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見える僕と理解する君  作者: 芳里 匡喬


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夏空 その4 猫の記憶

早朝の大宮公園、ボート乗り場近くの池のほとり、まだ人影はまばらだ。ベンチにボーッと座っている大樹の前に、若い女性が現れた。

二十代半ば、整った顔立ち、細身だが出るべきところは出ている。多くの男性が惹かれるタイプである。

「ねえ」

自然を装った声で、話しかける。大樹は一瞬だけ顔を向け、また視線を戻した。

「はい」


他愛ない世間話が始まる。様々な問いかけに大樹は一言二言返す。やがて 女性は大樹の隣に座り、話題を少しずつ卑猥な方向に振っていった。


「あんた、経験ないでしょ?」

「何の経験ですか?」

「アホか! 分かるでしょ、普通」

「分かりません」

「……ほんとに? アレよアレ」

「アレって何ですか?」

探るような目つきに、大樹は首を傾げる。その表情から本当に分からないようだ。


女性は吹き出した。

「プッ、とんでもないガキだな。じゃあ、教えてあげるから、お姉さんちに来る?」

「遠慮します。寛太を動物病院に連れて行くから。定期健診なので」

「寛太ってネコ?」

「はい」


大樹は、ベンチの下の置いていたキャリーケースを引っ張り出し、女性の隣に置いた。

途端に寛太は、オス猫同士の喧嘩でよく耳にする強烈な唸り声を上げた。

「シャァァーッ、グルルルルル、ウワァァーオォォー」


女性は思わず身を引く。

「なによ! そのネコ!」

「寛太は、あなたを覚えていました」

「は? 知らないわよ、そんなネコ!」

「足先が白いこのネコに見覚えないですか? 寛太は七年前、あなたがエアガンで撃った子ネコです」

「……あ」

「ウゥゥゥウアァァーオォーン」

寛太の敵意むき出し唸り声が響く中、女性の顔から血の気が引き、唇が震えた。


ベンチに盗聴器を仕掛け、後方で見守りながら聞いていた康太、米田刑事、青山刑事が一斉に動く。そして、退路を塞ぐように女を取り囲んだ。

同時に、少し離れたベンチで少女マンガを読んでた由衣が、パタンと本を閉じる。何事もなかったかのような足取りで近づき、大樹の手を引いた。

「ホッとした。何もされなくて」


青山刑事が一歩前に出て、女性に警察手帳を見せた。

「七年前、行方不明になり、先日、ご遺体が見つかった刈谷英真君に関してお話を伺いたく、ご同行願います」




六日前、大樹の意見を聞いた康太は、捜査本部を動かしていた。

「英真君を撃ったのは女性の可能性が高い」


捜査方針が修正される。

捜査本部は、桧山裕也周辺の女性の洗い出しを開始した。

裕也の尾行、友人・知人への聞き込み、防犯カメラの確認、目撃情報の収集と、多くの人員を割いた。しかし、一向に浮かび上がらない。

手詰まりが漂い始めた頃、突破口が現れる。早朝に大宮公園を散歩をする高齢男性から、貴重な目撃情報が得られた。


一週間前、その男性がベンチに座っていると、前方のベンチに座っていた若い女性が、通りかかった少年たちを目で追っていた。遠目でも分かる美少年が通ったとき、立ち上がって後を追ったとのこと。但し、女性の顔は見ていない。


裕也はけっこうな美青年である。康太は囮を使おうと考え、大樹に協力を頼んだ。

だが、由衣は猛反対した。

「その女が無理やりキスしたり、オッパイ押し付けたりしたらどうすんの?」

「寛太を連れていきます」

大樹は平然と言う。

やりたいことに気づき、由衣は渋々承知した。


大樹は確信を持っていた。

猫は、個体差はあるが意外と記憶力に優れている。特に恐怖と苦痛はドラウマになり、長く記憶に残る。

寛太は犯人を覚えている可能性が高い。脳に積み上げられた日頃の寛太の行動を分析した結論だ。中でも丸く真っ白なミント菓子をたった一粒、寛太の目の前でこぼしたときの反応が決定的だった。寛太は飛び上がって一目散に逃げ去った。




