三猿 その2 狸の溜め糞
週末の土曜日、今日は、埼玉県立医療大学の学園祭だった。
由衣と大樹は、上田美穂と橋田和也が所属する”神楽舞サークル”の公演を観覧した。舞の創作、途絶えた舞の復活など、折につけ神社に奉納するのがサークルの主な活動である。
その後二人は、特に目的もなく学内をブラブラしていた。
「和也、美穂に無理やり引き込まれたわりに様になってたわね」
「はい、”タヌキ舞”、初めて観ました」
「清らかな美穂の巫女。ひょうきんな和也のタヌキ。めちゃよかった」
「そうですね。……由衣はサークルに誘われなかったの?」
「断ったわよ。あたしがやったら目立ち過ぎちゃうでしょ」
「えーと……」
大樹がどう答えてよいか迷っているうちに、由衣がふいに声を弾ませた。
「あっ! アルコールパッチテストやってる。大樹、やってみなよ」
「由衣は?」
「前やって陰性だった。オトンもオカンもオニイ達も、みんなザルだし」
結果は、大樹も陰性だった。
「よかった! これで酔いつぶれて寝ちゃう心配はないわね。……あっ、それ以外で寝ちゃうかー」
「その可能性は高いです」
「まっ、いっか。オトン、喜ぶし」
「あと四百六十九日、待つ必要があります。由衣は四百四十九日です」
「ねえ、なんでそういう言い方するの? 一年と三か月半でいいじゃない」
「ごめん」
「だから、謝ることじゃないってば」
翌日、由衣と大樹は、車で迎えに来た青山刑事と一緒に大宮警察署に向かい、康太と米田刑事が待つ一室に通された。
二人が席に着くなり、康太が由衣を見据えた。
「お前のフェイク動画を牧本氏に送ったアイラの件だが、アカウントは削除ずみだった。牧本のスマホは見つからん、持ち去られた可能性が高い。牧本の携帯番号から通信履歴の一部は復元できたが、IPは海外のVPN経由。追跡は断念した」
「要するに捕まえられないってことでしょ。じゃあ、今さら何を聞きたいのよ。あたし達だって暇じゃないんだから」
イラついた顔を見せる由衣に、青山刑事が慌てて頭を下げた。
「いえ、その……実は……」
言葉に詰まる青山刑事。捜査が難航しており、大樹に突破口を期待しているようだ。だが、刑事が一般人にあからさまに頼めるわけがない。散々助けられたとはいえ、一片のプライドは残っていた。
「事件の概要を教えてください」
大樹は、半ば当然の様に助け舟を出す。
興味本位なのは分かっており、由衣は軽く舌打ちした。
米田刑事が笑みを浮かべ、青山刑事がほっとした顔を見せて語り出す。
「では、最初の事件ですが、被害者は川谷博之・五十二歳・さいたま市立大宮西中学校教頭・さいたま市北区在住です。遺体は、大宮区大成町、鴻沼川仁妙橋付近で発見されました。死因は鈍器での二度の前頭部殴打による硬膜外血種、両眼をえぐり取られていました」
「はい、次の事件もお願いします」
「五日後、第二の事件が発生しました。被害者は、細川彰人・三十五歳・配電設備製造販売会社社員・さいたま市浦和区在住です。遺体は、さいたま市緑区、氷川女体神社近くの見沼用水路川縁で発見されました。死因は、やはり鈍器による頭頂部、続いて後頭部殴打による脳挫傷、舌が切り取られていました」
「はい、よく分かりました」
「三人目の牧本氏は……」
「彼はいいです。二人の評判や人となりを教えてください」
大樹の声は相変わらず単調である。
今度は米田刑事が応じた。
「川谷氏はこの四月に教頭になった。教員及び生徒の評判は至って真面目、黙々と仕事をこなすタイプ。生徒の中には授業がつまらないと言う者もいる。細川氏は、仕入れ担当の係長。口達者でそつが無く上司の評価は高く、部下の評判も良い。だが、中には、上ばっかり見て小賢しいと言う者もいる」
「見ざる言わざる聞かざるの三猿ね。牧本は人の話をまったく聞かないクソ野郎でピッタリだけど、他の二人はよくいるタイプですね」
由衣が口を出すと、康太は苦笑した。
「クッ! 無くなった人にクソ野郎とは、いくら嫌な目にあったとはいえ言い過ぎだぞ。まあ、人それぞれ隠れた顔があるもんだ。今は何とも言えん。ともかく準備万端整えた計画的犯行だろう」
青山刑事は何度も頷き、得意げに語った。
「そうですね。指紋、毛髪、皮膚片、体毛、下足痕、繊維片など、何れの現場でも採取できませんでした。フード、マスク、ナイロン製の手袋や作業服、シューカバーなどを身に着け、犯行時間を出来るだけ短くしたと思われ、プロの犯行のように見えます」
「三人に共通する人物を洗っているが、一向に浮かび上がらん。はあー……、やっかいな事件ですな」
米田刑事がため息交じりに洩らし、場が事情聴取というより、捜査会議のようになった。
大樹が由衣をチラ見し、口を開いた。
「三件の殺害現場を見たいです」
「はあぁぁー」
由衣は、ため息を吐いて顔を覆った。
(またか……。止めても止まらないし、着いて行くしかない)
米田刑事の表情が一気に緩む。
「おっ! 我らがヒー」
由衣が鷹の様な眼差しを向け、青山刑事が即座に声を上げた。
