ラーメン屋 その4 手羽先の炙り焼き
土曜の午後、部屋の空気は、時間が止まったように淀んでいた。
大樹は、腕を組んでボーっと天井を眺めている。頬を、由衣が軽くつついた。
「奴の死体、酷い状態だったそうね。大樹、もう関わっちゃダメ」
だがそのとき、間の悪いことに呼び鈴が鳴った。
「米田さん達が来ました」
既に承知していたのか、大樹が声を上げた。
由衣は小さく舌打ちし、親指を人さし指に添えて捻る。
「イテテテテ」
「もうっ! 言った傍から」
大樹は口を尖らせる。
「だって朝、電話してきたんだもん」
子供のような仕草と言いよう。由衣はため息を吐く。
(この子、いったい何なの?)
そして自嘲した。
(つい、”この子”って……)
大樹がドアを開けると、米田刑事の笑顔と青山刑事の畏まった顔が覗いた。
「いやーっ! またまた、お世話になります」
「お休み中、お時間をいただき、ありがとうございます」
大樹の後ろから由衣が二人を軽く睨んだ。
「先日は、我々は別の事件がありまして、行けなくて申し訳ない」
席に着いた米田刑事が頭を下げると、由衣は軽く笑み見せる。
「刑事さんからは、必要最小限ことしか聞かれませんでしたよ。無駄話ばかりのお二人と違って」
刺すような嫌味を放つが、笑顔は崩さない。
「それは、口を軽くさせて証言を引き出すための手練手管なんですなー。ワハハハハ」
「それ、あたしに通用するって思ってるんですか?」
例の如く、二人の掛け合いが始まり、青山刑事が割って入る。
「高見沢さん、すいません」
そして米田刑事に強い目線を送った
「班長、それが無駄話です」
青山刑事が持っていたポリ袋をテーブルに置いた。中には、脂の焦げた跡が残る何かの骨。
「これが事件現場近くに落ちていました。手羽先の炙り焼きです。事件に関係するものかどうか不明です。指紋は出ませんでしたが、DNA検査をしました。相田のものではなく、誰のものか分かりません」
大樹が身を乗り出して興味津々に眺めていると、由衣が口を出した。
「大樹の意見を聞きたいってこと?」
「はい、お兄さんとご相談しまして」
「あいつ、ちょっと出かけると言った切り三日も帰ってない。何してんの?」
「それは言えません」
「どうせ事件のこと調べているんでしょ」
青山刑事は口を閉ざし、米田刑事が笑い声を上げた。
「ワハハハハ、まあ、そんなところです。で、福光さん、どうですか?」
「ここに肉が残っていて、くちばしでつついた痕、爪で引っかいた痕。これは、生ごみゴミをあさったカラスが落としたものだと思います」
米田刑事と青山刑事は顔を見合わせる。そして、揃って小さくため息を吐いた。
「なるほどねー」
「やはり事件とは無関係……」
その言葉を遮るように、大樹が続ける。
「遺体に、鳥のフンはかかっていませんでしたか?」
青山刑事は驚いた顔を見せた。
「確かに頭や服に白いフンがありました」
「それはカラスのフンだと思います。念のため採取しておいた方がよいです」
「カラスのフンなんぞ、どうすんじゃい!」
米田刑事が思わず声を荒げ、青山刑事がすぐに取りなした。
「まあまあ班長、ここは福光さんのおっしゃる通りに」
由衣は、ふと横の大樹に目をやった。
大樹は、なおも骨を見つめ、「肉が多い」とポツリと洩らす。
由衣は軽くため息を吐いた。
(この顔、嫌な予感がする)
淡い黄色のマツムシソウの花が生けられ、重く淀んだ空気は霧消し、爽やかな微風が漂う。
窓辺に花瓶を置いた友美の顔も、花束のように綻んだ。
後ろから穏やかな声がかかった。
「大変だったねー。でも、明日からお店、再開するって聞いてとっても嬉しい」
天池蒼真は、いつもの落ち着きを崩さない。
「彼のことは旧姓の相田で報道されたし、ご近所は血縁はないって知ってるし。変な風評は広がらないよ」
「ご心配かけました。これ、とってもキレイです。ありがとうございます」
花を見つめていた友美は、振り向いて深く頭を下げた。
その様子を横目に、スマホをいじっていた由衣がフイッと顔を上げた。
「へーっ! 黄色のマツムシソウの花言葉って”再起”だって! ピッタシじゃん」
「えっ!」
友美の目が大きく見開かれ、すぐに目が潤む。
「蒼真さん、ご存じだったのですね。すごく嬉しいです」
「大樹も見習わなくちゃね」
由衣が軽く肘でつつき、大樹は首を傾げた。
「僕も花にしようって言った。由衣はホールケーキみんなで食べようって」
「まあ、よかったじゃん。重ならなくって」
「でも、ラーメンの後にケーキは無理って言ったら、別腹って……イテテテ」
由衣は大樹の頬をつねった。
