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見える僕と理解する君  作者: 芳里 匡喬


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33/42

ラーメン屋 その1 醤油ラーメン

大学の後期が始まった最初の土曜日、暑さは和らぎ心地よい秋風が立つ。

由衣は昼食を軽く済ませ、頃合いを見て大樹をラーメン店へ連れて行った。


「いただきます」

声が重なり、動きも重なる。レンゲが揃って持ち上がり、揃って口へ運ばれる。

「おいしいー!」

寸分違わぬ反応に、由衣と大樹は顔を見合わせて笑い合った。

「やったー!」

その横で、宮川友美(みやがわともみ)が弾けるように飛び跳ね、手を叩いた。


友美は由衣の小・中学校のときの同級生だ。今も気の置けない関係で、買い物などふらりと誘い合うことが多々ある。

友美の両親はラーメン店を経営している。商店街から離れていて立地は良くないが、醤油ラーメンが美味しいとの評判で、そこそこ繁盛していた。


そこへ突然の不幸が訪れた。

二週間前、友美の母親が階段から転落して頭を強打して亡くなった。

店を切り盛りしていた妻が突然いなくなり、友美の父・啓蔵(けいぞう)の落ち込み様は酷く、廃業さえ考えた。

それを引き止めたのが友美だった。

友美は、料理学校を辞め、自分が母の後を継ぐと宣言した。




再開初日、客足が遠のく午後三時、客は由衣と大樹の二人だけだ。

由衣はレンゲを置き、友美に問いかける。

「さっき、あんなに喜んでさ。スープ、友美が作ったの?」

「違う違う。仕込み手伝ったけど、いつもの通りお父さん」

「じゃあ、何でさっきあんなに喜んだの?」

一瞬、友美の表情が曇る。

「それは、……あとで、ね」

目が厨房から店の奥へと回った。


視線の先の引き戸が荒々しく開け放たれ、無精ひげの男が姿を現した。

「オヤジ、いつまでそんなまずいラーメン作ってんだ。てっきり店やめるって思ってたのによ!」

場違いなゲスっぽい声が店内にこだました。

友美の血の繋がらない兄、慎一(しんいち)である。

「お兄ちゃん、お客さんの前でなんてこと言うの!」

友美が怒気を含んだ声を上げた。

啓蔵は、聞こえないのか、振りをしているのか、黙々と料理の下準備をしている。


冷えた空気を元に戻すように、由衣が穏やかな声を放つ。

「とっても美味しかった。前と変わらないどころか、むしろ深みが増してる」

大樹も笑みを浮かべて続ける。

「こんなに美味しい醤油ラーメン初めてです。出汁の輪郭がはっきりしてる。醤油の角も取れているし……えっと、数値化できないのがもどかしいけど、とにかく完成度が高いです」

無理に理論づけようとする可笑しな言い草、由衣も友美も表情が和んだ。


打ち壊すように慎一は、露骨にせせら笑う。

「アハハハ! 舌の肥えてねえガキが褒めても意味ねえんだよ」

だが即座に、由衣はやり返す。

「あたしの両親も兄達も美味しいって言ってます。父の友人でホテルオーロラの料理長も、同じ評価だったそうです」

淡々と、逃げ場を与えない言い様に、慎一はイラついた顔を見せた。

「そうかよっ! あそこにいるのがボケねえうちに、せいぜい食っとくんだな」

慎一は厨房の父親を顎でしゃくり、捨て台詞を吐いて出入り口に向かった。

友美は慎一の後ろ姿を睨みつけた。

店を出た途端、「この野郎っ!」と慎一の怒鳴り声が聞こえた。


友美は、二人のもとへ来て頭を下げた。

「お騒がせしてごめんなさい」

由衣は軽く首を振り、代金を渡しながらこっそり言った。

「いいのよ。さっきの“やったー”の理由、なんとなく分かった」

「由衣には隠せないか」

「でも、大丈夫? 今の怒鳴り声は誰に?」

「たぶんカラス」

「カラス?」

「フンかけられた。あいつ、前に石投げて一羽殺してるの。それ以来、着け狙われてるみたい」




慎一は、啓蔵の病死した前妻の連れ子だ。啓蔵が四十九歳のとき、当時三十九歳の友美の母と再婚した。一年後、友美が生まれた。現在、友美の父は六十九歳、慎一は三十一歳、友美は十九歳。友美の母は享年五十九歳だった。


高校卒業後、友美は料理人を目指して料理学校に通っていた。母の死によってその道を断ち、店に立つことを選んだ。今後は厨房と客席を行き来する多忙な毎日を送ることになる。


