宿怨 その4 猫の爪
二日後、捜査本部は、川口市在住・職業不詳・亀田彰・四十歳を住居侵入と傷害致死の容疑で任意同行を求めた。亀田は窃盗で前科二犯だが、ここ十年、逮捕されることはなかった。
佐藤氏の死亡推定時刻は午前二時から四時、近くのコンビニの防犯カメラには、午前二時三十六分に亀田が映っていた。
また、隣家への聞き込みでは、午前三時半頃、佐藤家の方から「オス猫同士の喧嘩のような大きな唸り声が聞こえた」との証言も得られた。
しかし、亀田は佐藤家への侵入を不定した。
「俺なら鍵穴にキズを残すようなヘマはしねえ。経験の浅い素人の仕業だ」
有力な証拠も証言もなく、亀田はその日の内に解放された。
翌朝、しゃがみ込んで寛太にご飯をあげている由衣に、康太が声を掛けた。
「佐藤さんの件で、署で大樹君と話したいのだが?」
「なんで?」
「容疑者がいるが、決め手がない」
「ふーん」
「昨日は大樹君、ほとんど喋らなかったそうだな。俺なら何か引き出せるかも知れん」
今まで実践する機会が少なかった、心理学知見を活かした事情聴取・取調べ技法を試したい。康太の本音である。
由衣は立ち上がって指を三本立てた。
「条件が三つ。大樹が嫌がったら中止。あたしも同席する。もう一つはー……」
由衣はニッと白い歯を見せて手の平を突き出した。
「まったくー! 言わんでもわかるよ」
「大樹は受け取らないから、あたしにね」
康太は軽くため息を吐き、由衣の手の平をバシッと叩いた。
「終わってからだ!」
当日夕刻、大宮警察署の一室、由衣と大樹が着いたテーブルに、康太は現場写真を二十数枚並べた。
「大機君、他に何か気になったことはなかったかい?」
「……」
大樹は、招き猫が写った玄関の写真、手招きする前足に目を留める。そして、上目使いの様相を見せる。
康太はそれを見逃さなかった。
(見当違いを恐れているな)
「遠慮せんで」
「寛太の爪が赤黒く汚れてました」
「何それ?」
由衣が首を傾げ、大樹は康太に顔を向けた。
「侵入者を引っ掻いたかも知れません」
「でも、寛太の爪、大樹の部屋で切っちゃったじゃん」
「掃除してないので、まだ落ちている可能性が高いです」
「よし! DNAが検出できるかも。鑑識を入れていいだろ?」
「はい」
「ちょっと待っててくれ」
弾けるような声を上げて出口に向かう康太に、由衣が声を掛けた。
「お兄ちゃん、アレ忘れないでよ」
手をかざす康太の後ろ姿を見届けた由衣は、大樹を睨んだ。
「呆れた! 十日間も掃除してなかったのね」
「はい」
「”はい”じゃないでしょ」
「すみません。ウソです」
「はあ?」
「引っ越してから一度も掃除してません」
「はあぁぁぁー」
由衣は長いため息を吐いた。
大樹の部屋の床から拾得した猫の爪から、付着していた皮膚片と血液が採取された。DNA検査した結果、亀田のものと一致した。
県警は逮捕状を取り、自宅アパート前で帰宅した亀田を逮捕した。
証拠を突き付けられ、亀田は佐藤家への侵入と現金三百万円を盗んだことを認めた。
しかし、佐藤氏の死亡について、亀田は関わりを一切不定した。
「タンスの引き出しから札束を詰めていたら、猫が近づいてきた。手懐けようと手を出したら引っ掻かれた。騒がれるとまずいので早々に逃げた」
取調べに同席した康太は、取調官が退出後、世間話で亀田の口を軽くさせてから、切り出した。
「ところでピッキングってどれくらいかかるんだ? まあ、俺は新米だから単なる興味さ」
「俺に聞いても参考にならねえぞ。十秒もかかってねえ。普段通り…… あっ!」
「アハハハ、口が滑ったか。で、やっぱり下調べはしたのかい?」
「当り前だろ! 新米刑事さんよ。周囲に防犯カメラはないし、一人住まいの爺さんで身なりもいい。高級車もあったし、結構な額の現金を置いているはず。だからやったんだよ」
康太は感心したように何度も頷く。
「お前はプロ中のプロだなー」
「嘗めんなよ。音を立てずに踏み入り、金のありかも大方わかる。五分前後で仕事を終える。お前らの鑑識と同じような使い捨ての手袋とシューカバーを着けて痕跡は残さない。事実、ここ十年も俺を捕まえられかったろ」
「お前って奴は……」
「今回は指先の感覚を保てる極薄の手袋が仇となったがな。それにしても爺さん、どんだけ溜め込んでたんだか、金庫に八桁はあったろうな。今回は開ける暇がなかった。惜しいことをした」
康太は苦笑するも姿勢を正し、亀田を見据えた。
「今回を最後に足を洗ったらどうだ? まだやり直せるぞ。鍵屋とか」
「そうだな……。ネコのせいで捕まっちまったんだから、俺も焼きが回ったか」
「ところで、ピッキングの傷跡と猫の唸り声、お前の後に誰か侵入した可能性がある」
「前から言ってるだろ。爺さんが死んだのは俺のあとから入ったド素人のせいだ。ドアが開いているのも気づかずにヘタなピッキングして音を立て、傷を残した」
「逃走後、誰か見なかったか?」
「うーん……、かなり離れたところで振り返ったら、人影を見たような気がする」
康太は、亀田を調子に乗らせ、余計なことまで喋らせた。だが、亀田の余罪追及に利用するつもりは毛頭ない。窃盗事件の支援は康太の職務ではない。ただ一点、確証を得たかった。亀田の逃走後、佐藤家に侵入した者の存在である。
翌日、大学の帰り道。
「容疑者が自供したってさ。大樹のおかげね」
「寛太の功績です」
「でもさ、米田さん達が来たとき、なぜ気づかなかったの? 玄関の映像再生してたんでしょ」
「招き猫の残像を見る前に、由衣のお母さんが来ました」
「なんだー! オカンが邪魔したんだ」
「お母さんのチーズケーキ、とっても美味しかったです」
「まあ、悪くないからね。オカン、すっごく喜ぶから伝えとく」
そう言いながら由衣は、大樹へ顔を向ける。
(え……、また同じ目をしている。どこか遠くを見る目)




