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見える僕と理解する君  作者: 芳里 匡喬


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ラーメン屋 その5 カラスの贈り物

「クスッ! 先生、早過ぎです」

由衣は、思わず吹き出してしまった。 

名和健志郎のラーメン丼(どんぶり)は、湯気の名残だけを残して空だった。わずか三分である。麺が喉を通る余韻すら、彼にとっては一瞬の出来事に過ぎなかったらしい。

隣のテーブルでラーメンを啜(すす)っていた天池蒼真も、口を押えて破顔した。


「いや、一口、汁を含んだら止まらなくてねえ」

健志郎は悪びれもせず、どこか少年めいた笑みを浮かべた。

「先生、こんなもので、ほんとにいいのですか? あたし、心苦しいです」

そう言いながらも、友美の手は止まらない。ギョーザ、から揚げ、レバニラ炒め、そして瓶ビールとコップが、次々と健志郎の前に整然と並べられていく。養子縁組解消の手続きを「食事一回でいい」と言われれ、彼女なりの精一杯の礼だった。


「じゃあ、あと一回ごちそうしてくれる?」

「そうおっしゃらずに、生涯無料パスとか?」

「それじゃ申し訳ない。二回で」

きっぱりと線を引く健志郎に、蒼真が笑顔を向けた。

「先生、友美さんの気持ちもくんで……」

「八回では?」

すかさず友美が重ねると、由衣が間髪入れずに割り込んだ。

「先生、これで決まりですね」

柔らかい声なのに、有無を言わせない響きがある。場をまとめる手際の良さは、年齢以上の落ち着きを感じさせた。


「ところで友美、話があるの」

「なに?」

わざとらしく声を潜める。

「男の人の前では言いにくいこと」

「じゃあ、二階で」

友美は即座に応じ、くるりと振り返り、明るい声を出す。

「お客様、御用のときは、テーブルの呼び出しボタンを押してください」

仕事の顔に戻ったその一瞬が、彼女の芯の強さを覗かせる。程なく二人は階段を上がっていった。




二人の気配が完全に消えるのを待っていたかのように、大樹は蒼真に話し掛けた。

「天池さんはカラスにとっても好かれているんですね」

「ん! そうかなー?」

蒼真は首を捻った。

「この前、店の前で十二羽のカラスが、天池さんの周りに光るものを落として飛び去りました。あれはプレゼントだと思います。腕のキラキラ光る腕時計をカラスも目にしたのかと」