女は杉本郁美(すぎもといくみ)・二十五歳・さいたま市見沼区在住・さいたま市立大学教育学部の大学院生だった。郁美は七年前、埼玉県秩父市から進学のため現住所に移った。


郁美は送検され、検察官が録音を流して追究した。

「ネコを証人にするんか? 前代未聞の裁判なるな! アハハハハ」

だが、郁美は、椅子にふんぞり返って爆笑した。


そこで、検察官が桧山祐也に録音を聞かせると、いとも簡単に落ちた。

検察官が、祐也が自白したと告げる。

「あのヘタレ!」

郁美は呟き、刈谷英真君の殺害を認めた。




以下は桧山祐也と杉本郁美の供述を元にした事件の全容である


杉本郁美は美少年に目が無く、日々物色し、見つけると本能的に行動してしまう性向があった。

引っ越し早々、早朝から大宮公園の中をジョギングする少年の目利きをしていた。最初に目を付けたのが、当時高校一年生、桧山裕也だった。


その外見と気さくな言葉遣いから、郁美にとって、思春期の少年を誘惑するのは、たやすいこと。郁美と裕也は出会ったその日に男女の関係になり、郁美のアパートか、昼は祐也以外の誰も居ない桧山家で逢瀬を重ねた。


そんな日々が二月ほど続いた頃、変化が起きた。

桧山家が物置に使っている軒下に、野良猫が子猫三匹を連れて居座った。裕也の母親は、追い出すでもなく保護するでもなく、ほっておいた。そのうち、裕也に世話を任せてピアノ教室で飼うようになった。


そこで、郁美のサディスティックな性格が顔を出した。

郁美は、護身用と称して実家から持ってきたエアガンで、面白半分に猫親子を狙い撃ちした。そのエアガンは銃刀法規制対象の準空気銃に相当した。


元より気の弱い裕也は、キレると恐ろしい郁美の鬼畜な振る舞いに目をつぶった。程なく子猫一匹と反撃した母猫が死亡した。寛太にも流れ弾が当たり、内臓には至らないが大きな裂傷を負う。その後、祐也はネコ親子を裏庭に埋めた。


その凄惨な場面を目撃したのが刈谷英真君だ。

事件の日、二人が行為中に、残された二匹の子猫を助けようと、英真君はピアノ教室の専用出入口から侵入した。しかし、寛太を逃がすことに成功するも、郁美に見つかってしまう。


激怒した郁美は、英真君ともう一匹の子猫にエアガンを乱射して死亡させた。

その後、二人で部屋の後始末をし、後に陶芸工房になる裏庭に英真君と子猫を埋めた。祐也がエアガンを分解して不燃ゴミで処分。祐也は、両親に母猫と子猫は一緒に逃げたと説明した。


一方、寛太は、祐也の応急措置により出血は収まっていた。だが、体内に残されたBB弾は、成長するにつれて深く埋もれていった。


事件後、さすがに二人は会うことを控えるようになった。だが、ときどき人目を忍び、郁美の車でラブホテルに行った。


取っ替え引っ替え相手を変える郁美も、祐也だけには繰り返し快楽を与えた。そして、ときどき背を向けた。郁美は見抜いていた。祐也が、自分を失うことを何よりも恐れていることを。

白骨が刈谷英真君と判明して報道されると、二人は最後の逢瀬の後、再会を誓い合い、一切の接触と連絡を絶った。

手を下す必要はなく、少し背中を押せばよい。郁美は別れ際に涙を流す。

「捕まったら、あたしは終わり。あなたと違って」

祐也は罪を被る決意をする。自分は成人前、彼女はそうではない。郁美と繋がっていられる唯一の選択と思い込んだ。祐也は、郁美の望む所へ自ら踏み出した。彼は選んだのではない。選ばされたのである。