「班長!」
三件目の事件現場は東武線岩槻駅から徒歩十五、六分程の牧本氏の一戸建て自宅の玄関先だった。周辺は広い庭と屋敷森を備えた農家と畑が広がり、間に比較的新しい住居が点在していた。
朝の九時過ぎ、近所の住民が訪ねた際、玄関先に倒れている牧本氏を発見した。
両親は既に他界、姉は結婚後、神奈川県厚木市に転居。未婚で他に兄弟は無く、牧本氏は一人暮らしだった。牧本家は農家だったが、本人は農業を継がず、両親の死後、田畑を売却していた。
現場検証と司法解剖の結果、牧本氏は玄関の鍵を開けている最中に背後から鈍器で頭頂部を一撃され、昏倒。後頚部強打による頸椎損傷により、死亡したと見られた。その後両耳が切除されていた。死亡推定時刻は、由衣と大樹に接触した当日の二十三時から翌一時である。
家屋に侵入の形跡はなく、財布、免許証は所持していたが、携帯は見当たらず、犯人が持ち去った可能性が高かった。
「もういいです」
五分程、敷地を歩き回った大樹が、米田刑事に伝えた。
事件から一週間経過しており、新たな痕跡の発見は、ほとんど期待できない状況だった。
「さすがに福光さんでも、今回は難しかったようですね」
青山刑事が洩らし、米田刑事も頷く。
「そのようだな。やはり初動で連れてくるべきだったか」
「それはダメです!」
由衣が身震いするような険しい視線を向けた。
一同を前にし、大樹が唐突に声を張り上げた。
「”タヌキのタメグソ”がありました!」
「何それぇぇぇー!」
由衣の声が一オクターブ跳ね上がった。
「タヌキはウンコを……ん!」
由衣が、素早く口を塞ぐと、康太が一喝した。
「由衣! いいから話を続けさせろっ!」
「もうっ! 分かったわよっ!」
由衣は渋々手を放し、再び大樹の声が放たれる。
「フウゥ……。タヌキはウンコを決まった所にします。これを”タヌキのタメグソ”と言って主に縄張りを主張する行為です」
「おれ、踏んでねえよな?」
米田刑事は片足を上げ、前のめりになって靴底を覗き込んだ。
一同が苦笑する中、大樹だけは靴底へ目を光らせ、すぐに顔を上げた。
「庭にはイチョウの木があって、ギンナンがたくさん落ちていました。タヌキの大好物です。東側の路地に面した垣根の近くにタメグソがあって、悪臭を放っていました」
米田刑事が大きく頷く。
「ギンナン自体クセ―のに、ましてクソかい。強烈だろな」
「そうですね。……垣根は人一人が通れるほどの隙間があり、タメグソの一端がつぶれていました。事件後、規制線が張られて人の立ち入りはなく、おそらくタヌキも逃げた。犯人はそこから出入りし、タメグソを踏んだと思われます」
康太が大きく頷く。
「なるほど! 犯人がシューカバーを使用していたら、悪臭に耐え切れず、遺棄した可能性があるな」
青山刑事が嬉々とした声を上げた。
「シューカバーが見つかれば、内側から汗、体毛、皮脂、外側から指紋も期待できます。メーカーも特定もできる! 班長、警察犬を」
「おーっ! 急ぎ手配する」
携帯を切り、米田刑事は、大樹に笑顔を向けた。
「で、福光さん、タメグソとやらはどこにあるんだい?」
「こちらです」
一同が移動する中、一人、取り残された由衣は、腕を組んでぶーたれた。
「まったく付き合ってらんなーい」
一行は家屋の東側に回った。
「あそこです」
大樹が数メートル先を指し示した。
皆、視認して頷くが、米田刑事だけは違った。
「よくわからん」
足元まで近づいて覗き込むや否や、けたたましい声を上げる。
「くっせえぇぇぇー」
やがて、警察犬係の滝口巡査と警察犬を乗せたワゴン車が到着した。
”溜め糞”を嗅がせようと近づかせた途端、警察犬は、「キゃン」と短く鳴いて後ずさりし、由衣の元へと逃げてきた。多種多様な異臭に慣れているとはいえ、本能的に危険と察知したようだ。
由衣は、警察犬の首回りを撫でながら、リードに引っ張られて傍に来た滝口巡査に尋ねた。
「この子は何という名前ですか?」
「レオです」
由衣はレオの頭を撫で回す。
「お仕事とはいえ、あんなもの嗅がされてー。レオちゃん、かわいそう」
大樹が長い棒切れを持って来て、由衣に差し出した。
「これなら大丈夫だと思います」
「何それ?」
「タメグソをほんのチョコッとつつきました」
「キャッ!」
大樹は滝口巡査に棒切れを手渡す。
棒切れを嗅いだレオは、牧本家から八十メートルほど離れた市道まで追跡し、側溝の排水溝に鼻を近付け、滝口巡査を見上げて「ワン」と一回吠えた。
直ちに側溝のカバーが外され、シューカバーが発見された。ここ一週間、雨が降らなかったことが幸いした。
満面の笑みを浮かべる康太、米田刑事ら捜査員の横にボーッと立つ大樹。
由衣は軽く睨む。
「手、よく洗いなさいね。靴底も確認して」
「タメグソには細心の注意を払いました」
「気持ちの問題よ」
「そういうもんですか……」
不思議そうに首を傾げ、遠くを眺める大樹。由衣は肩を落とす。
(また見つけやがった……)