蒼真は反射的に、自分の腕時計へ視線を落とした。 

「なぜ僕に、カラスがプレゼントするんだい?」

「仲間が殺されるなど危害を加えた人物に対し、カラスはフンをかけて報復していました。言わばカラスの仇敵を、天池さんが退治してくれたからです」

蒼真がスッと小さく息を飲んだ。

「最初のプレゼントは手羽先の炙り焼きでした。大和田公園の事件現場で警察が回収しました」

「で、でも、手羽先と光るものは、同じ仲間のカラスが落としたとは言えないだろ」

蒼真の声は上擦り、明らかに動揺を隠せない。


「手羽先、遺体に付いたフンの一つ、光るプレゼントの一つ、それぞれから検出したカラスのDNAは一致しています」

逃げ道を、順番に塞ぐような言い方である。

「し、しかし、手羽先といっても生ゴミだ。プレゼントではなく、フンと同様、報復とも考えられる」

「人にとっては生ゴミでも、カラスにとってはご馳走です」

大樹はわずかに首を傾げた。無邪気にも見える仕草が、かえって冷徹な論理を際立たせる。

「手羽先には、肉がたくさん残ってました。カラスは普通そんなことしません。どう考えてもプレゼントです」

蒼真はしばらく俯いたまま、動かなかった。やがて、フイッと顔を上げる。そこには先ほどまでの取り繕いはなかった。さっぱりとした覚悟を決めた者の表情である。 

「バレちまったか! でも、後悔してない。元より覚悟はできている」

その言葉は、開き直りというより、待ち望んでいた終着点に辿り着いた者の響きを帯びていた。




隣のテーブルで食事をしていた米田刑事と青山刑事が席を立ち、蒼真の傍に立った。さらに二人の刑事が背後に回り込み、動線を塞いだ。

引き戸が開く乾いた音が大きく響き、康太と、もう一人の刑事が店内に入ってくる。


青山刑事が一歩前に出た。

「天地蒼真さん、相田慎一殺害事件につき、聴取のためご同行願います」

蒼真は、すくっと立ち上がる。米田刑事と青山刑事が両脇を固め、そのまま出入口へと向かった。


後ろから健志郎が呼びかけた。

「天池さん、よろしければ弁護を引き受けますよ」

蒼真は僅かに顎を引いたそのとき、階段を駆け下りる足音が響く。

由衣から事情を聞き、階下の騒ぎを聞きつけた友美が、叫び声を上げた。

「蒼真さん! あたし、まっ……」

蒼真は素早く振り返り、友美の言葉を遮った。

「待っているなんて口にするじゃない! 僕達はこれっきりだ」

友美は、膝から力が抜け、その場に崩れ落ちる。嗚咽(おえつ)が、押し殺そうとしても漏れ出す。

由衣がすぐに駆け寄り、身体をしっかりと抱きかかえた。

厨房から出て来た友美の父・敬一は、口をあんぐりと開けて立ち尽くす。 




カラスは、危害を加えられた記憶、エサを貰った、救われたなどの恩義も、仲間内で共有する。個体の体験は群れの知識となり、行動となって現れる。報復か、あるいは御礼として。

先日、大樹は、大宮署で相田慎一と天地蒼真に対するカラスが取った行動を説明した。


大樹が拾ったカラスの蒼真へのプレゼント、相田の服についていたカラスのフン、事件現場で回収した手羽先。それらに対し、DNA検査が実施された。結果、同一個体、または群れに属する近縁のカラスにものだった。


捜査は一気に収束へと舵を切る。

蒼真が決まって店を訪れる土曜日の午後、彼の確保が決まった。店内に米田刑事と青山刑事ら四名が客を装って配置された。

さらに、その日、友美から招待を受けていた名和弁護士も、蒼真の隣のテーブルに着いた。

青山刑事のバックに仕込まれた小型カメラで、店内が監視され、万一の事態に備え、SITが突入する体制が取られた。




蒼真は素直に相田慎一殺害容疑を認めた。

蒼真は、慎一が水商売の女の家に潜んでいることを、知っていた。

慎一は大学生のとき、ホステスだった六つ年上のこの女と知り合い、関係を持った。実家に戻ったのを機に、再び関係が始まった。女は小さなバーを経営していた。

当日、女が出勤後の午後四時頃、蒼真は、近くの大和田公園に慎一を連れ出した。慎一は通報を恐れて従わざるを得ない。人目のない森の奥まで歩かせ、懐に収まる小ぶりな木刀で頭を強く打って殺害した。


淡々と語られる一連の流れに、芝居がかったところはない。だが、動機だけが空白として残る。

彼女の母親を殺害したとはいえ、交際は始まったばかり。母親とは顔見知り程度。殺意に至るには、あまりのも遠い。また、潜伏先をどうやって知ったか。それらを追及しても、蒼真は固く口を閉ざした。


群馬県の二つの障害事件についても、蒼真は、群馬県警の取調官に関与を認めた。

宇田川一輝に対する障害事件の動機は、猫の虐待だった。

蒼真がご飯をあげて可愛がっていた猫と、他二匹の無残な死骸が見つかった。当時、宇田川少年の仕業との噂が立っていた。

蒼真は、夜中に棒を持ってうろついている宇田川少年を尾行し、子猫に襲い掛かろうしたところを、背後から肩を打ち据えた。


また、森村和彦に対する障害事件の動機は、児童虐待だった。

森村には当時十一歳の娘と九歳の息子がいた。蒼真は姉弟と親しく、ときにラーメンなどを奢っていた。

養護施設から両親の元に戻されたその日、二人は再び暴力を受けたと、涙ながらに蒼真へ訴えた。”助けてほしい”、その言葉は、子供特有の誇張ではなく、命に係わる問題として彼に届いた。

その夜、森村の借家から怒声と泣き声が聞こえた。その後、酒を買いに出てきた森村を尾行し、背後に忍び寄り、肩を打ち据えた。




一週間後、大樹の自宅アパートで、天池蒼真の弁護を引き受けた名和健志郎が、由衣と大樹に口外無用と念を押し、蒼真に関する事実関係を語った。


相田慎一の殺害について、天池蒼真には強い動機があった。

十年前の冬、笹川優香(ささがわゆうか)・当時十八歳・さいたま市大宮区在住・簿記学校学生が、大和田公園で後頭部を縁石に載せた状態で倒れているところを発見された。救急搬送されたが、間もなく死亡。死因は急性硬膜外血種だった。

