宿怨 その5 フレーメン反応
一方、佐藤氏の死亡が確認された二日後、さいたま市北区の自宅マンションで、職業自称投資家・高木信也・四十四歳の遺体が発見されていた。
高木氏は昨年、千葉県船橋市から越して来た。
千葉県市原市に住む姉が、父親の一周忌の件で連絡を取ろうとしたが応答がなく、心配して自宅を訪れた。
郵便受けは満杯で呼び鈴を押しても反応は無い。管理人の立会いで部屋に入ると、高木氏は目を開けたままベッドに横たわっていた。
通報を受けた県警が駆け付け、検視によりその場で死亡が確認された。
司法解剖の結果、死因は急性硬膜下血腫、死後二日と推定された。
高木氏の部屋の現場検証が実施された。
争った形跡は無く、高木氏以外の指紋や毛髪などは発見されず、何者かが侵入した痕跡はなかった。
その二日前の午前四時十ニ分、マンション敷地入口の防犯カメラに、帰宅する高木氏が映っており、それ以降、外出する映像はない。
死亡推定日の前日には、宅配業者がピザを配達していた。
以上から高木氏は、自宅マンションの外で何らかの理由で後頭部を強打し、硬膜下血腫が徐々に悪化し、帰宅後二日で死亡したものと推定された。
事件か事故かの判断は今後の捜査に委ねられた。
高木氏は親の遺産をマンション購入に当て、残った金で株の信用取引をした。だが失敗し、多額の負債を抱えていた。
早朝、由衣は大樹の自宅アパートの呼び鈴を連打した。
ドアが開き、パジャマ姿の大樹が姿を見せるや否や、由衣はまくし立てた。
「ねえ、今朝、新聞を取りに玄関を開けた隙に寛太が逃げちゃったの。庭を探したけど見つからないの。まだ遠くには行ってないと思う。一緒に探して!」
「はは、はい」
大樹は、寝ぼけ眼をこすった。
「カンタァァァー」
二人は名前を呼びながら隣家の庭先などを探し回った。だが影も形もない。
由衣が大樹の顔を覗き込んだ。
「眠そうね。遅くまでエッチな動画とか見てたんでしょ?」
「みみ、見てません」
大樹は顔を真っ赤にして否定した。
「キャハハハハ、冗談よ」
「緊急時において冗談は禁止事項です」
「眠気覚ましよ。顔がスッキリしたじゃん」
大樹は口を尖らせて顔を背ける。その途端、ふと思い至った。
「……あっ! 佐藤さんちに行ったかも知れないです」
二人が佐藤家に行くと、まだ規制線が張られていた。
大樹は、垣根の隙間から玄関の方を覗いた。
「いました」
「よかったー!」
寛太は飛び石の間の地面をしばし嗅いた後、頭を上げて変顔をした。
「あの顔! よっぽど臭かったのね。アハハハハ」
「フレーメン反応です」
「何それ?」
「フェロモンや未知の臭い、危険性の有無を確認したときに見せる反応です」
寛太は、そこにちょいと座り込む。そしてお尻を上げて向きを変え、土を被せた。
「寛太がオシッコをしました」
「ヤダー!」
「侵入者が排尿したのかも知れません。寛太は、縄張りを主張したのかと」
「じゃあ、DNA検査したら寛太の他に……」
「侵入者のものが検出できるかも知れません」
「お兄ちゃんに伝える。けど、きったねー! 鑑識の人も大変ねー」
由衣は携帯を出した。
大樹が「カンタ」と呼びかけると、寛太はノソノソと二人の傍に来た。
大樹は、由衣が持ってきたキャリーケースに寛太を押し込む。
だが、寛太は脚を突っ張って抵抗した。
由衣が注意を促した。
「お尻、触らないよう気をつけて」
ようやく寛太を押し込んだ大樹は、手の平を嗅いだ。
「臭いです」
そして手を開いたまま、由衣に向けて突き出す。
由衣は珍しく動揺した。
「はっ、早く洗いなさい!」
「冗談です」
「えーっ!」
「お返しです」
「もうっ!」
由衣は大樹の頬を軽くつねりながら、笑みをこぼす。
(初めての冗談がこれかい……。まあ、距離が縮まったってことか)
鑑識が、寛太が排尿した場所の土を採取し、科捜研がDNA検査を実施した。結果、猫と人のDNAが検出された。人のものは亀田ではなく、データベースにも該当はなかった。
康太は、自宅マンションで死亡した高木氏の帰宅時刻が、佐藤氏の死亡推定時刻に近いことに着目した。高木氏が佐藤家から徒歩で帰宅した可能性を考え、捜査本部は高木氏の姉の了承を得て遺体のDNA検査を行った。結果、人のDNAは高木のものだった。
さらにマンションの住民から、高木はゴミの分別をせずに出して放置される事が多いとの情報を得て、当初対象外だったゴミ置き場を捜索した。
結果、メモを付けられて回収されなかったゴミ袋から、失禁の痕跡があるハーフコートとズボンが見つかった。
尿のDNAが高木のものと一致し、コートから高木以外の指紋と猫の毛が採取された。指紋は佐藤氏、猫の毛は寛太のものであった。




