことを。

だから、驚きはしない。覚悟もしている。長い目で見るつもりだ。


(それにしても、これは……)


あまりにも子供っぽい。しかも、この無防備さは自分にだけ向けられている。

大学では、あれほど過剰なまでに礼儀正しいのに。


(大樹は家族のこと話さない。もしかして……)




二人は、映画館のある一駅先のモールへと歩いて向かった。

由衣は、歩きながら一つの仮説に辿り着いていた。


(やはり虐待か)


過度な礼儀正しさ。相手の顔色を先回りして読むような受け答え。


(あれは、失敗できない人間の振る舞い)


さらに、あの身体で柔道三段。確証はないが整合している。


春の空気は軽く、街路には柔らかな陽射しが落ちている。

その穏やかさとは裏腹に、由衣の思考は一点に集中していた。


(確かめよう)


「ねえ」

由衣は、何気ない調子で切り出した。


「どうやって柔道三段取ったの? 高校生では難しいって聞くけど、しかもその身体で」

「一生懸命やったから」

「それだけ? 相手が次にどう動くか分かるからじゃない?」

「……意識したこと無いけど、自然と身体が反応します」

「やっぱりサヴァンの力ね」

「そうかも知れません」

「じゃあ、始めたきっかけは?」

「……強くなりたかったから」


由衣は一歩踏み込んだ。

「自分を守るため?」

「……」

大樹は押し黙る。


「言いたくないなら、いいの」

由衣はあえて引いた。


(間違いないわ)


大樹はふと顔を上げ、何事も無かったかのように晴れやかな声を放った。

「桜は終わったけど、ハナミズキが咲いています」

「きれいねー!」


由衣は感じ取る。


(この人は克服した。けど、まだ何か抱えている)

そして、思う。

(力になりたい)


そよ風に揺れる淡い紅白の花が、街路に広がっていた。



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