警察は、物証を押さえられず、事件性不明で処理した。


優香が十三歳、蒼真が六歳のとき、二人は、ひょんなきっかけで知り合う。

優香が帰宅途中、側溝から聞こえてくる子猫の泣き声に気づく。助けようと、蓋が外れた所から手を伸ばすが届かない。そこへ、蒼真が通りかかる。ためらうことなく側溝に潜り込んで助けた。優香は、泥まみれになった蒼真と子猫を家に連れて帰り、浴室で洗った。

以来二人は、日中は両親と姉兄がいない笹川家で、しばしば仲の良い姉弟のように過ごした。助けた猫と遊び、一緒にビデオゲームに興じ、くだらないことで笑い合うーーそんな日常だった。


蒼真は、優香から、ラーメン屋の息子・慎一にストーキングされたと聞いていた。

大学を卒業した慎一は、逃げるように地元を離れ、関西の会社に就職した。

十年の時を経ても、無念は晴れるどころか深まる。慎一が実家に戻ると、蒼真は、尾行して追及する機会を伺った。そして、水商売の女の家に出入りしていることを突き止めた。




興味津々の様子で話を聞き入っていた由衣は、得心して何度も頷いた。

「その事件、お覚えてます。彼は先生を信頼して話してくれたのですね?」

健志郎は僅かな笑みを浮かべる。

「警察や検事に話す前でよかった」

「蒼真さんは、慎一に自白させたのですか?」

「ああ、録音していた」

健志郎は、蒼真がある場所に隠していたボイスレコーダーを再生した。

ノイズ混じりの音声が流れる。

(朝早く散歩に出た彼女をストーキングした。気づかれて言い争いになった。頭にきて突き飛ばしたら、倒れて縁石に頭をぶつけて動かなくなった。怖くなって逃げた)


健志郎がレコーダーを切ると、由衣はつかの間、呆然と口を開けた。

「凄い! きっと裁判で役に立ちますね。彼の気持は理解できます」

「もともと蒼真君は、殺害する意図はなく、録音は警察に提出するつもりだったらしい」

「なのに、どうして?」

「慎一が最後に放った言葉で頭が真っ白になり、気がついたら頭が潰れた慎一が倒れていたとのこと」

再び、再生ボタンが押される。

(ブスのくせに俺を拒否した彼女も悪い……)

空気が凍りついた。

「何これ! ひど過ぎ!」

「彼に精神科医の診断を受けるように説得しているが、頑として拒絶している」


大樹の口元が何か言いたそうに動いたとき、由衣の携帯が鳴った

「えーっ! ほんとにぃぃぃー?」

由衣が、部屋の空気に全くそぐわない素っ頓狂な声を上げた。

しばし話してから、通話を切った。

「友美が新しい彼氏ができたって」

呆れたような顔を見せるも、どこか安堵が混じていた。

「料理学校で一緒だった人が、店を手伝いたいって押しかけて来たんだって。明日、紹介がてらラーメンとか、ご馳走するから来ないかってさ」


大樹にしては珍しいことに、したり顔でのたまう。

「女子はそんなもので、切り替えが早いです。男は長いこと引きずるけど」

言い終えるや否や、由衣がオデコを小突く。

「女の子の気持がまったくわからねー天然小僧が、利いた風な口をきくな!」

健志郎が派手に吹き出した。

「ブハハハハ、手厳しいなー! 由衣さんの言うこともわかるけど、長い目で見てやってください」

口を尖らせている大樹をチラリと見て、由衣に頭を下げた。




健志郎が辞した後、由衣は気になっていたことを口に出した。

「ねえ大樹、あたしに何か隠してることない?」

大樹の目が泳ぐ。

「べべ、別に」

「ウソついたって、すぐ分かるんだから」

「ここ、根拠は?」

「この前の”この男はいなかった。……岩崎の後ろにいた人達の中に”って何?」

大樹は、ホッとした顔を見せる。

「そういうことですか。……前から誰かに見られているような気がして」

「気にしすぎよ。救命措置してたんだから、注目されるのは当然。オシッコ野郎のターゲットは、あたし。考えたくないけど」

「そうですね」


由衣は考え込んだ。

(あっさり認めた。……じゃあ、さっきの狼狽はこれじゃない)

由衣は、自分の胸にいっとき目を落とし、大樹を見据えた。

「大樹、分かってるんだからね!」

大樹がまた目を泳がせ、由衣は「プッ」と吹き出した。

由衣は気づいていた。前かがみになると大樹の視線は、十中八九胸元へ向く。

(もっとアプローチして欲しい。まだ無理か。……いつになるやら)


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