慎一は大学で応用化学を専攻し、関西の化粧品メーカーに就職した。二十八歳のとき結婚したが、婚姻前から続いていた二股がバレて一年も持たずに離婚。

その後、販売店の仕入れ担当と共謀して水増し請求し、差額を着服していたことが発覚した。会社は外聞を憚って刑事告発を見送り、慎一は解雇された。

実家に戻った慎一は、職を探すでもなく、店を継ぐ気もなく、フラッと家を出て夜遅く帰ったり、帰らなかったり、不規則な毎日を送っていた。




慎一と入れ替わるように、店の引き戸が静かに開いた。

入ってきたのは、スラリとした背の高い若い男。無駄のない立ち居振る舞いと、どこか空気を整えるような落ち着きがあった。


「いらっしゃいませ」

友美の声が、わずかに弾んだ。その変化を由衣は見逃さない。

「お店、再開したんですね。よかったです。……いつもの、お願いします」

男は席に着きながら丁寧に頼み、友美は頭を下げた。

「ありがとうございます。承知しました」

友美は深く一礼し、すぐさま厨房に向き直る。

「醤油ラーメン一丁」

声の張りが、さっきまでとは違っていた。


スープを最後の一滴まで飲み干し、男は、代金をテーブルに置いた。

「美味しかったです」

男は、一言洩らして立ち上がり、つかの間、友美に顔を向けて清々しい笑みをごぼした。

店を出ていく背中を、友美はしばらく見送っていた。




引き戸が閉まり、由衣が口を開く。

「ねえ、今の人、松風(しょうふう)旅館の息子さんでしょ? お母さんのお葬式で見たような気が」

「そうよ。由衣は気にならかったみたいだけど、小・中学校ではカッコ良よくて凄い人気だったじゃん」

友美は照れ隠しのように笑みを浮かべる。

「こっちに帰ってから、週一は店に来てくれる。母の葬儀にも来てくれた」

「好きなんでしょ?」

「まあ、ね」

友美は頬を赤く染めた。何とも分かりやすい。


男は、天池蒼真(あまいけそうま)、二十一歳、隣町で旅館を営む天池家の長男で、群馬県の温泉ホテルで働いていた。この春、父親が軽い脳卒中で倒れたのを機にホテルを辞め、現在は両親と一緒に旅館経営をしている。


「で、きっかけがないのね?」

友美は小さく頷いた。

「だったら作らなきゃ。例えばチャーシュー増量とか、煮卵、サービスするとか」

「え、それ露骨すぎない?」

「いいのいいの。男なんて単純なんだから」

由衣はしたり顔で言い切り、大樹に顔を向けた。

「大樹、男ってそういうの、すっごく嬉しいもんよね? ……ん!」

大樹は、微かに寝息を立てていた。頬杖をついたまま、微動だにしない。

「このガキンチョ!」

由衣が小声で怒鳴るも、ピクリともしない。

友美が吹き出した。

「プッ、カワイイ」

「可愛くない! 今の大事なとこでしょ!」




友美は、由衣の向いに腰を下ろした。

「あいつ……義兄のことなんだけど」

「うん」

由衣はゆっくと頷く。

「父に酷いことばかり言うの。味落ちたとか、ボケただの、そのうち食中毒出すぞ、とか」

「何それ!」

「母がいた頃は、すぐ言い返されるからそんなこと無かった。で、さっきは味落ちてないって確信したから。多分あいつ、店を潰そうとしてる。父をボケさせて、できないまでも本人にそう思わせて。蓄えは多少あるから、アパート建てるとか、なんか魂胆があると思う」

由衣は声を荒げた。

「腹立たしいわねっ! その通りよ。きっと」

「なるほど」

小さな声が漏れる。大樹は、目を開けていた。


由衣が軽く睨む。

「話、聞いてたの?」

「途中から。でも、重要な点だけは拾えたと思う」

「まったく……まっ、いっか」


大樹は友美に顔を向ける。

「お母さんが亡くなったときの状況を、詳しく教えてもらえますか?」

「あたしは、そのときは料理学校に行ってました。母は洗濯物を二階のベランダに干し終え、階段を降るときに踏み外して転落したそうです。父が救急車呼んで病院に運ばれたんだけど、相当強い衝撃だったようで、病院に駆けつけて六時間後に亡くなりました」

友美の目は涙で光っていた。

由衣は隣に移り、背を摩った。

「つらかったわね」

「警察の話では、母は、大きな洗濯籠を抱えてて下が見えなかったのではないかって。でも、母は十年以上、毎日やってて慣れているはず。納得できないんです」


大樹は、早々に次の質問へ移る。

「お兄さんは、そのとき家にいましたか?」

「外出したって父が言ってた。でも、戻ってきたと思う。裏口の鍵、父が掛けたのに、帰ってきたら開いてたって」

「あの……転落した階段とベランダを確認したいです」

「え……今?」

「はい」

「二階はまだ片付いてないし。……その、あたしの下着とか干したままで、今日はちょっと」

「問題ありません」


友美は困惑した表情を浮かべる。

「はあー……」

由衣はため息を吐き、顔を覆った。

「ごめんね。この子、そういうこと理解できないの。天然だし」

「この子って……由衣、大機君のお姉ちゃんみたい」

「あら、つい本音が」

「また言ってるし。同じようなこと」


大樹は首を傾げ、口を尖らせていた。自分が何を外したのか、分かってないのは明らかだ。


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