康太は高見沢家で由衣と大樹に真相を語った。 

「……酷い」

由衣は絞り出すような声を洩らす。

二人の足元の間に、すり寄ってきた寛太を、大樹は抱え上げる。

「小学生のとき、ゴハンをあげていたノラネコに寛太はそっくりなんです」

「へー! そのネコの名前は?」

「勘助って勝手に呼んでました。雌ネコの後を着けては拒否されてたけど」

「キャハハハ、勘違いネコの勘助じゃん」

「五年生の冬休み。勘助は僕を見上げ、『ニャー』と一声鳴いて姿を消しました」


由衣は寛太を見詰め、頭を撫でる。

「そうなの……。最後のお別れをしたんだ。寛太は勘助の生まれ変わりかも」 

「そう思いたいです。ところで、寛太を刈谷さんに見せに行こうと思うんだけど」

「もし、欲しいって言われたら?」

「英真君が命がけで守ったんだから……」

由衣はゆっくり頷く。

「わかったわ」



 

土曜日の早朝、由衣と大樹は、寛太を連れて刈谷家を訪問した。

途中、ネコ用のリードを繋げられた寛太は、朝早く涼しいこともあり、あちこち動き回った。挙げ句に徒歩十分のところが三十分程かかった。


母親は寛太を撫でながら涙をこぼす。

父親は言葉を詰まらせる。

「……英真が、守ったんだな」

その一言に、すべてが込められていた。

妹と弟は、声を押し殺して泣いた。


由衣と大樹は、英真君の遺影に手を合わせた後、リビングに通された。

アイスコーヒーとプリンをご馳走になっている間、姉弟はゴムボールやネコジャラシで寛太と遊んだ。そこへ先住の雌ネコも加わった。


そして案の定、二人は寛太を飼いたいと言い出した。三毛の雌ネコとの相性も良かった。

しかし、いざ由衣と大樹が辞して玄関に向かうと、遊んでいた寛太は追いかけて来て、二人にまとわり着く。

「いい子にしているのよ」

由衣が声を掛け、二人が玄関を出ると、寛太は悲しげに何度も何度も鳴いた。

妹と弟は、顔を見合わせる。そして頷き合った。


リードに繋がった寛太に引かれ、妹が二人に追い付く。

「やっぱりこの子、高見沢さんの家にいる方が幸せです」

「あの……ときどき」

後から来た弟が言葉に詰まると、妹が受け継ぐ。

「様子を見に行っていいですか?」

「もちろんよ」

由衣は目を潤ませた。




二人は姉弟と別れ、ケヤキ並木の歩道を百メートルほど歩いた。

寛太が突如として強くリードを引いた。不意を突かれ、由衣はリードを放してしまう。

何しろ体重十キロ越えの大猫、その力は、一度は体験しないと想定できない。


寛太はリード引きずったまま、ケヤキの大木の陰に飛び込んだ。

「グルルルー、シャァァオォォー」

凄まじい唸り声が聞こえてくる。


「寛太!」

二人が呼び掛けると、寛太は何事も無かったようにノソノソと戻ってきた。


由衣が安堵の声を洩らす。

「よかったー」

「男がいました。逃げてったけど」

大樹は、歩道に転がっている蓋の開いたペットボトルの傍まで行き、顔を少し近づけた。

「何やってんのよ!?」

「臭いです」


寛太が、高見沢家に向かってケヤキ並木の歩道を勢いよく駆け出した。

「ちょっと、待って!」

今度こそリードしっかり握って由衣は走り出す。大樹も一緒に走る。

夏空に浮かぶ積み雲が、流れ落ちる汗で霞んでしまう。 




高見沢家に着き、二人はコップ一杯の水を一気に飲み干した。

「さっきのは、どういうこと?」

由衣の問いに、大樹は小首を傾げながら答える。

「ケヤキの陰でオシッコをかけようと、男が待ち構えていたと思います」

「えぇぇぇー! ウソ―!」

「おそらく寛太は、オシッコの臭いに気づいて飛びかかった。今朝、あの辺に寛太はオシッコをしました。縄張りを荒らされると思ったのかと」

「信じられない」

「オシッコを入れたペットボトルが落ちてました」


由衣は携帯を取った。

「お兄ちゃん、確認したいことがあるの」

しばし通話してから由衣は携帯を切った。

「大樹の言う通りだった。オシッコかけられて被害届を出した女性が三人。捜査中だってさ」

「変態ですね」

「大樹、こんな事件には関わらないでよ」


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