「しつこい!」
蒼真が苦笑し、友美は涙を拭きながら笑った。張り詰めていたものが、少しずつほどけていく。
慎一の遺体発見から一週間。よちよち歩きの頃から、前妻の病死後も、自分の子同然に育てた。その慎一が妻を殺害したという。啓蔵は、間違いであって欲しいと一縷の望みを賭けていた。そこへこの一報、彼の絶望は察するに余りある。
友美は、落ち込んでいる父を叱咤し、どうにかやる気を出させ、明日、再開にこぎつけた。ここ十年間封印していた、手間のかかる絶品チャーシューを復活させることで、”元に戻る”ではなく”取り戻す”、覚悟を示した。今日は、その試食だった。
満腹になった三人が店を出ると、夕暮れが街を薄橙色に染めていた。
そのとき、店先の電線にとまっていた十数羽のカラスが一斉に羽ばたいた。黒い影が渦を巻き、蒼真の周りにパラパラと何かが降り注ぐ。ビール瓶のキャップ、木ネジ、ビー玉、プラの破片、缶のフタなどが散らばり、カラス達は飛び去った。
蒼真は首を捻る。
「何のつもりだろうね?」
夕日を浴び、光り輝くカラスの置き土産を目にして、大樹は「ハッ」と息を飲む。
蒼真が軽く手を振って立ち去る。
その背中を見送った直後、大樹は店に戻り、カウンターにいた友美に声を掛けた。
「未使用のポリ袋と割り箸をください」
「え? う、うん……」
友美は、戸惑いながら差し出した。
大樹は無言で受け取り、再び外へ出た。置き土産を一つ一つ割り箸でつまんでポリ袋に入れる。
「ねえ、大樹君、何であんなもの拾ってんの?」
友美が半ば呆れ、半ば心配そうに尋ねた。
「わかんない。まあ、いつものこと」
由衣は肩をすくめた。
アパートに帰った途端、由衣は大樹のベッドに倒れ込んだ。
「お腹が苦しいー」
「だから言ったのに。スープを一滴残らず飲み干してしまうラーメンの後にケーキなんて」
大樹は靴を脱ぎながら、淡々と言った。
由衣はむくりと起き上がり、わざとらしく話題を変えた。
「蒼真さんてさ、気がきくし、やさしいし、大人だし、友美、とっても喜んでた」
何気に大樹に顔を向ける。
「大樹も、ああいうの見習えば? 爪の垢でも煎じて飲むとか?」
「……」
沈んだ顔になった大樹を目にして由衣は慌てて謝った。
「ごめん。大樹は、その……ちゃんと大人だし。もう少し気を配るようにすればさ」
「そういうことじゃないんです」
「は?」
由衣の脳裏にふと嫌な考えが浮かんだ。
(……そんなはずない)
「えぇぇーっ! あたし、絶対信じないから!」
翌朝、大宮警察署の一室、由衣がヒステリックに喚く
隠そうともしない反応に、康太はゆっくりと二度頷いた。
「お前の信じたくない気持ちはよくわかる。だがな、彼の周りで障害事件が二件あった。一つは二年前に草津温泉、もう一つは一年前に伊香保温泉、どちらも被害者は深夜に襲われ、右の肩甲骨が破壊された。相田慎一の事件では、頭頂骨が粉砕されていた。おそらく三件とも凶器は木刀、天池は剣道三段だ」
「証拠はないんでしょ?」
「あればとっくに逮捕している。群馬県警は何度か彼に事情聴取をしている。だが本人は、正々堂々と関与を否定したそうだ。若いのに肝が据わっている、と。捜査員の多くは彼ではないとの意見だ」
「じゃあ、お兄ちゃんの勘違いじゃん」
「だと、いいんだがな……。大樹君、天池さんに対し、何か気になることはないかい?」
康太は短く息を吐き、大樹へ視線を向ける。
大樹は、すぐには答えなかった。
「はい、その前に聞かせてください。被害者はどういう人達ですか?」
「草津温泉の方は、被害者は宇田川一輝、当時十七歳の高校生。その頃、三ヶ所で酷く損壊した猫の死骸が見つかった。彼は、中学生のとき動物虐待で補導歴があった。事情聴取する直前だった」
「はい」
大樹は小さく頷く。
「伊香保温泉の方は、被害者は森村和彦、当時四十三歳、タクシー運転手。施工管理技士だった二年前、妻と娘と息子に対する暴行障害容疑で逮捕されている。だが、妻は夫の暴行を認めず、子供たちは施設に預けられ、不起訴になった」
大樹が何度も頷いたところで、米田刑事と青山刑事が入って来た。
「これは、これは、我らがヒー……」
「班長!」
由衣が米田刑事を睨みつけ、青山刑事が慌てて遮った。
苦笑しながら見ていた康太が、大樹に顔を向けた。
「大樹君、それで」
「今は確信を持てないので、これから申し上げることをご承知いただければ、はっきりすると思います」
直後にドアのノックオンが聞こえた。
「どうぞ」
康太が短く応じると、ドアが開き、女性事務員が一礼した。
「弁護士の名和先生をお連れしました」




